貯蓄銀行公金詐取事件第一審判決下る(2008年3月18日)

今から約1年前、貯蓄銀行公金詐取事件が起こった。

この事件の第一審公判が、2008年3月17日、ウランバートル市チンゲルテイ区で始まった。

被告たちは、検事側の論告をほぼ認めた。

その判決が、翌3月18日(18時)、下った。

それによれば、主犯Ц.チメドツェレンに対し、10年1ヶ月の禁固刑有罪判決、フレルスフ議員に2年1ヶ月の禁固刑が言い渡された(ウヌードゥル新聞2008年3月18日、19日付)。

ここで注目されたのは、被告として召喚された被告の中に、フレルスフ国家大ホラル(国会)議員が含まれていたことであった。

У.フレルスフは、ヘンティー・アイマグ選出の国家大ホラル(国会)議員で、人民革命党から立候補して、1996年以来3期連続して当選している。彼は、1996年には最年少で選出された。

フレルスフは、人民革命党では左派に属し、かつては人民革命党内組織「モンゴル民主青年同盟」を率いていた。当初、エンフバヤル元党首(現大統領)に忠実であったが、その後、反旗を翻し、「反エンフバヤル」の急先鋒となった。

被告チメドツェレンがこの「モンゴル民主青年同盟」の幹部であったことから、彼の詐取した公金がフレルスフらに流れたのではないか、という疑惑が生じていた。

こうして、その捜査のため、フレルスフ、ザンダンシャタル(注:モンゴル民主青年同盟現代表)、バダムジョナイの3議員に対する議員特権停止問題が起こっていた。その際、国家大ホラル(国会)は、議員特権停止反対の決議をした。

こうした背景の中、どういう訳か、この公判にはフレルスフが含まれていた。

検事論告によると、フレルスフは、チメドツェレンから「フルゴン」(注:モンゴルでよく見かける旧式ロシア製四輪駆動車)を受け取った、というものであった。

これに対し、フレルスフは、チメドスレン被告が党(注:人民革命党)に寄付を申し出たので、УАЗ-Хурд社から車の寄付を受け、自分名義で登記した、と陳述した。

この判決に対し、ヘンティー・アイマグの住民たち70人が不満を表明した(ウヌードゥル新聞2008年3月21日付)。

この事件の公判過程を新聞で読む限り、フレルスフに対する判決は、不当であるように思われる。

これによって、フレルスフが収監されたかと言えば、そうではない。継続して議員活動ができる。

彼に対する本来の判決は、禁固5年1ヶ月であるが、特赦法により3年を減刑し、2年1ヶ月となった。

さらに奇妙なのは、裁判官自身がフレルスフに対し控訴を勧告している。

この事実から察して、フレルスフに対する判決には、エンフバヤル大統領の影響力が作用しているかもしれない。(2008.03.23)

(追補)2008年7月8日、控訴審が開かれ、ウランバートル首都裁判所は、У.フレルスフに無罪判決を下した(ウヌードゥル新聞2008年7月9日付)。当然といえば当然である。(2008.07.10)

トップへ
トップへ
戻る
戻る
次へ
次へ