
土地所有法施行(2003年05月01日)
とうとう来てしまった。「土地所有法」施行の日が。もちろん、時間は止まることなく流れていく。5月1日に何か特別な現象が起こったわけでもない。実際のところ、この日は、少々肌寒いが、はすがすがしい朝から始まり、いつものごとく夜9時過ぎに日没を迎えた。
ここで、土地所有法をめぐる論点と、筆者の意見をまとめておこう。
「土地法」改正(2002年06月07日)に基づき、「土地所有法」が採択された(2002年06月28日)。当該法の特徴は、モンゴル国民に土地を私有させること(=0.07haの土地片をモンゴル人家族に無料で支給すること)にあった。
政府案が国家大ホラル(国会)に上程されてから、1週間で採択された。
当然のごとく、野党は反対した。市民の意志・共和党は、時期尚早である、土地の私有化はモンゴルの伝統にそぐわない、従って、国会内外で議論を尽くすべきである、と主張して反対した。
民主党も反対した。ただし、土地の私有化に反対したのではなく、私有化の規模に反対した。一部の党員は、現在占有する土地を無制限、無料で私有することを唱えすらした。
農耕地の所有を請願する、トラクター・デモが起こった。この農民たちの切実な要求は、バト=ウールらによって政治的に利用された。だが、政府は農民たちの農耕地所有は認めざるをえなかった。
以上が土地所有法を巡るあらましである。
この「土地所有法」は、1990年代において、クーポン方式民営化(「小分割」)以来、着々と進んできた「モンゴルの資本主義化」の最終的仕上げである。これを拙速に推進する背景には、第一には、エンフバヤル首相の米訪問(2001年)での、ブッシュ大統領の要請、第二には、国際援助機関、支援国の計画がある。この過程は、モンゴルを貧富の差の拡大、貧困化、荒廃に導くであろう。かつて、一部のアフリカ諸国がそうであったように。
(ちなみに、この過程は、都市の若者たちによって始められた「モンゴル民主化運動」を裏切るものであった。)
これが筆者の意見である。
では、まず、「土地所有法」施行日として指定された2003年05月01日に、モンゴル人はどう対応したか。
それに先立ち、この土地所有法は、どのような手続きを経て支給されるか、を述べておかなければならない。
この手続きは、1)16歳以下の被扶養者の存在を証明する文書、2)現住所、3)現住所の行政長の添え書き、4)現住所の地積図、を添えて、所属行政庁に提出し、認証を受ける(ウヌードゥル新聞2003年05月01日付)。ウヌードゥル新聞(2003年05月02日付)は、ウランバートル市バヤンズルフ地区住民評議会事務局において、上の認証取得者を紹介している。それでも諸般の事情からみて、5月1日に、一度だけ無料で、という当初のもくろみは実現されず、今後2005年まで2年間の期間を要する、と言うことになろう。
また、当該法は、ゲル地区から実施される。逆に言えば、ウランバートル市民(あくまで税金を支払っている国民のこと)は、郊外に土地が所有できると言うことである。もちろん、その際の問題点は、環境整備にある。このゲル地区は、ゾスラン(夏期のいわゆる「別荘」)へ行く途中に、人々によって事実上占拠されている。そのほとんどは、0.07ha以上である。この土地片が私有化される。、と言うことである。そして、ゾスラン自体も今後、2段階の過程を経て私有化される。
さて、ウドゥリーン・ソニン新聞(2003年04月30日付)によれば、「土地所有法が明日から施行される」という見出しでで、新聞紙一面全部を割いて、モンゴル国民の対応を伝えている。
それによると、オロムジャブ(高齢者)は、「土地所有概念を国民は理解していない。これは、一部の私有を欲するもののたくらみである。モンゴルは貧困化が進んでいる。経済成長を遂げているというのは嘘である。」
プレブドルジ(スフバートル地区第8小区住民)は、「いつ、どこの土地が所有できるのか知らない。」
ムンフナサン(若年個人労働従事者)は、「結婚していないものが私有できないのはおかしい。成人すべてに土地を与えるべきである。」
ツェルマー(高齢者)は、「いまさら土地を所有しても仕方がない。」
