2010年第一四半期のモンゴル国内政治に新たな動き(2010年3月8日)

モンゴルは、旧正月(注:今年は2月14、15、16日)が過ぎると、砂嵐を伴う春が来る。そういう季節に合わせたわけではないが、モンゴル国内政治があわただしくなってきた。

政権与党の人民革命党では、С.バヤル党首は、病気治療のため渡米していたが、その治療を終えて帰国する。それに合わせたかのように、党首交代問題が浮上してきた。

元来、国家大ホラル(国会)法および人民革命党党規約では、党首が首相を兼任することになっている。現在の党首のС.バヤルは、自らの健康問題のため辞任し、С.バトボルドが首相に就任した。だが、党首はС.バヤルのままであった。

これは上記規約からみて不正常であるとして、若手党員たちを中心として、党首交代要求が出された。

一般的に言えば、上記規約からみて、С.バトボルドが党首に就任するのが順当であるが、その中で、書記長У.フレルスフは、エンフトゥブシン(国家大ホラル[国会]行政制度常任委員会委員長・党内派閥「伝統・革新ー民主・公正」グループ元代表)を推薦する動きを見せ始めた。さらに、人民革命党党内では、М.エンフボルド副首相、ニャムドルジ法務内務相、エンフバヤル前大統領を担ぐ動きがある(モンゴリン・ネグ・ウドゥル新聞2010年3月6日付)。

この動きは、人民革命党が政権与党であるだけに、モンゴル国内政治に影響を及ぼすであろう。

一方、С.バトボルド政権に参加している民主党でも、国家大ホラル(国会)・安全保障常任委員会委員長のЗ.エンフボルドを中心として、「民主勢力連合」という派閥がまたできた。

そして、この2010年3月10日に第1回会議が政府官邸で行われ、800人以上が参加することになっている。その会議では、祖国発展に何が必要か、今後の行動をどうするか、という問題を協議し、その後、ウランバートル市と地方に支部が設立される予定である、という(ウヌードゥル新聞2010年3月1日付電子版)。

この動きは、民主党内で、С.バトボルド連合政権に参加している一派(注:「アルタンガダス」派)とそうではない一派とのと争乱である。これもモンゴル政治に影響を及ぼさないとはいいきれない。

さらには、100余りの市民運動体が合体して「市民運動連合」が結成される。そして、2010年3月11日に、デモ行進が予定されている。

この団体は、労働組合文化会館で集会を開き、その後、スフバートル広場までデモ行進することになっている(ウヌードゥル新聞2010年3月1日付電子版)。

これに関し、例のバトザンダン、マグナイたちは、記者会見をして、デモ行進実施の理由を次のように説明している。

すなわち、彼らの述べるところによれば、
1)モンゴル政治に監視機能がなくなっている、
2)鉱山部門への監視が必要である、
3)С.バトボルド連合政権下での監視機能がなくなった、
4)過去20年間で80%の人々が貧困層となった、
5)5つの政商(олигархия )グループが影響力を強めて、GDPの90%以上を手中にしている(注:「5つの政商グループ」とはタバントルゴイ石炭鉱山の採掘権をもつ「エネルギーリソース」社に資本参加している人々・企業を指す)、
6)鉱山部門の採掘権が外資企業、特に、中国の手中にある、
7)「オユトルゴイ投資契約」は違法である。タバントルゴイ石炭鉱山も外資に与えようとしている、
8)(政治)指導部は「モンゴル人の心(Монголоо гэх сэтгэлтэн)」がない、という(ウヌードゥル新聞2010年3月2日付電子版)。

バトザンダン、マグナイたちは、「健全な社会のための市民運動」を政党化させ、そして、2008年7月1日の「騒乱」を引き起こした(注:引き起こしたのは彼らだけではない)。さらに、その一部のグループは、「アノド銀行経営危機問題」の当事者となった。この結果、彼らは、モンゴル人(注:特にウランバートル市などの都市民)の支持を失った。

だが、ここに来て、彼らは、その勢力を復活させようとしているかのようである。上記の主張は誤りではない。

モンゴルは、今後、鉱工業部門を基礎に国家発展を図ろうとしているが、それをめぐる指導権争いがこうした動きの背景にある。

さらに、モンゴル労働組合連合(С.ガンバータル議長)は、終始一貫して、働くものの権利を擁護してきたが、今度、政府に対し、賃金引き上げを要求した(ウヌードゥル新聞2010年3月2日付電子版)。

一方、警察庁は、2010年3月4日、スフバータル広場周辺で警備「演習」を行った。これは、上記「市民運動連合」によるデモ集会に備えるものであろう(ウヌードゥル新聞2010年3月5日付電子版)。

警察庁のこの姿勢は、次の状況が影響を及ぼしていると思われる。

すなわち、上記2008年7月1〜2日の「騒乱」で、警官による5人の市民殺傷事件が起こった。これに対し、市検察庁は、2010年3月2日、この警官たちの行動は不法ではないという結論を出し、刑事告発を見送った。なお、市警察幹部たちは、「騒乱」を抑止できなかったことで有罪となったが、特赦が与えられた(ウヌードゥル新聞2010年3月3日付電子版)。

市検察庁のこの決定に対応して、警察庁が上記「演習」を実施したと思われる。

このように、モンゴル現代史の中で、モンゴル国内政治は動きが急になろうとしている。(2010.03.08)

(追補)上記人民革命党党首問題について、人民革命党は、С.バトボルド(首相)を党首に選出し(ウヌードゥル新聞2010年4月8日付電子版)、予想された混乱を回避した。(2010.04.18)

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