
一連のデモ集会はなぜ起こったか(2006年04月16日)
モンゴルでは2006年春期国家大ホラル(国会)が4月5日に始まったのに並行し、スフバートル広場および政府官邸北側でのデモ集会が行われている。
このデモ集会がその後、スフバートル広場南側にゲルを建て、「座り込み」に発展した。スフバートル広場にゲルを建てるという奇抜な発想は、「スフバートル広場をゲル地区にして、国民の(厳しい)状態を広く知らせる」ということにあるようだ(ウヌードゥル新聞2006年04月11日付)。
(写真は筆者撮影のもの)
確かに、ウランバートルの中心地である「スフバートル広場」にゲルを建ててはいけない、という法律の条文はなく、法律の間隙を付いた巧妙な政治戦術という他はない。
彼らの主張は、「モンゴルの土地を外国人に売り渡すな」、というデモ集会参加者の言葉に代表される。これは、「鉱山法」改正に関して、アイバンホー・マインズ社との「自動継続契約」に反対、という意味である(ウヌードゥル新聞2006年04月13日付)。
さらに、2006年4月13日、「高齢者自由同盟」は、「オユトルゴイ、タバントルゴイ鉱山を早急に閉山にせよ」、「鉱山採掘権を取り戻せ」、という要求のデモを政府官邸北側で行った(ウヌードゥル新聞2006年04月14日付)。
翌14日には、民主党党首エルベグドルジがデモ集会に加わって、М.エンフボルド政権解散を煽り、国家大ホラル(国会)審議ボイコットを民主党議員たちに命じた(ウヌードゥル新聞2006年04月15日付)。
これに対し、「融和と健全な政治のために」という名の集会が、2006年04月11日、「融和」「自由学生運動」「フフ・モンゴル」グループによって解放広場で開かれ(ウヌードゥル新聞2006年04月12日付)、「急進的改革」運動などが政治化している(注:М.エンフボルド政権打倒を掲げていることをさす)、と抗議した(ウヌードゥル新聞2006年04月11日付)。ただ、この集会参加者の一部は、人民革命党によって動員されたといわれる。
このデモ集会が行われた直接の契機は、いうまでもなく
米国元国務長官J.ベーカーがモンゴルを個人訪問し、アイバンホー・マインズ社のためのロビー活動をしたことにある。ベーカーによるモンゴル政府へのこの「強要」は論外で、デモ参加者の主張は正当である。だが、国家大ホラル(国会)でも審議されており、与党議員を含めて多くの議員は、この「自動継続契約」は、「鉱山法」改正を待って行う、と言っている。
だから、デモ集会を待つまでもなく、政治過程としてそうなるであろう。それでもデモ集会が行われる。何故か。
これは、2004年国家大ホラル(国会)議員選挙後、議員数の「究極の均衡状態」に由来するだろう。「大同盟」の名の下、議会内に野党がなくなり、議会の監視機能が働かなくなった。
このエルベグドルジ「大同盟」政権が崩壊し、М.エンフボルド政権が生まれ、民主党が「野党化」を宣言した。国民は、民主党の「個人的野心」「官職追求」「謀略」体質を今までみてきて、この「宣言」を信用していない。かつてデモを支持していた、М.エンフサイハンやグンダライがさっさと政権に入閣して、そのことを証明してしまった。
「影の内閣」を結成し、野党の監視機能を強化しようとしている、市民の意志党の試みにも、民主党は余り積極的ではない。
ただ、デモ集会は、これ以前から起こっている。1994年のジャスライ(人民革命党)政権時のものや、
2002年のエンフバヤル政権の時のものを除けば、その性格は、モンゴルの国民生活状態に起因するものである。
貧富の差が拡大し、貧困層が30%余を占める。外資の資金を利用(横領)した、政財界富裕層が出現した。
失業問題が解決されない。デモ集会を指導する人々の中には、海外留学組もいて、彼らはモンゴルに帰国しても適当な職が見つからない。
