バーバルが名誉毀損罪で取り調べ(2004年03月24日)

民主同盟連合政権時代の国家大ホラル(国会)議員で、エルベクドルジ政権の大蔵相だった、Б.バトバヤル(バーバル)は、2004年3月23日、警察庁から召喚状を受け取った。その経緯は以下の通りである。

ニャムドルジ法務内務相がバーバルを名誉毀損で検察庁に告発した。それを受け、検察庁は警察庁に対し、取り調べのために、彼を召喚するように要請した。彼が、2004年3月1日、刑法111条第2項、110条第1項に抵触する行為を犯した、との判断からであった。バーバルは、3月24日10時45分、「事件登録所」に出頭し、各種新聞および自分のwebサイトに、その行為に該当する(と警察庁が判断した)文章を自分で書いたことを認めた。そこで、「事件登録官」は、検察庁にそれを報告し、3月24日13時15分、彼を被疑者として逮捕することを通知した。だが、バーバルは、弁護士がいないことを理由に、逮捕状に署名することを拒否し、3月26日に出頭することを約束した。有罪になれば、5年以下の禁固刑になる(ウヌードゥル新聞2004年03月25日付)。

ここでいう「召喚状」の内容は、「Ц.ニャムドルジが外国の情報機関と関係していた、フランスからД.エンフバトを拉致した、いわゆるツェントルポイント事件を引き起こした、Ж.バータル将軍を刑務所に留置した、などと中傷行為を行った。このことは、『モンゴリン・メデー』およびその他の新聞、インターネットwebサイトで証拠として残されている。これは、バト=エルデネ・バトバヤルに、刑法111条第2項、110条第1項に抵触する行為があったということである。そこで被疑者として召喚する」、というものである(ウドゥリーン・ソニン新聞2004年03月25日付)

このバーバル逮捕の政治的、社会的意味は何か。

まず、ニャムドルジ法務内務相と政府当局が命じた「政治的粛清」である、という主張がある(ウドゥリーン・ソニン新聞2004年03月25日付)。ここでいう「粛清(хэлмэгдv v лэл)」とは、歴史的にいえば、1920年代のダンザンたちの処刑、1939年のハルハ河戦争(ノモンハン事件)を契機とするスターリン=チョイバルサンが仕掛けた反対勢力の一掃、およびゲンデンら、そしてラマ僧たちの処刑、1960年代の反ツェデンバル派の毒殺(=伝統的な手法)、サンボーたちの地方追放などをさす。これらに共通する特徴は、「日本のスパイ」、「反政府行為」、という証明できないレッテルを貼り、超法規的かつ恣意的に個人を抹殺するか、その地位を剥奪したことであった。

だが、バーバルのそれは少し違う。ニャムドルジがバーバルを告発した機関である検察庁は、大統領所属であり、法務内務相所属の警察庁とは異なる。現在の大統領バガバンディは、人民革命党党首を務めていたとはいえ、憲法遵守をその基本理念にしているから、しばしば現政権と衝突している。だから、ニャムドルジの恣意的行為のはいる余地はない。つまり、「超法規的」に行われたわけではない。

しかし、「政治的」ではない、とは決していえないだろう。元来、この「ニャムドルジ・スパイ疑惑問題」は、民主党が仕掛けた「政争」であった。それに関係して、グンダライ、エンフサイハン、バータル元情報局長官(エンフサイハン政権下で、かつ、オチルバト元大統領による任命)らが取り調べを受け、バータルは有罪(禁固8年)になった。ちなみに、エンフサイハンのボスにあたるオチルバトの娘婿の家にバータルは潜んでいた。つまり、この事件は、民主党あげての政治的陰謀であった。

一方、人民革命党機関紙「ウネン」は、「自分は潔白である」、「スパイ・ニャムドルジは・・・知的に劣っているからスパイではない」と、論理的には矛盾する言い方で、バーバルが言い逃れた、と非難している。そして、この行為は、「狡猾な聖人」であろうとするものだと反論している(ウネン新聞2004年03月26日付)。これは、政府与党である人民革命党の公式見解である。

バーバル自身は、「この取り調べは私の名誉を毀損するものだ」(モンゴリン・メデー新聞2004年03月25日付)、と述べ、さらに、「私のwebサイトには証拠となる文章はない」(ウドゥリーン・ソニン新聞2004年03月25日付)と言っている(注:現在、バーバルのwebサイト、http://www.baabar.com/はアクセス不能である)。

いずれにしろ、バーバルがニャムドルジに対して名誉毀損に相当する行為をしたかどうかは、今後、裁判で明らかになるであろう。

民主党系のウドゥリーン・ソニン新聞を代表格にして(特に選挙が間近になると)、証拠の裏付けのない記事が多くなる。この傾向は、1990年代にはいり、資本主義がモンゴルに流入し、民主主義と資本主義とを同一視し、「自由」と「恣意」とを混同したことに由来する。

「2003年の代表的言論人」に選出されたバーバルが、その傾向に拍車をかけた、といっても言い過ぎではなかろう。その意味で、こうした傾向に歯止めをかけることになれば、この「事件」の社会的意味は決して少なくないだろう。(2004.03.28)

(追補)バーバルは、3月26日11時に、弁護士Н.トヤと共に警察庁「事件登録所」に出頭し、1時間以上に亘って「取り調べ(мэдv vлэг)」を受けた。逮捕されたかどうか今のところ不明である(ウドゥリーン・ソニン新聞2004年03月27日付)。(2003.03.28.AM.10.20)

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