
「モンゴル国開発基金」問題について(2008年11月17日)
モンゴル政府は、2008年11月17日、「モンゴル国開発基金」の資金をモンゴル銀行に預金するするのではなく、その資金の半分を市中銀行に預金する法案を作成して、国家大ホラル(国会)に提出した(ウヌードゥル新聞2008年11月18日付)。
この「モンゴル国開発基金」というのは、銅・金のロンドン金属市場での価格が、それぞれ1トン当たり2600ドル、1オンス当たり500ドルを超えた場合、利益の68%を課税する法案(注:「銅・金特別税」)が、2006年5月14日、国家大ホラル(国会)で承認され、その利益をプールするために創設された機関であった(ウヌードゥル新聞2006年5月15日付参照)。
「モンゴル国開発基金」の資金の使途は、1)国家予算赤字の場合の補填、2)中小企業支援(カシミア産業など)、3)子供に「1万トグルグ支給」のための資金、などであった(注:この法案は、2007年2月に国家大ホラル[国会]で承認された)。
この「銅・金特別税」および「モンゴル国開発基金」法案成立後、2006年度の国家予算歳入が3600億トグルグ、歳出が2370億トグルグとなって、モンゴル史上初めて、国家予算は、2年連続で財政黒字となった(注:Н.バヤルトサイハン財務相[当時]談。ウヌードゥル新聞2007年4月28日付)。
そして、2006年に納入された1770億トグルグの「モンゴル開発基金」は、2007年度に「3)子供に1万トグルグ支給」のための資金に利用された(ウヌードゥル新聞2007年4月28日付)。
ちなみに、エンフバヤル大統領が「鉱山業を先導とする開発戦略」(注:国家資金によって探査した鉱山を、外資によって短期間に採掘し、その収益の50%以上をモンゴル政府が取得する。その収益金を基に加工業を興す。プールしたその剰余金の一部を国民に均等に分与する。こうして、2021年までに、モンゴル人の一人当たりGDPを1万5000ドルにする。)を提唱したは、この「モンゴル国開発基金」創設構想に付随して述べられたものであった(ウヌードゥル新聞2007年2月2日付)。
ところがここにきて、世界金融の混乱で、銅世界市場価格が1トン当たり約8000ドルから約3600ドルへと急落し、国家大ホラル(国会)総会によって承認された「2009年度予算」(注:2008年11月27日成立)は、3955億トグルグの赤字予算となった。これは、銅世界市場価格を3400ドルと計算した結果である(注:6700ドルであれば均衡予算になるという。ウヌードゥル新聞2008年11月28日付)。
これに伴って、「モンゴル国開発基金」が脚光を浴びるようになった。
現在、「モンゴル国開発基金」は、4551億トグルグの資金がプールされている。その資金は、モンゴル国立銀行が管理していて、年利0.5%である。この資金の半分を市中銀行に移し、その利子分(注:市中銀行は10%)を増やそうという議論が国家大ホラル(国会)内外で浮上している。
この提案の急先鋒は、国家大ホラル(国会)議員では、Лу.ボルド、Д.ゾリグト、ダンバオチル(以上民主党議員)、М.エンフボルド、ボド(以上人民革命党議員)である(ウヌードゥル新聞2008年11月19日付)。
Г.ガンバータル(労働組合連合代表)も、この「モンゴル国開発基金」の資金の半分を市中銀行に貯金すれば、550億トグルグの利子を得ることができる。これは、中小所得者のためのアパート建設資金になる、として賛成している(労働新聞2008年11月21日付)。
一方、反対意見も強い(注:特に人民革命党議員。例えば、ムンフオチル、テルビシバグバ、ラシ、アルビンなど)。ラシ議員によれば、世界金融の混乱がモンゴルの銀行にも波及した場合、この資金が回収できなくなる危険がある、と主張する。むしろ、国際的に信用のある銀行にその資金を預金するべきである、と述べている(ウヌードゥル新聞2008年11月19日付)。
