「子供に毎月11330トグルグ支給」からモンゴル現代政治を考える(2006年11月15日)

国家大ホラル(国会)臨時総会は、2006年11月14日、人民革命党会派の提案を審議し、子供に毎月11330トグルグを支給することで合意した。しかし、この提案は、常任委員会にも諮られず、突然提出されたため、手続き上、経済常任委員会に差し戻して審議することになった(ウヌードゥル新聞2006年11月15日付)。

翌日、すなわち2006年11月15日、差し戻された議案について、国家大ホラル(国会)経済常任委員会は、「18歳までの子供一人につき、年間13万6000トグルグを支給する」議案を採決した(ウヌードゥル新聞2006年11月16日付)。

現在、「子供に毎月3000トグルグ支給」が実施されているが、これに加えて、「年に一度10万トグルグを支給する」という人民革命党会派の提案が、民主党会派を含めて採択されたのである。なお、「年に一度」にするかどうかは、今後財務省で検討することで、委員たちの合意をみた。

現在の「18歳までの子供すべてに毎月3000トグルグ支給」は、現М.エンフボルド政権(人民革命党主導)が実施しているものである。前エルベグドルジ「大同盟」政権は、「3人以上の子供を持つ貧困家庭の子供に毎月に3000トグルグ支給」であった。これは、「児童扶養手当」の性格を帯びていた。

М.エンフボルド首相は、この「3000トグルグ」を「5000トグルグ」に引き上げることを示唆していた。

それが突如として、年間「10万トグルグ」加給案が人民革命党会派によって提出された。民主党は、今国家大ホラル(国会)で「3000トグルグ」から「10000トグルグ」への引き上げを主張していた。

この「10000トグルグ」は、2004年度国家大ホラル(国会)選挙での「祖国・民主」同盟の公約であった。この公約は、国民の支持を得て、「祖国・民主」同盟が76議席中36議席を獲得し(注:選挙結果判明時点)、実質的に勝利したのであった。

その後、「祖国・民主同盟」は解体し、そのメンバーであった民主党は、人民革命党会派に加入した。その不正常な状況は、人民革命党の強引な手法による、エルベグドルジ政権の解散とМ.エンフボルド政権の誕生によって、終止符が打たれた。

この人民革命党による強引な手法に「復讐」するべく、エルベグドルジの民主党は、М.エンフボルド政権解散要求案を国家大ホラル(国会)に提出した。だが、その案は、その内容の空虚さによって否決された。

この間、モンゴル政治は、政党内外の分裂状況を生み出し、数多くの政党が群生している(注:その後、「政党法」改正による、最高裁への政党登録義務の厳正化によって、政党数が22から14に減少している[ウヌードゥル新聞2006年11月14日付])。各党内の混乱状態の中から、第三勢力確立を目指すべく、「全国民大集会」が開催された

だが、基本的には、モンゴル現代政治は、二つの路線の「対立」からなっている。

一つは、IMFによる「PRGF(貧困緩和構造調整)」計画(注:「1990年代の政治と経済」特に、「6、モンゴルを操るもの」参照)に基づく「資本主義への道」であり、もう一つは、現憲法によって規定された「私有と国有の混在」(注:「A Special Feature of Mongolia in 1990's from an Aspect of Legislations」参照)による「成長戦略」である。

前者は、エンフバヤル(注:現大統領)に代表される。後者は、「民族民主主義」ないし「社会民主主義」であって、人民革命党内分派の「伝統・革新ー民主・公正」グループがその代表であるが、政治勢力としては、微弱であった。

IMFによる資本主義化は、モンゴルに「貧富の差の拡大」をもたらした。特に、「貧困層」が、全国民の30%内外を占める。この層は、「子供に毎月10000トグルグ支給」を支持し、その結果、人民革命党の占める国家大ホラル(国会)議席数が、大幅に減少した(注:72議席から38議席)。

これは、IMF流の資本主義化が、モンゴルの伝統を無視していることの証明である。

2008年に実施される国家大ホラル(国会)議員選挙を2年後に控え、各党はその対応に忙しい。

人民革命党に限って言えば、М.エンフボルド党首は、民主党による政権解散要求を退け、次第にその政治的地歩を固めつつある。彼は、党内を掌握し、エンフバヤル前党首の推進してきたIMF路線から距離を置き、「社会民主主義」へ軸足を移しつつある。

要約すれば、「М.エンフボルド政権の変質」(注:エンフバヤル政権[2000〜2004年]の変質と逆方向)と「市民運動の第三勢力化」がモンゴル現代史に現出している。

以上が「子供に毎月11330トグルグ支給」の背景にある、現代モンゴルにおける政治状況である。(2006.11.19)

(追補)人民革命党内の「後者」に相当するグループは、新しい分派を結成した。それは、「伝統・革新ー民主・公正」グループから生まれ、「民主社会主義青年同盟」指導者を主体としている。彼らは、人民革命党「改革」ではなく、「強化」を目的とする左派グループである、という(ウヌードゥル新聞2006年11月24日付)。

このように、青年層を中心として、IMF路線による資本主義に対立するグループがモンゴルで結成されつつある。これこそ、1990年初頭に起こった、「モンゴル民主化運動」の後継者であろう。それは、現在の「モンゴル民主同盟」(代表Х.バトトルガ民主党議員、ジェンコ社総帥)ではない。(2006.11.26)

(追々補)一方、人民革命党内「伝統・革新ー民主・公正」グループのН.オドバル、Ц.オヨンバータル、Ж.バトエルデネは、ウヌードゥル新聞(2006年11月28日付)のインタビューに答えて、大要次のように述べている。すなわち、「伝統・革新ー民主・公正」グループ(2005年12月設立)の目的は、1)人民革命党の伝統を守ること、2)民主主義を確立すること、3)公正さを導入すること、などである。人民革命党が「社会主義インター」に加盟したが(1997年)、民主的社会主義を完全に受け入れず、1964年のまま(注:いわゆる「ツェデンバル憲法」下での規定)である。党内制度が悪い(一人が党役員を独占)。人民革命党が左派の党であることを国民が理解すれば人民革命党の将来が展望できる。


(写真はウヌードゥル新聞2006年11月28日付掲載のもの)

ちなみに、人民革命党小会議(代議員会)250人のうち83人(3分の1)は、分派が占める、という(ウヌードゥル新聞2006年12月01日付)。

このように、モンゴルにおいて、1990年初頭から進行する資本主義化に対抗する、一つの潮流が形成されつつある。(2006.12.03)

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