
グンダライ保健相解任(2006年12月27日)
最近、3つの政府高官および地方行政長官解任騒ぎが起こった。一つ目は、ウランバートル鉄道事故の責任をめぐる、オヨンとゾリグト議員(注:両者は市民の意志党所属)によって提出された、ツェンゲル運輸観光相更迭問題である。これは政府与党によって否決された(ウヌードゥル新聞2006年12月22日付)。
もっとも、運輸行政のボスといわれる、Р.ラシ議員(人民革命党所属)は、ツェンゲル運輸観光相が鉄道事業に関する知識が少ないので、このような人物は更迭するべきである、と明言していた(ウヌードゥル新聞2006年12月25日付)。
この問題は、大臣資質の適格性をどのように考えるか、及び、鉄道事故責任を誰がとるか、ということであった。
モンゴルでは、「無責任」が社会に蔓延しており、ツェンゲル運輸相解任はほとんど問題にされなかった。
次は、バヤンウルギー・アイマグ知事О.ハブサタルがアイマグ議会によって解任された。これは、彼による「予算の過支出」のためだという。また、ウムヌゴビ・アイマグ知事ヤドマーが辞職願いをアイマグ議会に提出した。後任にモンゴルロスツェベトメト社前社長Х.バダムスレンを据えるためだという(ウヌードゥル新聞2006年12月26日付)。
この二人の知事は人民革命党党員で、人民革命党幹部会によって計画されたものである。
鉱山法(注:正確には「鉱物資源法」)が2006年7月に改正され、それをめぐる駆け引きが最近熾烈になっている。この二つのアイマグの知事「解任」は、バヤンウルギー・アイマグのアスガト銀鉱山、ウムヌゴビ・アイマグのタバントルゴイ・コークス炭鉱山とオユトルゴイ銅・金鉱山をめぐる「利権」がその背景にあると見られている。
そして、三番目がグンダライ保健相解任であった。
ウヌードゥル新聞と25チャンネルテレビ共催の対談番組(注:ウヌードゥル新聞2006年12月22日付参照)に出演した、グンダライ保健相、エルデネバータル環境相、ナランツァツラルト建設都市整備相のうち、グンダライとエルデネバータルは意見の食い違いのため、グンダライはエルデネバータルを「南京虫、ゴキブリ」とののしった(ウヌードゥル新聞2006年12月27日付)。もっとも、グンダライはこれを否定しているが。
公衆の面前でのこの醜態が直接的な契機となって、グンダライ保健相は、2006年12月27日、閣議において解任された。
ただ、この背景には、1)グンダライに関する内外機関からの苦情が短期間に24件、首相に来たこと、2)グンダライ解任を要求する保健省および病院部局が多くなっていること、3)グンダライが保健部門に混乱と破壊、恣意的な人事を持ち込んだこと(注:医師専門家は1930年代の政治粛清と同じ状況に遭っている、という指摘がなされている)、などがある(ウヌードゥル新聞2006年12月28日付)。
以前にも、グンダライを押さえ込むために、保健省を社会保障労働省に吸収する案が浮上していたが(ウヌードゥル新聞2006年12月28日付)、それよりも強硬なグンダライ解任が実行されたのである。
第二に、М.エンフボルド政権は、当初、37議席を占めていた人民革命党が中心となって、祖国党、共和党、国民党が加わって結成された。だが、その後、民主党からМ.エンフボルド政権に加わり、そのため党を除名されたエンフサイハンたちは、
民族新党を結成した。
これらのことが国民党(グンダライ)を政権から排除しても、その安定性は損なわれない、という状況が形成された、とМ.エンフボルドたちは判断したのであろう(注:もっとも、М.エンフボルドは、グンダライは解任しても、国民党は政権から排除しない、といいている)。
グンダライは、「自分は国家大ホラル(国会)議員であるから自分の言葉には責任を問われない」、と公言してきた(ウヌードゥル新聞2006年12月28日付)。こうした大胆な彼の行動は、国民の中に一定の支持層を形成している。
今度も、グンダライ自身は、「これは非難中傷であり、ルフンベ事件と同じである。自分は保健部門を大きく変えた」、と意気軒昂である。
だが、1)グンダライが党首を務める国民党綱領は民族主義色が強いこと、2)グンダライの発言は大衆受けのするような「論理の単純化」(注:先のテレビ番組の中での、ゲル地区煙害解決策についての発言など)が見られること、などから見て、グンダライは「トラブルメーカー」から「デマゴーグ」に「進化(?)」したとみていい。
これは、貧富の差の拡大が進行する現代モンゴルにあって、危険な兆候となる。
日本人を含む外国人「襲撃」事件が相次いでいることもあり、グンダライの今後の行動が注視される。(2006.12.31)
(追補)グンダライ保健相解任について。
政府によるグンダライ保健相解任決定に続き、2007年1月3日、国家大ホラル(国会)・社会政策常任委員会は、グンダライ保健相解任を支持し(ウヌードゥル新聞2006年01月04日付)、国家大ホラル(国会)総会は、翌1月4日、グンダライ保健相解任支持の議決を行った(ウヌードゥル新聞2006年01月05日付)。こうして、グンダライは保健相を解任された。なお、保健相代行にオドンチメド社会保障労働相が任命される(ウヌードゥル新聞2006年01月05日付)。
一方、これに先立ち、国民党と「健全な社会のための市民運動」が組織した集会が、2007年1月4日、スフバータル広場で開催された(参加者少数)。
彼らは、グンダライ解任に反対し、「保健部門の汚職、官僚制と戦っていた大臣を根拠なく解任した。この結果、保健部門の改革は滞る」、と演説した(ウヌードゥル新聞2006年01月05日付)。
グンダライ保健相解任は、極端な賛否両論が出た。一方は、「グンダライは他の閣僚よりも誠実で公開制を持って仕事をした」、とグンダライを擁護して、彼の解任に反対し、また一方は、「グンダライは医療部門に混乱をもたらしただけだった」、とグンダライ解任を支持した。特に、後者の意見は、医療専門家に多い。
私見では、グンダライ保健相解任は、遅すぎるくらいであった。
彼の行動は、「論理のすり替え」と「単純化」によって、事実上、「法秩序」を破壊し、医療部門を混乱に陥れた(注:解任前夜、自分の側の人々を局長に任命して、保健省を去った。ウヌードゥル新聞2006年01月06日付参照)。
こうした国民受けのする派手な言説と行動は、社会進歩に混乱と停滞をもたらすだけである。かつて、1990〜1992年、ビャンパスレンが首相に就任し、無責任な言説と法規を無視した行動によって、経済混乱を深化させた(注:もちろん、経済混乱の真の原因は別にあるが)。
さらにその上、グンダライは、国民党を創立し、民族主義(拝外主義)的な綱領を確立した。
このことは、貧富の差の拡大による、国民の不満の高まりによって、拝外主義へ転化する社会的条件を形成させるであろう。(2007.01.07)
(追補)国家大ホラル(国会)は、2007年2月6日、保健相にД.トヤ(人民革命党議員)就任を承認した。グンダライによってもちこまれた保健部門の混乱を収束させる仕事が彼女には待っている。なお、М.エンフボルド政権結成に際して、グンダライの国民党と人民革命党とが結んだ「協定」は、グンダライがそれを一方的に破った、と見なされ、2007年2月1日、М.エンフボルド人民革命党党首は、グンダライ国民党党首に会って、その由を通告していた(ウヌードゥル新聞2007年02月02日付)。(2007.02.11)
