
二つの政治集会(2005年11月16、17日)
これまでも何度か指摘したが、モンゴルでは冬にはいると、政治集会やデモが組織される。日本人の目から見ると、寒くて(−20℃から−30℃)不可能なようだが、モンゴルではかえって熱気を帯びる。
国家大ホラル(国会)の「暴れん坊」グンダライ議員は、2005年11月16日、政府庁舎前で参加者と共に「政治座り込み」を宣言した。
この集会には、「健全な社会のための市民運動」および「老人自由連盟」も参加した。その主張は次のようなものである。すなわち、1)鉱物資源採掘権を外資から取り戻す。2)タバントルゴイの背後にムンフオルギル外務相とエンフバヤル大統領がいる(ウヌードゥル新聞2005年11月17日付)。
つまり、民主党内でも孤立化しつつあるグンダライが新党結成に向けて具体的に動き出した、とみられる。逆に言えば、次第に政治化してきていた「健全な社会のための市民運動」の政党化でもある。
翌11月17日、モンゴル学生連合は、モンゴル国立大学2号館南側の広場で集会を開いた。
実は、この時、筆者は2号館3階の教室で講義をしていた。外が騒がしいので何かと思ってみてみると、広場が垂れ幕やスローガンを掲げた若者たちで埋め尽くされていた。
(写真は筆者による)
その主張は、学生定期問題などの生活上の問題の解決を求めるものであったが、次第に暴走し、16時、一部の学生たちは、政府庁舎に向かい、そこに駐車中の自動車2台を破損し、政府庁舎に投石して、窓ガラス92枚を割った(ウヌードゥル新聞2005年11月18日付)。
参加した学生によれば、これは私服の警官の仕業である、とし(ウヌードゥル新聞2005年11月18日付)、ウランバートル市警察によれば、「ダヤル・モンゴル(全モンゴル)」運動が煽動したものだ、という(ウヌードゥル新聞2005年11月19日付)。
この二つの集会は、野党のない(注:祖国党は野党的立場を鮮明にしているが、エルデネバト党首の動きが緩慢であるし、祖国党出身議員オトゴンバヤルなどは人民革命党参加を示唆しているから、ほとんど影響力がない)状況下で、新しい政党が結成される前触れになるかもしれない。(2005.11.21)
(追補)上記のグンダライは、11月23日、「国民党」結成を宣言した。
彼は、記者会見で次のように語った。国民党は、改革、公正、愛国をめざす。11月25日から、801人の支持者(注:現行「政党法」では新党結成には800人以上の[=800人を上回る]党員が必要)を募る予定である。入党希望者がEメールで意見交換を行っている。設立者は、ビジネスマン、政治家、ジャーナリスト、教師、NGO代表などである。「健全な社会のための市民運動」は参加しない。彼らとは意見が一致しない。議会第一党をめざす。(不法な)デモや集会を行わない。民主党から脱党する。民主党は民主主義の党ではない(ウヌードゥル新聞2005年11月24日付)。
国民党結成の特徴は、民主党が民主主義の党ではない(それはそうなのだが)、と批判するグンダライ自体が、いささか民主主義を誤解し、横紙破り、法無視の行動を今まで数多くとってきた。
だが、彼の主張それ自体は正当なもので、「子供に毎月1万トグルグ支給」という政策も、IMF支配下でなければ、すぐれた手法であった。すなわち、いわば建て前と本音とが一致しない。
「健全な社会のための市民運動」との関係も含め、国民党が今後どう成長していくか、注目していい。(2005.11.29)
(追補)上記の「ダヤル・モンゴル(全モンゴル)」運動参加の若者たち30人は、11月26日23時40分〜50分、チンゲルタイ区にある中国人経営のレストラン(「Жун Хуа Лоу」)を襲撃した(ウヌードゥル新聞2005年11月28日付、29日付)。こうしたことからみると、このグループは、民族主義グループではないかと思われる。モンゴルに貧富の差が広がり、若者たちの失業問題が深刻化している。こうしたことを背景にして、モンゴルに「拝外主義的民族主義」が広がっていくと予想される。(2005.11.30)
