2004年国家大ホラル(国会)選挙後の混乱(2004年07月02日)

2004年国家大ホラル(国会)議員選挙の投票が6月27日に実施され、その結果、人民革命党36人、「祖国・民主」同盟(民主党・民主新社会党・市民の意志・共和党)36人、無所属3人、共和党1人が当選(暫定)した。

6月30日、「祖国・民主」同盟選挙対策本部長エンフサイハン(民主党党首)は、「祖国・民主」同盟本部前で開かれた集会で、無所属3人は民主党員であるから、「祖国・民主」同盟が39人となり、多数派を形成することになった、と勝利宣言を行った(モンツァメ通信2004.06.30、ウヌードゥル新聞2004年07月01日付、ウドゥリーン・ソニン新聞2004年07月01日付)。

これに対し、解放広場で開かれた「公明選挙運動」の集会で、その代表セドバザルは、自分は非党員である、今回の選挙では、特に「祖国・民主」同盟側が不正な手段を行使した、再選挙を要求する、と語った(ゾーニー・メデー新聞2004年07月01日付)。

こうした2つの集会が行われている中、選挙管理委員会は、第59、76選挙区のいくつかの投票場で、投票に不正があったとして、7月3日に再投票を行うことを決定した(ゾーニー・メデー新聞2004年06月30日付、ウネン新聞2004年06月30日付)。

7月1日16時、グンダライ、バト=ウールたち「祖国・民主」同盟側の人々300人が、国営放送局を「襲撃」した(ゾーニー・メデー新聞2004年07月02日付、ウドゥリーン・ソニン新聞2004年07月02日付)。彼らは、国営放送ディレクターに対し、国営放送で話をしたいとして、国営放送のドアを壊して強制的に侵入したのである。国営放送側は、この手段は「同盟」側の誤りであるとして拒否した。しかし、19時15分、国営放送は、「同盟」側の主張の放送を開始した(この放送は約1時間続いた)。

その放送で、バト=ウールは「国民は我々を選んだ」、グンダライは「国営放送は4年間嘘の放送をしてきた」、オヨンは「選挙に勝利した、放送をバランスの取れたものにすべきである、選挙結果を認めず混乱に陥れている、国営放送に声を出すために来た」、エンフボルドは「(『ゾーニー・メデー新聞』を示し)この記事は真実ではない、これは人民革命党に置き換えられる」、ツァガーンは「明日(7月2日)午後14時にスフバートル広場で集会を開く」、などと順次発言した(2004.07.02.МНТ[モンゴル国民テレビ]からの視聴)。

「祖国・民主」同盟による、この「国営放送局襲撃」は、もちろん不法なものであるが、なぜこうした手段に訴えようとしたのか。

これを解くカギは、上記のエンフボルドの指摘にある。

政府系のゾーニー・メデー新聞(2004年07月01日付)は、<民主党が選挙を最初から不正な目的で行ってきた>という見出しの記事を掲載した(注:エンフボルドが「人民革命党に置き換えられる」と発言したのはこれをさしている)。この中で、「選挙運動に関する注意事項」という6ページの文書を証拠文書として紹介している。この文書は、情報局が4月末に押収したもので、民主党があらゆる手段を使って勝利する、黒(嘘)を白(真実)という、問題が起こった場合、すべての責任をエルデネバトとオヨンに押しつける、と言った内容であった。

この新聞記事は、この日にはひっそりと掲載され、この新聞が政府系であることもあって、その内容の真偽は定かではなかった。一方で、これまでの選挙運動に関する事実からすると、「偽文書」であるとも断定できなかった。いずれにしろ、この文書の内容が事実であるとすれば、明らかに犯罪であるから、「祖国・民主」同盟には不利になる。この事実が国民に広く知らされる前に、焦点を曖昧にする目的で、「祖国・民主」同盟が放送局「襲撃」という手段に訴えたのである。

この文書の真偽が疑問視される中、ゾーニー・メデー新聞(2004年07月02日付)は、続報において、当該文書を写真入りで示し、その文書の実在を証明した。情報局も記者会見を行って、Д.バーサンフーなる人物所有の「選挙運動に関する注意事項」という6ページの文書に関して、当該文書の存在を認めた(ウネン新聞2004年07月2日付)。

7月02日14時、「祖国・民主」同盟は、国営放送での前日の予告通り、「祖国・民主」同盟本部前で集会を開いた(注:スフバートル広場での集会は市当局によって許可されなかった)。15時、エンフサイハンたちは、選挙管理委員会に行き、再投票中止を要求した。

選挙管理委員会は、行政裁判所による再投票延期決定を受け(注:この新設機関は全国規模で現時点では「行政裁判官」53人から構成される。2004年6月10日に任命された[モンツァメ通信2004.06.10]。なお、行政裁判所は、行政監視法(2003年12月26日国会承認)に基づき、6月1日設立された。21アイマグに3人ずつ、ウランバートルに7人が配置される[ウヌードゥル新聞2004年07月06付])、第24選挙区第18投票場、第59選挙区第18、22投票場での再投票を一定期間延期することを決めた(ウドゥリーン・ソニン新聞2004年07月03日付、ゾーニー・メデー新聞2004年07月03日付)。

こうした混乱の中で、ロシアの石油会社ユーコスのモンゴル代理店「ユーエム・トレイド」社は、ロシア側が輸出関税を引き上げたのに伴って、石油価格の引き上げを7月1日から行うことを発表した(ウヌードゥル新聞2004年06月30日付、ゾーニー・メデー新聞2004年06月30日付)。こうして、ガソリン価格が7月1日より値上がりした。

また、政治不安、経済混乱を恐れて、人々が銀行預金を引き出し始めた(ゾーニー・メデー新聞2004年07月01日付)。この報道に対し、モンゴル銀行は、銀行の営業活動が通常通りである、と発表し、そうした事実を否定した(ウヌードゥル新聞2004年07月02日付)。いずれにしろ、今後の経済混乱が懸念されるものである。(2004.07.06)

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