続・2010年第一四半期のモンゴル国内政治に新たな動き(2010年3月12日)

人民革命党の動向について(続)。

人民革命党党首辞任がウワサされるС.バヤルは、辞任しない意向を持っているようだ(「ニースレル・タイムズ新聞2010年3月12日付)。

今後の推移に注目したい。

2010年3月10日開催の民主党内派閥「民主勢力連合」会議について(続)。

この「民主勢力連合」会議は、国家大ホラル(国会)民主党会派12議員その他が参加して、政府官邸で行われ、会長З.エンフボルド議員(注:民主同盟連合政権時代[1996-2000]の国有財産委員会委員長(1996〜1998年)、汚職疑惑などで解任)、副会長Г.バヤルサイハン議員(注:後述)、С.エルデネ(注:元モンゴル民主同盟代表、社会保険庁長官時の汚職で告発され有罪・収監されたが、恩赦法で出獄後、国家大ホラル[国会]議員)らを選出した。


(注:З.エンフボルド。写真は「ウネン新聞」2010年3月12日付より)

同会議の内容を要約すれば、1)政商排除が必要である、2)政党法と選挙法改正が必要である、3)モンゴル銀行の金融政策は誤りである、4)現在の裁判制度の改革が必要である、5)連合政権に反対である、6)オユトルゴイ鉱山「投資契約」は不法である、というものであった(ウヌードゥル新聞2010年3月12日付電子版)。

これらの内容は、現体制(注:人民革命党と民主党との連合政権)に対して反対だ、ということである。すなわち、NGOを名乗っているが、NGO団体「アルタンガダス」と同様、民主党内派閥だということ。

さらに、民主党党首を狙うЗ.エンフボルドのための派閥である、ともいえよう。

これに関し、同派閥の副会長に選出されたГ.バヤルサイハン民主党議員(注:この若手議員はエルベグドルジ子飼いの人物)は、民主党は元来「青色」(注:右派、資本主義派のこと)だったが、現在は「赤色」(注:左派、社会[民主]主義派のこと)になっている、これを元(の右派)に戻さなければいけない、と述べている(ウヌードゥル新聞2010年3月11日付電子版)。

また、2008年7月1日の「騒乱」で逮捕され、庇護を求めて民主党に「避難」した、Ж.バトザンダンは、民主党が下野すべきである(注:連合政権に反対だということ)、と言っている(ウヌードゥル新聞2010年3月11日付電子版)。

これらには、彼らの意図と方向が明瞭に表れている、というべきであろう。

2010年3月11日の「市民運動連合」デモ集会について(続)

労働組合文化会館で開かれた、「市民運動連合」集会は、Ч.チメドツェレンが開会報告を行い、80以上の市民団体から900人以上が参加した、と述べた。

続いて、Ж.バトザンダンが「報告」を行い、1)政商および人民革命党・民主党の排除(注:彼自身が民主党員であるから、連合政権に参加している民主党の一派を排除するということ)、2)国家大ホラル(国会)解散、を主張した(「モンツァメ通信」2010年3月12日付電子版)。

この報告は、先の2008年の国家大ホラル(国会)議員選挙で落選したバトザンダンの個人的見解でもある。

また、報告者の中には、「子供に1万トグルグ余を再支給」するよう主張したものもいた(注:その内容から見てNGO「イルゲド・アライアンス(市民同盟)」代表Ж.ザナーのようだ。「モンツァメ通信」2010年3月12日付電子版)。

その2時間後、参加者200人は、スフバートル広場までデモ行進をして、政府側に5項目の要求をした。


(注:「市民運動連合」によるスフバートル広場でのデモ行進。写真は「ウランバートル・ポスト」新聞2010年3月12日付より)

その内容は、Ц.ニャムドルジ法務内務相、С.ランバー保健相、アルタンホヤグ検察庁長官の罷免などであった(ウヌードゥル新聞2010年3月11日付電子版)。

そして、彼らは、4月19日まで回答するように要求し、回答がなければ、(2008年)7月1日の「騒乱」が再現する、と警告した「モンツァメ通信」2010年3月12日付電子版)。

(後注:彼らの記者会見および要求書(ウヌードゥル新聞2007年10月17日付電子版)

Ц.ニャムドルジ法務内務相とアルタンホヤグ検察庁長官は、2008年7月1日の「騒乱」に厳しい態度で臨んだ。だから、この集会は、2008年7月1日の「騒乱」の影響が強い。

これらをみてみると、これらの出来事は、すべてが「派閥争いおよび党派争い」に収斂され、全国民的運動にはならないようだ。

しかし、だからといって政治問題として高揚しない、といえないのが歴史というものである。(2010.03.13)

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