チンゾリグ(科学技術大学講師)は、「申請書を登録したが、まだ承認されていない。市民への広報活動が不足している。大部分の人々は理解不足である。」
つまり、モンゴル国民に対する、政府の広報活動はなく、どこの土地をどれだけ私有できるか、わからない、あるいは、この土地私有化そのものが理解できない、と言ったところであろう。
これは、モンゴルでの土地私有化の問題点を剔出している。実際、筆者の知人たちが語るところでは、モンゴル人の中では無関心のものが多いし、理解に温度差がある、という。
例えば、家族に土地片が支給されるのだが、離婚して、あるいは配偶者と死別して、独身になった人も、資格がある、と言う。また、エルデネトに「戸籍」があって、ウランバートルに居住する家族は、ウランバートルにではなく、エルデネトで土地片が支給される(らしい)。その際は、ウランバートルでは、郊外に(あるいはゲル地区に)、エルデネトでは中心地に、その土地片が支給されるだろう。つまり、地方の人々は郊外には土地が所有できない、ということになって、中央と地方との格差が生ずる。また、外国人女性と結婚したモンゴル人男性は土地片が支給されないと言うことも聞く(注:これはどうもデマのようで、現地情報では支給されるという。もちろん上記手続きが必要となろう)。また、上にあるとおり、経済的理由で、両親と同居を余儀なくされている、独身者にも土地片は支給されない。
ここで、付言すると、なぜ、憲法で「モンゴル国民は土地を所有できる」と規定されているにもかかわらず、「土地所有法」では、家族にその支給が限定されたのか。この問題をとらえて、市民の意志・共和党は、憲法裁判所に二度、提訴したが、憲法違反ではない、として却下された。
その現実的な理由は、かつてのクーポン式民営化(=全国民に一律に国家資産を分与)の「失敗」(注:国有財産委員会自身がそういっている)の反省の上に立っているからであろう。つまり、経済活動不可能な0歳児から、労働年齢成人、高齢者まで、一律に支給することによって、不平等が生じた。
ところが、今回は、逆に経済活動をしているが、経済的理由で両親と同居を余儀なくされている労働年齢成人は(社会意識が高い独身学生を含めて)、土地片が支給されない、という不平等が生じる。
そこで、政府は、この矛盾を取り繕うべく、新たな口実を見つけた。つまり、「憲法の言う『モンゴル国民』というのは、外国人を除外する意味なのだ」(エンフバヤル)、と(ゾーニー・メデー新聞2003年05月01日付)。これなどは、日本国憲法第六条と自衛隊創設の関係にも等しい、噴飯ものだ。
そこで、政府は、「土地所有法は歴史的決定である」、として、その意義を強調している。その割には、その内実を知らせようとはしない。本音は、「国民はすべて、数百万、数千万トグルグの資産がもてる」(ウヌードゥル新聞2003年05月01日付)、と言うところにあるのであろう。もちろん、この「国民」というのは、富裕層のことである。
また、4000のゲル居住者は、電話線、上下水道、高圧電線のある地区に位置しているので、移動しなければならない(つまり、土地追い立てということ)(ウランバータル・ポスト紙030501 No.18(363))。
これをふまえて、政府は、「土地競売規則 2003年代28号決定補足」を公布し(ゾーニー・メデー新聞2003年05月01日付)、「土地取引所」開設を予定している(モンツァメ通信03.04.22)。これは、いったん、無料で支給された土地片を、富裕層が買い漁り、大土地所有者として、自己の経済的地位を(従って政治的地位も)確固たるものにする措置である。つまり、貧富の差の拡大が必至である。
モンゴル国民を待ち受ける運命は、深刻なものになるといわざるをと言わざるを得ない。それに抗するには、まず、モンゴル人自身がこの「土地所有法」の持つ意味をよく理解することから始めなければならない。今からでも遅くはない。モンゴルという国は、悪いものはすぐ訂正・消去してしまうことがよくある国だから。(2003.05.03)
(追補)土地所有法施行後、約1週間の時点で、ウランバートル市で287世帯が、地方では約3000世帯が申請をしたという(モンツァメ通信2003.05.08)。これは、極めて少ないと言わなければならないだろう。(2003.05.13)