(追々補)グンダライによる「国民党」結成は、最高裁判所によって、2005年11月30日、認可される(予定)。国民党の党組織は、チンギス・ハーン時代の組織である、「十戸制」「百戸制」「千戸制」「万戸制」を手本にする。最高議決機関も「イフ・ホラルダイ」と名付ける。「九白の貢」を行う、という。かなり時代錯誤的な面が明らかになり始めた。
また、政治学者Д.ガンホヤグ、ジャーナリストГ.オヤンガも参加する。前者は、「健全な社会のための市民運動」を支持していた。後者は、人民革命党批判で幾度か筆禍事件を引き起こしている。良い意味では反権力的、ややもすると「無政府主義的」傾向を示す人物たちである。
また、11月27日、民主党から300人が一挙に加入した、という。
グンダライは、「2008年国家大ホラル(国会)議員選挙に勝つ」、「『自由主義』という左右の『すぐれた面』を採り入れ、民族主義、経済的自由主義を党是にする」、と宣言した(ウヌードゥル新聞2005年11月29日付)。
こうしたことからみると、この「国民党」は、「ダヤル・モンゴル(全モンゴル)」運動のそれと同様、「国民の閉塞感」、「貧富の差の拡大」、「失業問題の深刻化」を背景にして、民族主義的拝外主義、国家主義をめざすのではないかと思われる。(2005.11.30)
(追々々補)上記「全モンゴル」運動の代表З.エルデネビレグという若者は、11月29日、記者会見で、当該運動の目標は、ウランバートルの外国語文字を撤去し、モンゴル文化を復興させることであると語った(ウヌードゥル新聞2005年11月30日付)。また、12月2日には、この運動が有名になった、人々の参加を呼びかける、と語った(ウヌードゥル新聞2005年12月03日付)。なにやら時流に乗ろうとするアジテーターめいている。(2005.12.05)
(追々々々補)グンダライの国民党は、結成されてから10日間で、党員数が3000人になったという(ウヌードゥル新聞2005年12月05日付)。これは、基本的には、上記の事態が背景にあるが、政治的には、1)民主党が人民革命党会派に加入したこと(注:その後、人民革命党によって除名された)、2)利権・官職をめぐる民主党内派閥間の反目(注:民主党には「アルタンガダス」、「モンゴル民主同盟」、「モンゴル民族民主党」、「リフォーム(改革)」、「東北アジア」、「М」といった派閥が相争っている。最近さらに、「民主党改革派」が結成された[11月29日]。日本の自民党よりも醜悪である)、3)人民革命党の支持率が、最近の世論調査によれば、10−20ポイント下落していること(ウヌードゥル新聞2005年12月01日付)、などによるものである。(2005.12.07)
(追々々々々補)2005年12月12日、国民党結成大会が開催され、党首にグンダライ、書記長にД.バトバヤル、「イフホラルダイ(幹部会)」委員に、Д.ガンホヤグ(政治学者)、Г.ジャルガルサイハン(オトゴンテンゲル大学副学長、ビャンバスレン(ビジネス従事者)、А.オトゴンボルド(ハタグタイ病院長)、Д.バトバヤル(ISEM教育センター長)、Г.オヤンガ(ジャーナリスト)などを選出した(ウヌードゥル新聞2005年12月13日付)。そして、党首グンダライは、12月15日、記者会見で、国民党の現在の党員数は約4000人である、と語った(ウヌードゥル新聞2005年12月15日付)。短期間での党員増加は驚くべきものがある。それだけ同党が注目を集めている証左であろう。(2005.12.17)
(追々々々々々補)2005年12月21日、国民党が最高裁に認可され、モンゴルで22番目の政党となった(ウヌードゥル新聞2005年12月22日付)。(2005.12.25)
