
続・2004年国家大ホラル(国会)選挙後の混乱(2004年07月09日)
モンゴルでは、2004年国家大ホラル(国会)議員選挙後の混乱が続いている。
7月5日、「祖国・民主」同盟による集会に対抗するかのごとく、「公明選挙運動」が解放広場で集会を開催した(ダルハン、ヘンティー、フブスグル、セレンゲ各アイマグからの参加者も含めて、参加者公称30000人)。彼らは、「祖国・民主」同盟による放送局「襲撃」を非難し、「(「祖国・民主」同盟は)1万トグルグで国民を欺いた」、と訴えた。そして、請願書を大統領、憲法裁判所、人権委員会に提出し、8日までに回答するように要求した(ウヌードゥル新聞2004年07月06日付、モンツァメ通信2004.07.06)。
これについては、国民が二つに分裂し始めた、という論評もある(ウヌードゥル新聞2004年07月08日付参照)。
7月7日、選挙管理委員会委員長Ж.ヤダムスレン、事務局員Ж.スフバータルは、バガバンディ大統領に会い、2004年国家大ホラル(国会)議員選挙結果を報告した。それによれば、「人民革命党36人、「祖国・民主」同盟34人、共和党1人、無所属3人」である。残りの第24、59選挙区の数カ所の投票場での再投票については裁判所が決定する、という。彼はまた、選挙法改正の必要性を強調した(ウヌードゥル新聞2004年07月08日付、ゾーニー・メデー新聞2004年07月08日付)。
このヤダムスレンの報告は、憲法および選挙法の規定による、「選挙結果を15日以内に大統領に報告する」、という義務を遂行したものである。問題は、未定の2人を除外している点であろう。だが、これは選挙法の規定に従った、選挙管理員会の職権遂行行為である。
7月8日、バガバンディ大統領は、人民革命党党首エンフバヤル、民主党党首エンフサイハン、民主新社会党党首エルデネバト、市民の意志・共和党党首オヨン、共和党党首ジャルガルサイハンを大統領府に招き、7月9日11時に、国家大ホラル(国会)第1回会議を招集することを通知した。そして、これらの党が話し合って、「協力して政府を作る」よう要請した(ウヌードゥル新聞2004年07月09日付、ゾーニー・メデー新聞2004年07月09日付)。
この「協力して政府を作る」というのは、いわゆる「挙国一致内閣」をさすものと思われるが、この時点では、これらの党が大統領の要請に応じる気配はない。
第一に、バガバンディが各党党首を招いている同日に、解放広場で開かれた「公明選挙運動」(参加者100人)は、「祖国・民主」同盟が不正手段で選挙に勝利した、人民革命党を支持する、と宣言し、再選挙を要求している(ウヌードゥル新聞2004年07月09日付)。
第二に、人民革命党幹部会および2004年国家大ホラル(国会)議員選挙人民革命党当選者は、2004年7月8日、選挙管理委員会決定に関する行政裁判所の判断がまだ出ていないこと、人民革命党から当選した人々が公務で内外にいること、大統領の要請である「話し合い」がまだ行われていないこと、現国家大ホラル(国会)の業務終了報告と業務引継がまだ行われていないこと、新議員認証は7月後半であること、などを理由にして、第1回国家大ホラル(国会)会議開催を支持しない、と通告した(ゾーニー・メデー新聞2004年07月09日付)。
7月9日、バガバンディ大統領は、憲法の規定する大統領職権により、第1回国家大ホラル(国会)会議開催を主宰した。だが、人民革命党、共和党当選者は出席せず、「祖国・民主」同盟当選者34人、無所属2人(注:アマルジャルガル、サンジミャタブの2人。オドフーは何故か出席せず)の36人によって、11時半開会した。
大統領の開会宣言の後、選挙管理委員会委員長Ж.ヤダムスレンの「報告」が行われ、その中で、「選挙管理委員会は、選挙期間中に選挙法違反者に何度も注意したにもかかわらず、それが守られなかった。・・・選挙法改正が必要である」と特に強調した。
その後、「質疑」に入り、まず、グンダライは再投票を中止し、2人を当選させるよう要求し、20分間しゃべり続けた(注:「質疑」というより「要求」であった)。次いで、ランバー、エンフサイハンも同様の趣旨の発言をし、さらに、バヤルツォグトという若者に至っては、選挙管理委員会の解散を要求した。これに対して、ヤダムスレンは「当該委員会は政治活動をする組織ではない」と回答した。これに対し、何を思ったかこの若者は、「この会議は正規のものなのか」と発言した(注:開会定足数57人[=全議員の4分の3]を満たしていないことを意味する)。それにつられるように、バガバンディ大統領は、定足数不足のため「休会」を宣言し、議場をあとにした(2004年07月09日、「国営テレビ=モンゴル国民テレビ」より視聴)。
バガバンディ大統領としては、前日に各党党首を招集し、話し合いで政府を作るよう要請したのだから、第1回国家大ホラル(国会)会議開会は手続き上、問題ないとみたのであろう。
彼の考えには以下のことがあると思われる。憲法によれば、国家大ホラル(国会)議員選挙後、首相(内閣)を作るのは、1)39議席以上を獲得した党、同盟、2)39議席に満たない場合は、最も多数を獲得した党、同盟、3)それも満たさない場合は、党、同盟が協議して、多数決で首相(内閣)を決める、とある。
今回の事態は、3)に相当する。ただ、「協議」するのは、国家大ホラル(国会)の議場においてなのか、議場外でなのかは、憲法では規定されていない。人民革命党は、「(議場外での無所属当選者を含めた)各党間での話し合い」を志向し、大統領は国家大ホラル(国会)の議場での多数決を想定した。一方、「祖国・民主」同盟はこの時点では自ら内閣を構成するものと見なしていた。
こうして、第1回国家大ホラル(国会)会議は、人民革命党と共和党の欠席による、定足数不足のため、休会になった。
モンゴルの政治的混乱は、11日から13日までのナーダム祝日後、さらに深まるであろう。日用品物価が50〜150トグルグ上昇気味であり(ウヌードゥル新聞2004年07月08日付参照)、今後の推移が懸念される。(2004.07.12)
