アノド銀行事件その後、あるいはモンゴルにおける銀行制度について(2010年11月24日)

2008年12月10日、アノド銀行経営陣による背任事件が明らかになり、2010年7月下旬、アノド銀行は解散した。この間の経緯は以前のモンゴル時評(「アノド銀行にモンゴル銀行の監査」)で取り上げた。

アノド銀行経営陣は背任容疑で逮捕され、同銀行は解散してしまったが、現在、国家監督庁と汚職対策局が合同で旧アノド銀行事件を引き続き調査している。

現在も捜査が継続中であるが、明らかになったところを要約すると、

アノド銀行経営陣の背任行為とは、
1)銀行口座残高553億トグルグを個人企業の口座に移した、
2)銀行の資本金を不法に自分名義に書き換えた、
3)出納簿から2004〜2007年の収益金320億トグルグ、2008年第一四半期の収益金31億トグルグを詐取した、
4)銀行資本金を63億トグルグ恣意的に増資し、モンゴル証券取引所を通じて売り出した、
5)1999年から赤字経営を黒字だとして粉飾し、放漫経営を隠蔽し、モンゴル銀行に虚偽の報告をした、
6)個人企業および親族の経営する企業に対し、法定外の多額の融資を与え、銀行出資者および預金者に損害を与えた、
ことをいう。

また、アノド銀行経営陣の背任行為に関し、モンゴル銀行国内監査局長は、モンゴル銀行が行った「アノド銀行監査報告書」を握りつぶし、その見返りにアノド銀行経営陣から2300万トグルグの賄賂を受け取った疑いがもたれている。

さらに、上述の通り、アノド銀行経営陣による、アノド銀行株式63億トグルグの不法増資に関し、金融調整委員会委員長の監査責任も問題視されている(注:現在は、立件されていない。以上、ウヌードゥル新聞2010年11月24日付より)。

アノド銀行への内部監査から始まって同銀行解散の過程で明らかになったことがらは(注:その全容はまだ解明されていない)、モンゴルの銀行制度の特徴を明確に表している。

それを整理すると、

1)モンゴルの市中銀行は、銀行制度の発展から生まれたのではなく、その設立資金は個人企業家の個人資本でまかなわれる。あるいは、零細規模の投資者から資本が集められた「貯蓄信用組合」以上ではないものもある。従って、その規模は小さく、個人企業的であり、経営基盤が脆弱で、赤字経営を余儀なくされている。

2)少ない資本規模を補うために、国際機関(特に世界銀行)からの融資を受ける。それは、ハス銀行が典型例である。「国営銀行」に再編された旧ゾース銀行はモンゴル銀行および政府国庫金からの借入金で営業していた。

3)この脆弱な基盤の上に立つ市中銀行は、倒産と吸収の過程を繰り返し、その間に政治家たちによる汚職の温床となってきた。その代表例が「復興銀行」倒産およびゴロムト銀行への吸収(未遂)事件(1998年)である。

4)銀行内部の規律が弛緩しており、銀行員による不正事件が引き起こされる。その代表例が貯蓄銀行幹部職員による銀行預金着服事件(2007年)であった。

そして、「アノド銀行事件」は、これらの特徴のすべてを含む典型的な市中銀行であることを示している。(2010.11.28)

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