
アノド銀行にモンゴル銀行の監査(2008年12月10日)
世界金融混乱の影響は、モンゴルでは比較的少ないと言われているが、ここに来て、モンゴル銀行(注:中央銀行。А.バトスフ総裁)は、2008年12月10日、アノド銀行を監査し、営業を停止させた。これは、預金者の預金引き出しが多くなり、同銀行が混乱状態に陥っているためであるという。
(注:モンゴル銀行の告示文。ウヌードゥル新聞2008年11月11日付から転載)
С.バヤル政府は、これを以前から予測していたか、さる11月18日、「預金保護法」を成立させ、国民の貯金保護を表明していた。
モンゴルには現在、市中銀行が16ある。そのうち、有力な市中銀行として、「ゴロムト銀行」(ボディ・グループ[М.ゾリグト、バヤスガラン、Лу.ボルド]とスイスの資本[株式所有20%])、「商業発展銀行」(国内グループ[同85%]とアジア開発銀行と国際金融協会[同15%])、「ХААН銀行」(タバンボグド社[同50%]と日本のHS証券[同50%])などがあり、「アノド銀行」も有力な市中銀行の一つである。
アノド銀行の前身は、Д.エンフトゥル(現アノド銀行社長)が1992年に設立したアノド社である。現在のアノド銀行は、Д.エンフトゥルが社長を務めるほか、10人余から構成される最高経営者会議がある。同会議には、委員長としてЭ.グルアランズ、同委員としてН.ダバーが参加している。
(注:アノド銀行本店。チンギス・ホテル北側にある。この建物は、建設中は、ギリシャ建築のように見えた。筆者写す)
同銀行が多額の融資を与えている法人は、「ドゥンジンガラブ」商業センター(注:100万ドル以上という)、「モンゴルガザル」社(社長ミャンガンバヤル)、そして現国家大ホラル(国会)議員(注:氏名は公表されていないが、予想はできる)である。
アノド銀行は、貯金額1450億トグルグ、融資額1800億トグルグであり、融資の受け手である主要株主たちが多額の債務を返済していない。特に、2008年に、総額700億トグルグが貸し出されて、未回収となっている(注:バトスフモンゴル銀行総裁談)。
この内、Э.グルアランズとН.ダバーは、2008年6月29日に実施された国家大ホラル(国会)議員選挙で市民運動党から出馬した時、多額の資金を費消したといわれる(以上、ウヌードゥル新聞2008年12月11日付参照)。
この資金が融資として記載されていない疑いもある(UBポスト新聞2008.12.11電子版)。
モンゴル銀行によるアノド銀行監査に続き、2008年12月10日21時から翌12月11日5時にかけて、刑事警察と国家捜査局は、アノド銀行を捜査し、Э.グルアランズ、Н.ダバー、Д.エンフトゥルなど10人余りの所在確認と所有資産凍結措置を執った(ウヌードゥル新聞2008年12月11日付)。
さて、この「アノド銀行監査問題」のポイントは、市中銀行倒産(「疑惑」)の原因が放漫な融資による銀行保有資金の枯渇である。
かつて、多くの「貯蓄信用組合」が放漫な貸し付けで倒産し、預金者の怒りを買った。現在、「アノド銀行」もそうした事態を招いている。
第二に、政治的には、Э.グルアランズとН.ダバーは、「市民連合」より国家大ホラル(国会)議員選挙に出馬した(落選)。そして、市民運動党党首(バトザンダン)と副党首(マグナイ)は、
2008年7月1日の「騒乱」の首謀者として逮捕された。その後、この二人は、
「市民運動党」を見捨て、「民主党」に「避難」した。だが、代表たちを失った「市民運動党」は解党せず、党首にН.ダバーを選出し、第三勢力形成を目指している。
このН.ダバーが「アノド銀行監査問題」の当事者になった。このことは、「アノド銀行」の資金が彼の、「市民運動党」の、選挙資金になったのではないか、という疑惑が生じる。だから、市民運動党に対する市民の支持と、同党の今後の活動に否定的な影響を与えるであろう。
(補注1:市民運動党支持者の一人、Н.ダシゼベグ[モンゴル大学学長、経済学]は、アノド銀行の融資額と利子額が総額で2000億ある。これは不良債権ではなく、回収可能である、と述べ、同銀行経営陣を擁護している[ウヌードゥル新聞2008年12月12日付]。これは、市民運動党の動揺を最小限に食い止めようとする配慮から来ているであろう。)
(補注2:アノド銀行側は、国際金融の混乱の影響によって銀行業務が悪化し、さらに(これに乗じて)、政権与党(複数)が政治問題化したために、当行(アノド銀行)の業務が混乱に陥った、という見解を出した[ウヌードゥル新聞2008年12月13日付]。これは説得力に欠ける。)
政治家および議員と銀行癒着の典型例が、1998年の
