
2008年度春期国家大ホラル(国会)開会とその後(2008年04月07日)
2008年度春期国家大ホラル(国会)が2008年4月7日に開会した(5月20日までの予定)。
これは、国家大ホラル(国会)議員選挙が2008年6月29日に予定されているので、2004−2008年国家大ホラル(国会)最後の国会である。
議員たちは、選挙(のみ)に関心があるので、それ(のみ)を意識して行動するであろう。
開会冒頭演説として、まず、ルンデージャンツァン国家大ホラル(国会)議長は、2004−2008年国家大ホラル(国会)の成果として、所得税の納税負担を軽減したこと(後述)、鉱山法改正(2007年)を行ったこと、「モンゴル国発展総合政策」(2008年)を策定したことなどをあげた。
次に、エンフバヤル大統領が開会冒頭演説をした。彼は、以下のように述べた(要約)。
今国会の正の側面として、「国民発展総合政策」(大統領提唱)を策定した、税負担を軽減した(注:基本的に所得税一律10%にしたこと)、給与・年金を増額した、などがあげられる。
一方、負の側面として、次のようなことがあげられる。すなわち、違憲判断の下った多くの決議を行った(後述)、国会内の内紛が多かった(後述)、議員による不法行為があった(後述)、鉱山部門に関する取り扱い(法人所得税の高率、政治的決定の不明瞭化)によって、国際的評価が下がった。また、法律(の不備)・教育・保健・社会保障・自然環境・行政などの分野でも同じ否定的側面が見られる。「無責任」(注:刑法のなかの公務員の責任条項[第172条]を削除したことからくる。このため、バヤンホンゴル・アイマグ、ホンゴル・ソムでの環境汚染裁判では、2008年4月3日、行政側[アイマグ知事、ソム長、ソム議会議長]の責任が問われなかった)、「汚職」(行政・ビジネス部門での)が蔓延している、「祖国の贈り物」構想(注:大統領提唱)が実行されていない、行政・立法面での実行の遅れが見られる。国家大ホラル(国会)は、政治とビジネスから距離をおく必要がある(注:選挙を意識したショー行為と多くの会社社長が国会議員になっていることをさす)(以上、ウヌードゥル新聞2008年4月8日付参照)。
さて、エンフバヤル大統領のこの演説は、正鵠を得ているが、注目すべき内容も含まれている。以下、それを説明する。
エンフバヤル大統領は、
「限定納税免除法(2008年2月1日成立)」に拒否権を発動したが、国家大ホラル(国会)総会は、2008年4月10日、その問題に関して審議し、26対15でその大統領拒否権行使に反対したが、憲法規定にあるところの、拒否成立に必要な反対議員が全体の「3分の2」には達せず、大統領の拒否権が承認された(ウヌードゥル新聞2008年4月11日付)。
このことは、一般国民の納税感情に合致したものであろう。その一方で、大統領の威信が高まったと言うことも指摘できる。
第二に、汚職対策本部は、2008年4月4日、グンダライ議員の議員特権停止の要求書を国会に提出した。これに対し、グンダライ議員は、この要求書は不法である、と非難した。その理由の一つとして、先の4議員の
議員特権問題に関する決議が憲法裁判所によって違憲である、との裁定が下され、これに対する国家大ホラル(国会)の再決議が出ていないことをあげ、汚職対策本部を非難した(ウヌードゥル新聞2008年4月8日付)。グンダライにはいろいろ問題があるものの、これは正論であろう。
この憲法裁判所裁定に関し、国家大ホラル(国会)行政制度常任委員会が2008年4月8日開催され、憲法裁判所が出した裁定を支持する採決を行った(ウヌードゥル新聞2008年4月9日付)。
すなわち、国家大ホラル(国会)議員は、国会による議員資格停止決議がない限り、逮捕できない、ということである。
貯蓄銀行公金詐取事件に連座して、
