モンゴル現代史からみた2008年国家大ホラル(国会)議員選挙の争点(2008年06月15日)

この「モンゴル時評」執筆時点で、国家大ホラル(国会)議員選挙投票日まで2週間となった(注:投票日は6月29日。選挙運動は6月27日まで)。

この間、約400人の立候補者が大選挙区選挙制の下で、選挙運動を展開している。その中で、争点となると思われた「物価値上がり」対策は、С.バヤル政権による小麦粉の緊急輸入と補助金投入、インドからの米と砂糖の無償援助によって、「最大」の争点とはならなくなった。もっとも、だからといって「物価値上がり」が収まったというわけではなく、インフレ率が20〜30%のままである。

その中で、各選挙運動者間の暴力行為や、立候補者中傷、金品贈与など、加熱した選挙運動が展開されている。

ここへきて「最大の争点」となっているのは、いまだ成立していない「鉱山法」改正による収益金の処理の仕方である。

すなわち、この「収益金」によって各政党は次のような選挙公約を発表している。民族新党は、「子供に月2万トグルグ支給」する(注:現在は月1万3000トグルグ)。市民運動党は、市民に5000ドル株券と成人に1000万ドルの融資供与する。人民革命党は、国民各人に150万トグルグ支給する。民主党は、100万トグルグ支給する(ウヌードゥル新聞2008年6月11日付)。

なお、中央選挙管理委員会書記によれば、人民革命党は政党立候補届の後(注:この時「選挙綱領(公約)」も届け出る)、6月10日に、「国民に150万トグルグ支給項目」を追加した公約を再提出した。これは選挙法違反である、という(ウヌードゥル新聞2008年6月13日付)。

ただ、人民革命党党首С.バヤルの説明によれば、エルベグドルジとС.バヤルが「鉱山法」改正を行うことに合意した時、2年間はこれに基づいた選挙綱領を作成しないことになっていたが、エルベグドルジがこの合意を反故にして、「国民各人に100万トグルグ支給」を選挙公約で言い出した、という(ウヌードゥル新聞2008年6月14日付)。

(注:ここで、民主党の政策に言及したい。民主党は、初期資本主義下での自由な経済活動を目指す。これは、米国のグローバリズムに呼応する。だが、米国「のみ」の「自由な経済活動」はモンゴルとは無縁であり、幻想にすぎない。そして、モンゴル国民の声と対立する。その第一歩が、それとは矛盾する、「国家による富の平等な分配」公約である。民主党は、この矛盾に気づかなければならない。)

いずれにしろ、各党および同盟は、選挙民に対して「現金支給」を選挙公約の目玉にしている。これは、何を意味するのか。

この「現金支給」公約は、2004年の国家大ホラル(国会)議員選挙での「祖国・民主」同盟による事実上の勝利の原動力となった。

2004年時点では、国家財政が毎年赤字であって、国民に対する「現金支給」案は、無謀な政策であった。だが、この政策は、その後4年間で実施されるようになった。

それには、モンゴルが輸出する「銅・金」の世界価格上昇と、その値上がり分を「銅・金特別税」という形で国庫に納入させる方策が「寄与」している。この政策は、実に危険なものであって、銅・金世界価格下落という外的要因によって、その財政的基盤を失う。

ところが、その後、モンゴルに豊富に埋蔵されている鉱物資源(注:その豊富ぶりは「中央博物館」を訪れてみれば即座に理解できる)を開発する可能性が大となって、その収益は国家財政を健全化し、さらに、その資金による、国家発展の可能性が現実化してきている。それは、石油に依拠するアラブ諸国を上回る速度で実現するであろう。

だが、この収益を国民に平等に分配する政策は、IMFが立案しモンゴルに押しつけている経済政策と対立する。

モンゴルは、1990年初頭、「民主化運動」によって(注:この運動は、モンゴルにおける革命的伝統である「牧民運動」の歴史的継承である)、真の意味の「独立」を目指した。

ところが、IMFや日本などの資本主義諸国の経済介入と、それを受け入れる内部勢力によって、ゆがめられていった。

その経済政策を推進した結果、「貧困化」、そして「貧富の差」が拡大していった。これが国民の不満をつのらせる。

民主主義的な選挙では、こうした国民の声を取り上げなければ、選挙に勝利することができない。

モンゴルは、1911年、清朝からの独立を目指した。それが帝国主義列強によって実現を阻まれた。そして、1921年、「人民革命」によって「独立」が達成された。その原動力の一つは、牧民による抵抗運動であった。

その後、モンゴル的な社会主義によって、急激な発展が実現された。その中で、矛盾も深化し、再度「独立」と「民主主義の確立」が不可欠なものとなった。

1990年初頭、民主化運動はその一部を実現したが、再び、外部勢力に従属する危険性が強くなり、国民の不満が大きく醸成されたのであった。

政権獲得を目指す各政党は、国民の意志の上に(のみ)成立する。その方策(の一つ)は、社会主義モンゴルの歴史に立脚し継承する、「国民に平等な富の分配」政策である。この政策は、歴史を正しく継承し、適正に運用されれば、民生を安定させ、歴史を大きく前進させるであろう。(2008.06.15)

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