ウヌードゥル新聞のサイト(mongolnews.com)では、61.9%がこの案に反対している。緊急事態に備えて設立された機関(注:モンゴル国開発基金」)の資金を民間銀行に預金することは、銀行倒産による損害を伴う、との危惧があるためである、という(ウヌードゥル新聞2008年11月26日付参照)。
さて、この提案の背景には、銀行を支配する議員たちの動きが見え隠れする。
提案者のЛу.ボルドはゴロムト銀行、Д.ゾリグトはモンゴル・ショーダン銀行、ダンバオチルはアノド銀行、М.エンフボルドはウランバートル市銀行をそれぞれ影響下においている。
特に、Лу.ボルドは、1998年、倒産した「復興銀行」をゴロムト銀行に合併させる策動の中心にいた(注:詳しくは拙稿
「1990年代の政治と経済」の「5、エンフサイハン・エルベクドルジ・ナランツァツラルト・アマルジャルガル民主同盟政権(1996−2000)の性格」参照)。
「モンゴル国開発基金」の創設された経緯が企業利益の上前をはねるような「銅・金特別税」であることからわかるように、元来、この資金は、正常なものではない。
モンゴル経済が正常化し、黒字を蓄積し、その余剰資金によって、非常事態に備え、中小企業や貧困層支援のための資金などにする、という政策が大切であった。
モンゴル政治経済指導層がそうした政策を採用せず、まして、この資金の半分を市中銀行に移そうというのは、二重の誤りである。
アルビン議員(注:ヘンティー・アイマグ選出人民革命党議員)が提案するように、国有の「開発銀行」を設立して、この機関に管理を担当させる、というのが最も正当である。彼女が批判するように、一部の政治家の支配下にある銀行は、「マネー洗浄」と「自己の経営する会社への低利融資」のための機関になっている(ウヌードゥル新聞2008年11月26日付)。
この提案が成立するかどうかは、今のところ不明であるが、モンゴルの将来が有望であるにしろ、紆余曲折が避けられないことだけは、否定できない。(2008.11.30)
(追補)モンゴル政府財務省(バヤルツォグト財務相)は、この「モンゴル国開発基金」の一部資金を市中銀行に預金する問題の欠陥に気づいたか、2008年12月19日、国家大ホラル(国会)予算委員会において、以前の「モンゴル国開発基金」のうちの3000億トグルグ分を市中銀行に預金する、という法案を破棄して、これを「国庫」に移管する法案を再提出した。
バヤルツォグト財務相の説明によると、「モンゴル国開発基金」は、1)「子供に1万トグルグ余支給」、2)「資本投下」、3)「緊急基金」の三種類からなっている(注:筆者の上述の記述も参照のこと)。3)の「緊急基金)を現在、利用していない。そこで、これを「国庫」に移管する。
この「緊急基金」は3000億トグルグである。現在、「国庫」には2兆6000億トグルグあり、これに「緊急基金」分が上乗せられる。
そのうち、「国庫」の自由裁量額760億トグルグ分を市中銀行に預金する(ウヌードゥル新聞2008年12月10日付)。
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この法案は、以前のものよりも使途が精緻化されたようにも見えるが、Д.アルビン議員が批判するように、「市中銀行を支配する国家大ホラル(国会)議員を救済する必要はない」ともいえる(ウヌードゥル新聞2008年12月10日付)。
最終的に、国家大ホラル(国会)総会は、2008年12月11日、この「モンゴル国開発基金法」改正案を承認した(ウヌードゥル新聞2008年12月12日付)。
今後、この法案の影響がどのように現れるか、注目したい。(2008.12.14)
(追補)バヤルツォグト財務相の説明によると、政府は、「緊急資金」からの資金を市中銀行に貸し出し、6ヶ月後にそれを返済させる。市中銀行が返済できない場合、経営権を取る(ウヌードゥル新聞2008年10月18日付)。
この政策の矛盾は、政府による市中銀行支援策が政府による市中銀行管理につながると言うことである。(2008.12.21)
