「健全な社会のための市民運動」が2回目の集会・デモ(2005年02月23日)

「健全な社会のための市民運動」(参加者約400人)は、2月23日12時、ヤラルト(解放)広場で2回目の集会を開いた。その集会の後、一時間して、ジョールチン通りを南下し、国立百貨店を経て、中央郵便局南側まで彼らはデモ行進をした。

最初の集会・デモ(2月3日)についての論評は以前に行った。2回目の集会・デモ(2月23日)はどのような特徴があるのか。

それは、彼らの掲げたスローガンにみることができる。すなわち、そのスローガンは、「エンフバヤルはスターリンである」、「エンフバヤル打倒」、「責任ある政治、道義感のある政治家を待ち望む」、「エンフバヤルは若者を惑わすのを止めよ」、「賄賂にまみれた祖国を救おう」などであった(ウヌードゥル新聞2005年02月24日付)。

このことは、「健全な社会のための市民運動」がその攻撃対象をエンフバヤルに絞ったことを意味する。つまり、最初の集会で掲げていた汚職、官僚主義、陰謀、不法行為などにたいする反対の意思表示から、その攻撃対象を政治家個人へ向け始めた(注:ちなみに、エンフバヤルは、この攻撃に対し、民主社会主義青年同盟主催による大学生との対話集会において、4億9900万ドル「横領」疑惑を具体例を挙げて反論し、裁判所によって自身の名誉回復措置がとられた、と述べている。ウヌードゥル新聞2005年02月23日付参照)。

最初の集会・デモは、ウランバートル市民には大方の支持は得られないにしても(注:一政党の運動であるという見方があった)、共感を持って迎えられた。2回目の集会・デモは、攻撃対象の背後にあるものを深く掘り下げるのではなく、かえって矮小化することによって、その攻撃対象からの反撃を生み出した。

すなわち、民主社会主義学生同盟は、同日に、モンゴル国立大学第2号館南側で、「健全な社会のための市民運動」に反対する集会を開いた。この民主社会主義学生同盟というのは人民革命党の支持団体である。従って、人民革命党が党首エンフバヤルへの攻撃に対して反撃に出たということになる(新「アルディン・エルフ」新聞2005年02月24日付)。

「健全な社会のための市民運動」による、2回目の集会・デモについて、エルデネバトが設立したエレル社の(つまり祖国党の)新聞である「モンゴリン・メデー」新聞が、この集会・デモを詳細に報じているが、その同じ紙面で、エンフバヤルの「汚職」についての特集記事を掲載している(「モンゴリン・メデー」新聞2005年02月24日付)。

だから、最近、とみに野党の立場を鮮明にしている祖国党が(注:当然、大統領選挙にエルデネバトが立候補すると考えられる)この集会を支持している、ということだ(後注:祖国党党首エルデネバトは、「健全な社会のための市民運動」に資金援助はしていない、と述べてはいる。だが、少なくとも、この集会・デモに積極的に参加した党員の存在については、何も語っていない。ウヌードゥル新聞2005年03月02日付)。

民主党は、現在、党内混乱が進行し、それどころではない。最高裁は、2005年2月21日、エンフサイハンの訴えを認め、2004年12月19日の決定(エンフサイハンを党首から更迭したこと)が不法であるという裁定を下した(ウヌードゥル新聞2005年02月22日付)。ゴンチグドルジらの新執行部は、この裁定が党内問題への干渉であると非難している。エンフサイハンとゴンチグドルジは攻守、所を変えたわけである。だが、エンフサイハンが再び党首に復帰するかどうかは不明である。民主党特別大会開催の動きもある(ウヌードゥル新聞2005年02月25日付)。

こうして、この「健全な社会のための市民運動」が、党派間の政争に巻き込まれて、党派性を帯びていく(後注:彼らは、民主党エンフサイハンに支援要請の書簡を送り、エンフサイハンは肯定的にこれを受け止める、と応えた。ウヌードゥル新聞2005年03月02日付。また、「健全な社会のための市民運動」指導者の一人、Ж.バトザンダンは、「私は民主党員で、2004年の国家大ホラル(国会)議員選挙運動に積極的に関わった」、と述べているから、この運動は当初から民主党支持であったわけである。ウドゥリーン・ソニン新聞2005年03月11日。)。

政府系の「ゾーニー・メデー新聞」(2005年02月24日付)は、「街頭に出てデモをして事を解決する時は終わった。(この集会・デモは)主催者を除いてそれほど積極的ではない。(モンゴルには)やるべき事は山積している。誇張されたスローガンで人々を惑わすことは止めるべきだ」(要約)、と述べて、意に介していないかのようである。

いずれにしろ、繰り返しになるが、政党間抗争の背後にある、大統領選挙(注:投票日は2005年5月22日)がすでに始まっている。(2005.03.01)

(追補)「健全な社会のための市民運動」は、3月25日、解放広場で第3回目の集会を開いたが、その後、スフバートル広場までデモ行進をした。このデモ行進に、かのグンダライらが加わった。一方、民主党は、この運動を「不健全」な運動だ、と非難した(ウヌードゥル新聞2005年03月26日付、ウドゥリーン・ソニン新聞2005年03月26日付)。これは、民主党の党旗を掲げて参加した者があったからとみられる。民主党は、現在、ゴンチグドルジ新執行部(注:3月18日、民主党民族評議会臨時会議が財政経済大学で開かれ、党首にゴンチグドルジを再び選び、副党首にН.バトバヤル、Б.ムンフトヤ、Р.アマルジャルガル、Р.ツォルモンの4人を選出した)と、エンフサイハン、バトウール、グンダライたちとに分裂していて、一つの政党とは言い難い状況にある(注:バトウールは、「我々(=民主党)は、二つの融和できない潮流がある。自分は右派(=資本主義者のこと)であり、ゴンチグドルジは左派(=社会主義者のこと)である。ゴンチグドルジは右派であるエンフサイハンに党を譲り、社会民主主義勢力(=人民革命党のこと)と一緒になるべきである」、と一新聞紙上で語っている。"Ulaanbaatar", 2005.03, No.0003[1679]参照)。この「運動」は、ますます党派性を露わにし、民主党エンフサイハン支持勢力が表面に出てきた。(2005.03.28)

(追々補)「健全な社会のための市民運動」は、さらに戦術を強化して、スフバートル広場で座り込みを続けていたが、4月27日、政府官邸にある、エンフバヤルの執務室の窓ガラスを投石によって破り、さらにトマトを投げつけた(ウヌードゥル新聞2005年04月28日付)。こうして、この運動が暴徒化する憂慮すべき様相を見せてきた。(2005.05.03)

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