「復興銀行合併問題」であるが、こうした事態が今後も起こらないという保障は、現在の体制が続く限り、ない。(2008.12.14)
(追補)モンゴル銀行による監査の結果、アノド銀行の最大債務者である「ドゥンジンガラブ」商業センター(社長У.ナランフー)の負っている債務額は、約2000万ドルであることが判明した。だが、返済期間はまだ超過していない。
その他10以上の企業と個人の債務は、ほとんどが国家大ホラル(国会)議員選挙時に生じた。従ってその返済期限は終了していない(ウヌードゥル新聞2008年12月15日付)。
また、「モンゴル・ガザル」社(注:伊藤忠も参加している)は、1650万ドルの債務があり、その内、750万ドルを返済した(注:なお、返済期限は2009年9月である。ウヌードゥル新聞2008年12月18日付)。
さらに、アノド銀行の融資額と貯蓄額の差額(赤字)は、300億(注:上記のバトスフ・モンゴル銀行総裁の発表では、「貯金額1450億トグルグ、融資額1800億トグルグ」で、差額が350億トグルグであった)ではないことがモンゴル銀行の監査で判明した。その融資は、不良債権ではなく、経営陣によって国家大ホラル(国会)議員選挙の選挙運動に使われた(ウヌードゥル新聞2008年12月19日付)。
こうした事態の進展から判断すると、Н.ダシゼベグが述べるとおり、アノド銀行の債権は、不良債権化していない、といえそうである。
だが、今年(2008年6月)の国家大ホラル(国会)議員選挙で、多額の銀行資金が融資の形で短期間に流出し、その結果、それが経営不安定感を醸しだし、預金者の取り付け騒ぎを引き起こした。
モンゴルの市中銀行は、元来、株式会社の成長に伴って生まれたのではなく、国家政策的に「人為的」に設立されたものである。だから、銀行資金が恒常的に不足している。その資金不足は、国際機関などからの融資によってを補われている。
こうした擬制的な金融資本主義は、脆弱な銀行経営をもたらす。
モンゴル政府もそれを認識しており、「モンゴル国開発資金」の一部を銀行に貸し付ける政策をとらざるを得なくなっている(注:これについては
前の「モンゴル時評」参照)。
いずれにしろ、こうした事態は、モンゴルに資本主義が根付き、そして成長することの困難性を示している。(2008.12.21)
(追補)捜査当局は、2008年12月11日、Д.エンフトゥルをトゥブ・アイマグ刑務所に、Э.グルアランズとН.ダバーをガンツホダク刑務所に拘置して取り調べている。彼らの容疑は、刑法156条の背任行為である。すなわち、2008年の国家大ホラル(国会)議員選挙の宣伝に規定額以上の融資を得たかどうかを取り調べている(ウヌードゥル新聞2008年12月23日付)。
彼らの容疑は以下の通り。Н.ダバーはウランバートル市ハンオール区から立候補し、Э.グルアランズはザブハン・アイマグからそれぞれ立候補した。Н.ダバーがアノド銀行から得た3億トグルグを、Э.グルアランズが10億トグルグをそれぞれ使った。これを補うため、上記3人は、アノド銀行の資本金を200億増資し、証券取引所を通じて、120人から募集した(ウヌードゥル新聞2008年12月23日付)。
さらに、アノド銀行の貯蓄高500億トグルグ、その内120億トグルグが預金者に払い戻し不能となっている。また、融資が又貸しもされている。例えば、「ドゥンジンガラブ」商業センターは、得た融資のうち、20億トグルグを「モン・オラン」社(社長Б.ナランフー)に又貸しし、さらに、「モン・オラン」社は、「アルトジン」社に2億トグルグを孫貸しした(ウヌードゥル新聞2008年12月29日付)。(2008.12.31)
(追々補)モンゴル銀行は、アノド銀行の機構改革を行い、規模を2分の1にする(ウヌードゥル新聞209年1月8日付)。(2009.01.12)
(追々々補)また、С.ナサンジャルガル(モンゴル銀行が任命したアノド銀行全権管理委員会委員長)が語るところによれば、アノド銀行は、ずさんな銀行経営によって危機に陥ったとし、今後の取るべき選択肢は、1)国家管理、2)外資招致、3)旧経営陣による増資、4)倒産、であるという(ウランバータルポスト新聞2009年1月15日付電子版)。(2009.01.19)
(追々々々補)捜査当局は、兄と共謀してアノド銀行から多額の資金を詐取した容疑で、Э.グルアランズの弟Э.ツェレンダシを逮捕した(ウヌードゥル新聞2009年2月2日付)。(2009.02.08)
(追々々々々補)S.エンフバト(アノド銀行に派遣されたモンゴル銀行全権代表)の声明によると、2010年7月下旬、モンゴル銀行はアノド銀行の解散を宣言した(ウランバートル・ポスト新聞2010年7月27日付電子版)。(2010.07.31)
