モンゴル国民放送が真に国民のものとなるか(2005年11月28日)

モンゴルでは、ケーブルテレビも普及しているが、放送電波によるテレビが一般的である。その中核をなすのが「МYТВ(モンゴル国民放送)」で、国営放送(=政府資金による運営)である。

この「モンゴル国民放送」は、特に、2000−2004年のエンフバヤル人民革命党政権時代には、人民革命党の放送局といってもいい位に、人民革命党の活動ばかりを放送していた。

このフラストレーションが、2004年の国家大ホラル(国会)議員選挙後、「祖国・民主」同盟による「モンゴル国民放送」襲撃となってあらわれた。この「襲撃」は、「祖国・民主」同盟による選挙不正を隠蔽する目的を含んでいたが、人民革命党寄りの放送姿勢に対する、国民の不満をも背景にしていた。

そこで、究極の均衡状態のもとでできあがった「大同盟」政府は、モンゴル国営放送である、この「モンゴル国民放送」を政党支配から離脱させる方策を講じることになった。

その結果、「国民放送評議会」が設立され、放送界、政党、政府などから12人の委員が任命された。この「国民放送評議会」が「モンゴル国民放送」の報道方針を決定する。そして、その主宰者が「国民放送評議会」会長である。

この会長選出過程が「非公開性」、「政党寄り」である、という国民の不満が高まってきた。以下その過程を説明する。

「モンゴル国民放送」の制作者と技術者たちは、11月22日、国民放送評議会会長を選出する作業に政治色が強いこと、非公開制であること、などに反対して、「共同戦線」を結成した。

その批判の骨子は、前もって周到な準備をせず、政党の圧力によって会長選びが行われようと、ということであった。つまり、評議会会長候補のうち、Ц.エンフバトは人民革命党寄り(人民革命党党員)、Б.ガンボルドは民主党寄りで、人民革命党の圧力によって、Б.ガンボルドは立候補辞退を表明していた(ウヌードゥル新聞2005年11月24日付)。

その結果、国民放送評議会会長候補として、Ц.エンフバト(チャンネル9社長)、Л.アリオンバト(アリゴ番組制作社長)、С.ミャグマル(ボロルドイ番組制作社長)の三人が残った。評議会委員9人のうち、8人がエンフバトを支持した。この時、2人の委員はこの選出過程での人民革命党支配に反対して、選出会場を出たので、評議会委員が11人から9人になって、この選出作業が効力を失っていた(その後1人は戻ったが投票を拒否)。

「共同戦線」もこの選出劇に反発し、11月24日、裁判所に提訴することを表明し、さらに、評議会解散をも要求した。

こうした事態(=選出作業の混乱)の中、11月24日午後8時、これらの3人の公開討論が「モンゴル国民放送」で放送された(ウヌードゥル新聞2005年11月25日付)。

その後、Ц.エンフバトは立候補を取り下げ、Л.アリオンバトとС.ミャグマルの2人の立候補者間で投票が行われ、С.ミャグマルが会長に選出された(ウヌードゥル新聞2005年11月25日付)。

さて、放送界から選出された「国民放送評議会」会長が真の指導力を発揮して、「モンゴル国民放送」が真に国民のものとなるかは、未だ不明である。

その財源問題(注:バガバンディ前大統領が財源を広告料に求める新法案に拒否権を発動していた)が解決されていない。最近、ケーブルテレビで放送が再開された、「EBC(イーグルテレビ)」は、「放送視聴料無料」を明確に表明しているのに対し、この「モンゴル国民放送」はどうするのか。現在、国営放送でありながら、長々とCMを流している。

いずれにしろ、「モンゴル国民放送」の今後が注目される。(2005.11.29)

(追補)ところが、情勢が混沌としてきた。というのは、国民放送評議会会長選出劇が無効になる可能性が出てきたからである。その理由は、国民放送規則が法務内務省に承認されないまま、会長選出を行った、新会長に資金流用問題が浮上してきた、などである(ウヌードゥル新聞2005年12月15日付)。そして、国民放送評議会委員4人が行政裁判所に提訴した。それを受け、行政裁判所は、国民放送評議会による2005年11月26日の決定(同会長にС.ミャグマルを選出したこと)が、選出の際に定足数を満たしていない、という理由で無効にする裁決を出した(ウヌードゥル新聞2005年12月16日付)。この人事がどうなるか、また、それ以上にモンゴル国民放送が正常に機能できるか、というのが現在の状態である。(2005.12.17)

(追々補)上記の行政裁判所裁決を受け、2006年1月26日、国民放送評議会が国民放送会長С.ミャグマルについての信任投票を行って、С.ミャグマルを信任した。こうして国民放送会長選出問題は決着した(ウヌードゥル新聞2006年01月27日付)。モンゴル国民放送が政府から真に独立した放送機関となりうるかどうかが、今後、注目される。(2006.01.30)

(追々々補)モンゴル国民放送会長С.ミャグマルは、2006年08月17日、モンゴル国民放送評議会によって解任された。財政問題その他の理由であった(ウヌードゥル新聞2006年08月29日付)。そして、2006年08月31日、同放送会長にМ.ナランバータル(ウルグー・スタジオ社長)が選出された。彼の計画案とテレビ番組制作の経験が、同放送評議会委員の中で、大方(66.6%)の支持を得たものである(ウヌードゥル新聞2006年09月01日付)。(2006.09.03)

(追々々々補)これに対し、モンゴル国民放送会長選出に反対する一部の人々は、2006年09月06日、この決定を出したモンゴル国民放送評議会を解散するように要求した。その理由は、1)М.ナランバータルは、民主党議員だったこと、2)前会長ミャグマルの金銭的問題にナランバータルも関係していたこと、などである。また、3)モンゴル国民放送評議会が政党の影響下にある、という(ウヌードゥル新聞2006年09月07日付)。一方、同放送評議会会長Х.チラージャブは、記者会見で、正式の要求を受け取っていないと述べた(ウヌードゥル新聞2006年09月09日付)。

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