
市民運動党が民主党に吸収される(2008年9月25日)
市民運動党党首Ж.バトザンダン、副党首О.マグナイら8人は、2008年9月25日、民主党に入党した。彼らは、7月1日の「騒乱」で逮捕され(注:その後保釈)、(民主党に)「庇護」を求めた。なお、副党首М.イチンノロフ、書記長Э.バトバヤルは民主党に入党しなかった(注:彼[女]たちは、7月1日の「騒乱」に参加していなかった。ウヌードゥル新聞2008年9月26日付)。
バトザンダンは、民主党入党の理由として、以下のように述べた。7月1日以降の政治状況のため(注:国家大ホラル[国会]議員選挙に敗北したこと。なお、7月1日の「騒乱」に言及していないことに注意されたい)、民主党と共同歩調をとる方がいい。「民主」勢力が(注:括弧は筆者のよる)統一した方がいい。7月1日以降、民主党が真の「民主」勢力であることがわかった。
また、マグナイの方は、刑務所(「ガンツホダグ」刑務所)の暗い部屋にいて(注:逮捕収監されていた)、ロマンチシズムは終わったと思った、と述べている(ウドリーン・ソニン新聞2008年9月26日付)。
(注:マグナイが「ロマンチシズム」に言及しているが、マグナイのいう「ロマンチシズム」とは、人民革命党が「コミュニスト」であるから、物理的に破壊したり抹殺してもかまわない、という考えである。確かにこうした考えは「終わりに」するべきであろう。同様に、バトザンダンがいうところの、真に「民主的」な政党が民主党である、というのもマグナイ流「ロマンチシズム」である)
彼らの行動について、モンゴルの新聞・テレビでは、グンダライが汚職問題に関し、自らの逮捕を回避するために民主党に戻ったこと(注:2008年4月10日)と同様にとらえ、「バトザンダンが膝を屈した(敗北した)」(「ウヌードゥリーン・モンゴル」新聞2008年9月26日付)というニュアンスの報道が大勢を占めている。
筆者は、現代モンゴル史の文脈の中から、これを説明したい。
市民運動党(注:2007年10月17日最高裁認可)は、「健全な社会のための市民運動」が政党化したものである。
その後、民主党を脱党したグンダライは
「国民党」(2005年12月12日)を、М.エンフサイハンたちは
「民族新党」(2006年5月19日)を結成して、モンゴルに民族主義的傾向を持つ第三勢力が出現した。その背景には、モンゴル社会経済に占める、中国人などの優勢な地位に対するモンゴル人のいらだちがあった。
「健全な社会のための市民運動」は、その影響下に、「市民運動党」を結成し、そうした民族主義的な新党と異なる立場の第三勢力の地位をめざした。
こうした第三勢力は、2008年6月29日の国家大ホラル(国会)議員選挙に出馬し、敗北した。「市民の意志党」のみがかろうじて1議席獲得した(2議席からの1議席減)。
С.バヤルの人民革命党は、すくなくとも、上記課題(注:IMF路線による貧富の差の拡大、汚職の蔓延の阻止)の解決を選挙綱領に掲げて、国家大ホラル(国会)議員選挙を戦い、勝利した。モンゴル国民の多数は、С.バヤルを支持し、エルベグドルジやバトザンダンを退けた。
この結果は、モンゴルにおける第三勢力の存在を否定することになるのであろうか。筆者はそのようには見ない。
С.バヤル(人民革命党)が選挙後、民主党との
連合政権結成を提唱した背景には、モンゴルにおける貧富の差の拡大をいかに食い止めるか、鉱山部門をテコとした「経済成長」をどのように推進するか、汚職蔓延をどのように阻止するか、という緊急の諸問題を、全国民的合意に基づいて推進しなければならない、という問題があった。
一方、エルベグドルジの民主党は、その他の第三勢力と共謀し、モンゴルにおける「混沌」状態を志向し、結果的に、7月1日の「騒乱」を引き起こした。この結果、エルベグドルジは民主党内からも孤立した。彼は、今なお、この選挙結果を認めようとせず、中央選挙管理委員会(委員長Б.バトトルガ)の委員全員が辞任しなければならない事態を引き起こしている(2008年9月25日。ウヌードゥル新聞2008年9月26日付)。
(後注:中央選挙管理委員会の全委員の辞任願いは、政党からの独立状態が維持できないとして、すなわち、エルベグドルジらの「干渉」に抗議して、委員長Б.バトトルガの署名を付して、国家大ホラル(国会)事務局に提出された。これに対し、、同事務局は、委員全員の署名が必要である、として受理しなかった[ウヌードゥル新聞2008年9月29日付]。地方議会議員選挙が10月12日に実施される。そのための準備が必要な時期に、こうした横やりは論外である。[2008.09.30])
また、「混沌」状態を志向する勢力が、米国の指導の下で、東欧諸国で引き起こした騒乱と同様の事態を再現させる危険性(注:7月1日の「騒乱」のような)は今後も否定できない。
従って、モンゴルにおける「貧困」や「混沌」状態(注:無政府状態といってもいい)を解消し監視する第三勢力は、モンゴルに必要なのである。(2008.09.28)
(追補)市民運動党は、2008年11月26日、党大会を開催し、Н.ダバーを新しい党首に選出した。副党首は、Б.バトサイハン(新任)、θ.メンドサイハン(新任)、М.イチンノロフ(再任)で、書記長は、Э.バトバヤル(再任)である(ウヌードゥル新聞2008年11月27日付)。
この若い政党が第三勢力としての地位を確保できるかは、今後の問題である。だが、グンダライが「逃亡した」後の国民党の惨状と比較して、バトザンダン、マグナイなしで活動を継続しようとする、この若い政党の意志は、尊重されねばならないだろう。(2008.11.29)
