
ハンガーストライキが解決の方向へ(2004年02月12日)
このハンガーストライキについては、筆者もその現地に行ったことがあったが、新聞も報道していた。ウドゥリーン・ソニン新聞は、2004年01月17日、記者によるルポを掲載している。それによれば、1月16日、記者たちはスト参加者にインタビューをした。
スト参加者は、男性5人、女性3人である。具体的には、О.ニャムボー、Ч.ダシフー、О.トゥルバトたちである。「全員疲弊し、身体が冷え切って、彼らの手を握ってみると、非常に冷たかった。体を動かすのも大儀そうである。(彼らのうちの)二人が病院に運ばれた。体重が8〜9キログラム減った」。
Ч.ダシフーの語るところによれば、兄弟4人で総額1万ドルを(「ズール・エフ」協会に)払い込んだ。(この金を集めるのに)4部屋のアパートを担保にしてお金を借りた。また、О.ニャムボーは7000ドルを払い込んだ。
1月12日、社会保障労働大臣Ш.バトバヤルと直接交渉した際、彼は、社会保険センターへ行けば、食事ができ、暖かい部屋もある、と見下すように言ったという。
1月14日、社会保障労働省行政監査局長ガンボルドが来て、彼らに対して、慰問の言葉をかけ、もし一人でも命を亡くせば、その責任は、このハンガーストを組織したNGO「人権倫理運動」「ニューウェーブ運動」にある、と述べた。さらに、スフバートル区警官68人が来て、彼らを強制的に退去させようと試みたが、失敗に終わった。
ドンドゴビ、アルハンガイ、セレンゲ、ダルハンから来たハンガースト参加者たちは、この闘争は次の段階に移行させるつもりである、と語った(以上、ウドゥリーン・ソニン新聞は2004年01月17日付)。
3ヶ月に亘って続行された、このハンガーストライキに対し、その解決に向けて、法務委員会委員長シャラブドルジおよび国家大ホラル(国会)議長顧問が調停に乗り出した。
彼ら両人は、「ズールン・エフ」協会会長ツェレンデジドが124人各自から集めた3500ドルを、それぞれに返還するように指導した。
また、この協会を認可した、社会保障労働相Ш.バトバヤルに対し、警察が取り調べを開始している。もっとも、彼は、法律に準拠して認可したが、2003年12月26日、日本側受け入れ先の「誠心会」がその業務をキャンセルしたのを受けて、「ズールン・エフ」協会認可を取り消したのだ、と述べている(モンツァメ通信2004.02.12)。
集めた金の返還措置は道理ある解決方法であろう。
一方、社会保障労働相Ш.バトバヤルに対する警察の取り調べは、一見奇異な感じがするかもしれない。社会主義の伝統を「継承」するモンゴルでは、国民はその被害の補償を国家に求め、その責任者の処分は当然と考える。
それと同時にまた、このハンガーストライキは、清朝支配期に起こったモンゴル牧民運動の歴史的継承という一面も持つ。
だが、資本主義精神がモンゴルを「侵害」している現今にあっては、この行為は、残念ながら、余り受け入れられなくなっている。
それにもかかわらず、Ш.バトバヤルに対する尋問が行われているのは、以前から、彼には汚職の噂が絶えないからである。エンフバヤル政権には比較的有能な閣僚が多いけれども、その中にあって、このバトバヤルには、各種認可申請に当たっての収賄行為が数多く指摘されてきた。国家大ホラル(国会)議員選挙を目前に控え、その影響を危惧した政府が、形式的にではあっても取り調べをせざるを得なくなったのであろう。
それを実証するかのように、アルドチラル新聞は、この事態をめぐって、エンフバヤル政権の責任を追及している(アルドチラル新聞2004 No.42/22)。
ただ、この民主党系新聞の記事は、ゾリグ暗殺事件の責任を巡る内輪もめ(エンフサイハン派対ゴンチクドルジ派による)を拡散させようという意図が露骨で、論評するほどのものではない。ちなみに、モンゴル中央情報局によって、ゾリグ議員暗殺実行犯がダルハンで逮捕されたらしく(当然その暗殺を命令した人物が尋問されるであろう)、民主党の面々は戦々恐々としている。おそらく実質的な長であるエンフバヤル首相(当然その氏名が報告されるはずである)は、選挙前の適当な時期を見はからって、その内容を公表するであろう。その内容によっては、民主党は壊滅の危機にさらされるかもしれない。(2004.02.16)
(追補)上記「ズールン・エフ協会」詐欺事件の被告Ц.アマルサインおよびБ.ツェレンデジドは、懲役10年の判決を受け、控訴していたが、最高裁はこの判決を支持した。この結果、彼らに対する実刑が確定した(ウヌードゥル新聞2006年03月06日)。(2006.03.16)
(追々補)Ц.アマルサインは、2006年06月07日、受刑中に病死した(ウヌードゥル新聞2006年06月08日付)。(2006.06.09)
