最近の出来事の現状(2004年3月31日)

筆者は、モンゴルで起こっている出来事について、歴史的観点から論評してきたが、そのいくつかは事態が継続している。それらについてみておきたい。

まず第一に、「ズールン・エフ」協会被害者によるハンガーストライキについて。このハンガーストライキは数ヶ月間継続中であった。彼らのねばり強い闘争はようやく解決の兆しが見え始めていた。それが、2004年3月26日、終結を見た。

その経緯は、こうである。3月22日、ハンガーストライキ参加者11人を含む、「ズールン・エフ」協会被害者31人は、社会保障・労働相副大臣С.チンゾリグと交渉を行った。チンゾリグは、ストライキ参加者を台湾に派遣する案を提案した。31人のうち27人はそれを受け入れた。残りの4人はあくまで日本渡航を主張した。3月26日、彼らは、社会保障・労働相担当者および(労働)仲介局担当者と二度目の交渉を行った。そして、「ハンガーストライキを14時に中止する」という誓約に両者が署名した(ウドゥリーン・ソニン新聞2004年3月27日付)。

彼らのねばり強い闘争は、清朝支配期末期からボグド君主制期に起こった、「アヨーシの牧民運動」を想起させる。モンゴルにはこうした「革命的伝統」が歴史の底流となって脈々と流れ続けている。

第二に、モンゴルの政党の中で、最も清新であり、モンゴルの旧弊と闘っている、市民の意志・共和党の現状について。市民の意志・共和党は、民主党、民主新社会党と「三角同盟」を結成し、今年(6月27日ともいわれているが)の国家大ホラル(国会)議員選挙に臨む。

この三角同盟は、政治的には選挙目的の寄せ集めで、民主党と民主新社会党による、「祖国・民主同盟選挙綱領」も非現実どころか、再び経済混乱を引き起こしかねない危険なものである(注:すなわち、18才未満の児童に毎月1万トグルグ支給、4万戸分のアパート無料建設、牧民の所得税5年間免除、ゼロ関税制度復活、というもの。ウヌードゥル新聞2004年03月20日付、「祖国・民主」同盟組織局長ゲレルチョローンへのインタビュー参照)。

であるから、市民の意志・共和党にとって、あまり得策ではないと思われるが、この政党は独自に《АААーБББ》という政策綱領を作成し、三角同盟に参加する以前から、そのパンフレットの流布、宣伝に努めてきた(ちなみに、筆者もその一部を副党首Ц.ガンホヤグから入手している)。その結果が、2004年3月31日に開かれた小集会で報告された。

ガンホヤグによると、このキャンペーンの趣旨を理解した人々(全体の51%)のうち、86%が同党支持を表明したという。

だが一方で、興味深い事実も報告された。同党党首オヨンによれば、彼女は政府の「汚職対策国民諮問委員会」(会長ビャンバドルジ国家大ホラル[国会]副議長)の委員であるが、1)その委員たちは活動に不熱心で、予算のムダだという人もいる、2)彼女だけが国家大ホラル(国会)議員資産公開を行ったが、他の議員はプライバシー保護を理由にそれを実行していない、3)ビジネスマンがウランバートルで土地を賃借するのにランドクルーザーを賄賂として要求した担当者がいる、4)国連が汚職対策のための助成金80万ドルを支給すると知り、外遊できると喜んだ委員がいる、という。

こうした与野党の否定的側面の根強い残存の中で、三角同盟に参加する以前から実施されていた、市民の意志・共和党の《АААーБББ》キャンペーンが、三角同盟選挙綱領に反映させることができるか、それが今後の焦点となるだろう、とウヌードゥル新聞(2004年04月01付)は書いている。筆者もこの意見に賛成である。財政基盤が弱く、国民の支持だけが頼りの、この政党が三角同盟に参加して、政治算術に巻く混まれれて、解党の危険を犯すのは、モンゴルにとって不幸であろう。

第三に、選挙法改正問題について。この改正案は結局、見送られることになった。

すなわち、2004年度春期国家大ホラル(国会)は、選挙法改正案の審議を行わないし、それを審議するかしないかも総会で採決しないことになった。その表向きの理由は、2003年10月末に承認された「人権基本綱領」に、「六ヶ月以内に選挙法改正をしてはならない」、という条項があるためである、という。だが、選挙法改正案に含まれている、「不法に国有財産を奪った者、銀行に負債を抱えている者、などを立候補禁止にする」という条項が、政治家たちを恐れさせており、彼らが国際機関を巻き込んで反対しようとしている、という。これを与党が警戒したのが真の理由だという(ウヌードゥル新聞2004年03月31日付)。

選挙実施の6ヶ月以内に選挙法を改正するのを禁止するのは当然のことである。だが、何はともあれ、上述のごとき政治家たちは歴史から淘汰されていくだろうが、とりあえず、彼らはこの選挙での立候補は可能になった。モンゴル国民にとって不幸であるが。

第四に、バーバルによる名誉毀損罪について。バーバルは、3月26日、29日、30日、弁護士同席の元に取り調べを受けた。そして、3月31日、名誉毀損罪で検察庁に書類送検された。ゾーニー・メデー新聞(2004年03月31日付)によれば、バーバルは、これまでも様々な人々に対し、非難中傷を行ってきており、今回の事態は氷山の一角のようである(同新聞はその事例を紹介しているが、筆者は証明できないので紹介しない)。バーバルに対する政治粛清だというのは、やはり強引な論理のようだ(注:筆者は、1997年の国際モンゴル学会の政治経済法律分科会で同席したことがあるが、彼は、椅子にふんぞり返って、傲岸不遜な態度であった。こういう人物はモンゴルでは数少ない。こう書くと、名誉毀損で、政治粛清である、と彼は言うであろうか)。(2004.04.04)

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