
NICが再び民営化された(2004年02月17日)
再度行われたNIC民営化の競売では、ペトロビス、マグナイ・トレイド、タス石油、オランズ・エンタープライズ(米)が応札していた。
モンゴルの石油供給事情から見て、経験の少ないタス石油、オランズ・エンタープライズ両社は、評価点が70点以下だとして、封印されていた落札提示価格を開封しないまま、返却された。
このことについて、オランズ・エンタープライズ(米国)のモンゴル側代理人は、この民営化は外国投資家を拒否するものだとして、反対を表明した。オランズ・エンタープライズ社は、899万999ドルを提示した、という(モンツァメ通信040217)。後述のごとく、この反対表明はモンゴルの現在の事情とかけ離れた見解であろう。落札価格が問題ではないのである。
落札企業であるペトロビス社の副社長Ч.ダバーニャムは、「我が社は今後5年間に1600万ドルを投資をして、NICを発展させる」、と述べた(ウヌードゥル新聞2004年02月18日付)。
この民営化について、プレブドルジ国有財産委員会委員長は、APUがモンゴル・香港、商業発展銀行が米・スイス、農牧業銀行が日本、モンゴル社会保険銀行がロシア、そしてNICがモンゴル、による所有に帰した。これは悪くない(所有の)構成である、と自画自賛の見解を発表した(ウヌードゥル新聞2004年02月18日付)。
さて、再度行われた、この民営化について再び考察したい。
モンゴルでは民営化は1992年に始められた(くわしくは
「民営化の10年」参照)。この民営化は、第1期がクーポン券支給による民営化、そして、1996年から始まる第2期の民営化は、住宅(アパート)の民営化がそのハイライトであった。この二つの民営化は、国有財産をモンゴル国民に無料で分割するものであった。第3期が競売による基幹産業の民営化である。今回のNICの民営化はこれに相当する。
この「基幹産業の民営化」について、民営化理論の一つの牙城である、経済財政大学が出版した著書によれば(ちなみにこの大学はセルベ川に架かる獅子橋をへだてて商工業大学と対峙している)、モンゴルの基幹産業とは、「国際水準から見て技術面において改革が必要であり、市場経済に適合した経営が求められ、国際競争力を持つ必要のある経済単位」(p.140)であって、それを「外国の投資家に売却することによって、・・・・・・脆弱な経済を強化する」(p.141),、という。
もっとも、NIC民営化の問題点として、「収益が少なく、出費が多い遠隔地の利用者に、ガソリンを供給しなくなる可能性がある。これは市場経済制度の結果である。・・・・・民営化に際して、この点[遠隔地へのガソリンの供給]を義務づける必要がある。」(p.142)、と指摘している(Ж.Батхуяг, Монголын Хувьчлалын Онол, Практикийн Асуудлууд, СЭЗДС-ийн хэвлэх vйлдвэр, Улаанбаатар, 2001)
この理論に準拠するかのように、最初の民営化が行われた(
「NICが民営化された」参照)。そして上の著書で指摘するような問題点は、筆者も指摘しておいた。この会社を「拙速に」、「『外国の投資家』に売却」したのは、上の著書による理論的裏付けがあったからでもあった。
しかし、この民営化は、「国家安全保障の見地」から取り消されたのだった(上記「
NICの民営化が取り消された」参照)。このことは上の理論の自己否定であったといえる。
つまり、モンゴル基幹産業の技術面経営面での改革を、「外国の投資家」に依拠することは、危険性を伴うものである、ということが(注:地方の消費者を犠牲にするものであることは上の理論書の指摘は正当であるとしても)、明確になったのである。
再度行われたこの民営化は、慎重にそれが回避された、といえよう。モンゴル市民に聞くと、この民営化に歓迎の体である。首都ウランバートルでは、NICに対抗する、国内私企業であるペトロビス社の販売するガソリン価格が、国有公社であるNICのそれよりも安価である、ということを、モンゴル市民は知っているからである。
問題なのは、地方消費者への石油供給である。依然として、上の指摘の危険性(すなわち、利潤を生み出さないという理由での、地方におけるNICガソリン・スタンドの閉鎖)はある。これは、今後も警戒しなければならないだろう。
筆者の意見では、NICの民営化は経営の自助努力によって回避すべきものであるが、それが行われた以上、「消費者連盟」の活動を強化し(現在、モンゴルには存在するのだが、特に地方での活動は弱い)、モンゴル国民の公益を無視した、利潤本意の企業活動を監視しなければならないだろう。(2004.02.23)