フレルスフ有罪判決が出されたが、この判決の取り扱いも微妙なものとなるであろう。現に、先の行政制度常任委員会での審議でも、そういう趣旨の発言があった。当然のことながら、ビャンバドルジ憲法裁判所委員長は、審議していない事柄には答弁できない、と回答していた。
筆者は、このフレルスフ議員に関する有罪判決に、エンフバヤル大統領の影響力が行使されたのではないかと指摘していたが、グンダライ議員も、そのように感じたのであろうか、奇妙な行動に出た(注:もっとも、彼の行動の多くがそうなのであって、「朝言ったことが夕方には180%違った言葉になっている」、という説が定評になっている)。
グンダライは、2008年4月9日、自ら創立した国民党から脱党し、民主党に再入党する、と発表した。
彼は、これより先、2008年4月8日、国民党イフホラルダイ(注:幹部会のこと。実は、5月に開催する、といわれていた)を開催し、党員および党首から退く要望書を提出した。
彼は、その際の説明として、「抑圧と独占の体制が確立した現在、民主党に加入するしかない」、と述べた。グンダライは、国民党を解党する意見を出したが、国民党党員たちから受け入れられなかったので、自ら退き、民主党に加入した、という(ウヌードゥル新聞2008年4月10日付)。
国民党党員たちの意見は、当然のことであろう。もっとも、個人の政党への加入・脱退は、自由なのであって、何ら非難すべきことではないであろう。また、民主党は、2008年国家大ホラル(国会)議員選挙では、先の(苦い)経験(注:「祖国民主」同盟が解体し、国家大ホラル(国会)会派とは認められなくなり、人民革命党会派に加入したこと)から、「同盟」ではなく、「統一」(注:正確には「吸収」)を各党に呼びかけていた。国民党にもそれを働きかけていた。
民主党は、当選可能な(と思われる)議員を一人確保しようとしたのであろうが、グンダライは、この行動によって第2回目の「政治的自殺」(注:М.エンフボルド政権への参加のこと。皮肉なことに、その保健相在職時の汚職問題で、今回、彼は窮地に立たされている)を行った。今回の行動によって、グンダライの政治的生命は終わった、とみるべきかもしれない。
それはさておき、「抑圧と独占の体制が確立」した、とグンダライが述べているように、ここでもエンフバヤル大統領の影響力が行使されている。
エンフバヤル大統領が冒頭演説で述べたように、「国会内の内紛」いいかえれば「政治不安」がこの4年間の特徴の一つである。この原点は、2004年選挙での議席数の「究極のバランス」状態であった。しかし、実質的には、当時のエンフバヤル政権の敗北であった。このことは再三指摘してきた。
これは、経済状況の反映であった。
人民革命党党首(当時)エンフバヤルは、中道左派路線としての「社会民主主義」を採用して、2000年選挙を勝利に導いた(注:民主連合政権の腐敗にも助けられたのだが)。
その結果、モンゴルに貧富の差が拡大した。汚職も蔓延した。このことは、国民に不満と抑圧感を醸成した。
また、国民は、モンゴル社会主義の伝統的経済手法であるところの、「国富の平等な分配」を支持している。これが、「子供に1万トグルグ支給」という選挙公約を掲げた「祖国・民主」同盟の実質的「勝利」の意味であった。
その後、国民の「閉塞感」を背景に、市民運動が興隆した。彼らは、エンフバヤルを主要な攻撃目標にした。
エルベグドルジ政権(2004〜2006年)、М.エンフボルド政権(2006年〜2007年)、そしてС.バヤル政権(2007〜)は、こうした国民の声を背景にして、給料・年金の増額、物価値上がり(インフレ)抑制、汚職撲滅対策、地下資源の国有(度の拡大)、などを推進していった。
こうして、IMF路線を受け容れるエンフバヤル大統領(注:あるいは「政治・経済独占体制」(ニャムドルジ、グンダライ述)。ちなみに、ニャムドルジ国家大ホラル[国会]議長解任もこの文脈でとらえることができよう)と、「貧困」と「富の不平等な分配」に反対する国民との間の「国内矛盾」が、今後どのように推移するか、注目される。(2008.04.13)
