
「全国民大集会」開催の意味(2006年11月6〜8日)
「急進的改革」、「健全な社会のための市民運動」、「我がモンゴルの地」、「全モンゴル」、「老人自由同盟」などが「モンゴル民族戦線」を結成し、11月6日から8日までの3日間、スフバートル広場で、「全国民大集会 Бvх ард тvмний их хуралдай」を開催した。
(2006年11月06日12時30分、筆者写)
初日の11月06日10時、トゥブ、ヘンティー、バヤンホンゴル・アイマグなど10以上のアイマグから代表が来て、「全国民大集会」が始まった。
その際、アンケート用紙(計3万枚)が配布された。それは、1)鉱山法施行停止、2)国家大ホラル(国会)解散と大統領罷免、3)「全国民特別大会」開設の是非、を問うていた。
(「アンケート用紙」、筆者所蔵)
「政治新聞」編集長Г.オヤンガ、「我がモンゴルの地」副代表П.ボルド、「健全な社会のための市民運動」代表Ж.バトザンダンたちが演壇に登った(「急進的改革」代表С.ガンバータルは不参加)。
彼らは、汚職高官が国を後退させ、地下資源が外国人の手に渡り、国家大ホラル(国会)は「鉄の頭をもつ」(注:「頑固な」というほどの意)ニャムドルジ議長に従属し、エンフバヤル大統領は宗教の主宰者となった、と述べた。また、1990年の民主化運動の継続である(С.エルデネ)と述べた(注:噴飯ものであるが)(ウヌードゥル新聞2006年11月07日付)。
翌日の11月07日14時30分、アンケート集計の結果が出た。集まった10282枚の内、有効なもの10138枚。1)について「正しい」とするもの9783枚(95%)、2)について「正しい」とするもの9448枚(91.8%)、3)について「正しい」とするもの9671枚(93.9%)であった。
この結果に基づき、この3つの要求を承認する決定が出され、この「全国民大集会」は成功した、と宣言された。
なお、無料で3000人に食事を出す計画は、混乱を回避するため中止された(ウヌードゥル新聞2006年11月08日付)。
この「国民大集会」の参加者は、第一日目が1000人、第二日目が500人、第三日目が200人足らずだった(ウヌードゥル新聞2006年11月09日付)。
さて、この「国民大集会」はどのような意味を持つか。
集会主催者たちが結論づけたように、この「大集会」は、政治的混乱もなく、法に従って行われ、そのアンケートが当初の意図通りの結果が出て、「成功だった」のは疑いない。
もっともこのアンケートは、携帯電話によるメッセージ送付の形態をとっていて、しかも、送付をアンケート項目1〜3を「正しい」と誘導するものであったので、90%以上の賛成となった。しかし結果は結果として肯定すべきであろう。
大会主催者たちが法遵守を強調していたが、これは、市民の意志党が「健全な社会のための市民運動」と共同行動をとったためである。逆に言えば、「健全な社会のための市民運動」が政党化していったともいえるであろう。
そのことは、両者の従来の主張である、「2)国家大ホラル(国会)解散」にあらわれている。
市民の意志党は、「影の内閣」を結成し、政府に対する監視機能を強めている。最近でも、影の内閣」は、2006年11月02日、2007年度国家予算に対する見解を発表し、その中で、予算歳出が1997年度よりも5倍になっている、と批判し、省の数を9にすることを提案した。また、時間給を1ドルにして、労働者の賃金を20万トグルグにする、鉱山法を再検討する、子供に1万トグルグ支給案を支持する、といった見解を表明していた(ウヌードゥル新聞2006年11月03日付)。
こうした積極的な肯定的側面とともに、「全国民特別大会」開催、というような非常事態宣言時の要求が盛り込まれている。
これは、この運動体の中に、「全モンゴル」運動のような、民族主義的、拝外主義的、ネオナチズム的な組織が参加していることから来ている。
「全モンゴル」運動の幹部の一人、ツェレンドルジなる人物が、日本人ボランティア川崎真氏殺害の容疑者として逮捕され、さらにこのメンバーが様々な犯罪に手を染めていることが判明している(週間ウネン新聞2006年第40号、ウヌードゥル新聞2006年11月11日付)。
これに先立って、2006年10月26日16時30分頃、「モンゴル民族戦線」、「健全な社会のための市民運動」、「公正市民戦線」、「ソヨンボ」、「全モンゴル」などの市民運動が、エンフタイバン通りの中央郵便局東側の道路にゲルを建てて封鎖し、交通を7時間遮断したことがあった。
これは、「全モンゴル」代表Ш.プレブスレンと「自由老人同盟」代表Г.バーサンが警察に拘束されたのに抗議し、政府の解散を要求して、道路を封鎖したものであった(ウヌードゥル新聞2006年10月27日、28日付)。
こうした非常事態時での行動は、市民からの非難を浴び、彼らは国民に向かって謝罪せざるをえなかった(ウヌードゥル新聞2006年10月31日付)。
筆者は前に、モンゴルに
二つの路線の「対立」があると指摘したが、これを簡単に言うと、一つは、エンフバヤル大統領によって代表される、IMF路線に基づく資本主義化であり、もう一つは、「憲法」の枠内での「国有」と「私有」の共存による発展、すなわち、民族民主主義的、あるいは社会民主主義的な方向である。
これは、人民革命党内部の2大潮流によって代表される。
ちなみに、「野党」的スタンスをとる民主党は、この二つの路線のいずれにも属さず、アナーキーを指向し、私的利害により、時の情勢によって、上のどちらかの路線に与する「コバンザメ」的な政党である。その象徴的な事態が国家大ホラル(国会)人民革命党会派への参加であった。
こうした二つの路線に批判的な、つまり、1)汚職反対、2)社会的公正の要求、3)貧富の拡大への批判、などを基盤とする、「第三の政治勢力」が出現した。
前述の「フブスグル選挙」では、1%に満たない得票率で敗北した政治勢力が、この「全国民大集会」に結集したのである。
この「第三の政治勢力」が犯罪分子を排除し、モンゴル国民の声を代弁するものになるかどうかは、未知数である。(2006.11.11)
(追補)「健全な社会のための市民運動」指導者の一人О.マグナイは、2006年11月20日、記者会見を行って、市民の意志党に加入したことを明らかにした。なお、Ж.バトザンダンは2000年から民主党員、Ч.チメドスレンは人民革命党党員だといわれる(ウヌードゥル新聞2006年11月21日付)。いずれにしろ、当のО.マグナイは、市民の意志党加入が民主主義勢力統一の端緒であり、民主主義勢力が統一すれば人民革命党に勝つことができる、と述べた(アルディン・エルフ新聞2006年11月21日付)。いずれにしろ、市民運動が第三勢力に向かう流れが加速していっている。(2006.11.26)