鉱山開発に伴う、「環境汚染」や牧民の「土地追い立て」などが相次いで起こる。
この問題解決の一手段として、「鉱山法」(注:1997年に施行され、外資への大幅な優遇措置が盛り込まれている)の改正が論議されるようになった。
筆者が何度も指摘するように、この事態はモンゴルがIMF路線に忠実に従ってきたからである。「鉱山法」改正が外資の圧力を跳ね返し、それに基づいて「自動継続契約」を結ぶことができるかどうかは、今後の大きな政治的経済的問題となるであろう。(2006.04.16)
(追補)スフバータル広場でのデモ集会運動は、さらに継続している。
4月17日午後3時、М.エンフボルド首相の指示により、内閣官房長官С.バトボルド、法務内務相Д.オドバヤル、建設都市整備相Ж.ナランツァツラルト、社会保障労働相Л.オドンチメドは、スフバートル広場でゲル座り込みを行っている人々と会って、彼らの要求を聞いた。抗議運動の代表の一人バトザンダンの要求は、1)オユトルゴイなどの鉱山を国民の手に、2)警察関係者の処分、3)汚職に関係していると言われる政府高官の罷免、である(ウヌードゥル新聞2006年04月18日付)。
4月18日、彼らは再度、政府官邸北側でデモ集会を開いた(参加者1000人)。その後、人民革命党本部に行き、人民革命党書記長に要求書を手渡した(注:САПУ火災被害者は参加しなかった。後述)。その要求は、М.エンフボルド首相罷免、人民革命党非難であった。これに対し、С.バヤル人民革命党書記長は、同党幹部会でその要求を話し合う、と回答した。会見を終えたГ.バーサン「高齢者自由同盟」代表は、「われわれは勝利した」と語った(ウヌードゥル新聞2006年04月19日付)。
4月19日、「急進的改革」運動は記者会見を行って、当該運動が学生にお金を与えてデモに参加させたという報道を否定し、さらに、人権団体からの資金援助を要請した(ウヌードゥル新聞2006年04月20日付)。
デモ集会参加者は、モンゴル国民放送テレビに対し金銭を要求し、それを撮影していたカメラマンのカメラを壊した(テレビ視聴、およびウヌードゥル新聞2006年04月20日付)。
国民党はー少し悪のりになると思うがー、「ボロー・ゴールド」社(注:1998年、エルベグドルジ民主同盟連合政権と「自動継続契約」を結んだ)に対し、5000万ドルを医療部門に支払うよう要求した(ウヌードゥル新聞2006年04月20日付)。
一方、フレルスフ無任所相、ツェンゲル運輸観光相、テルビシダグバ食糧農牧業相は、「健全な社会のための市民運動」代表バトザンダンに対し、汚職した政府役員である、と中傷したとして(注:上記3項目の要求内容の1つ)、名誉毀損で裁判所に訴えた(ウヌードゥル新聞2006年04月20日付)。
4月20日、ニャムドルジ国家大ホラル(国会)議長は、「我がモンゴルの地}代表Б.ボルドバータルたち5人の代表と会談し、「鉱山法」改正問題について、市民たちの運動との協議の必要性を認めたが、その政治問題化に反対した(ウヌードゥル新聞2006年04月21日付)。
同日、「影の内閣」と市民の意志党は、С.ゾリグ誕生日に当たって、中央郵便局南側にあるゾリグ像に献花を捧げた後、デモ集会運動およびハンストを行っているСАПУ被害者たちと面会し、彼らを支持すると表明した(ウヌードゥル新聞2006年04月21日付)。
4月20日19時30分から21時にかけて、М.エンフボルド首相とデモ集会運動代表たちが協議した。その間、デモ集会運動側は3項目の要求を5項目に変更して(注:上述の要求に加えて、「自動継続契約」の解消などが盛り込んである)、その実行を迫り、その結果、両者が合意に至らなかった。
4月21日11時、両者は再度、協議を行なった、出席したのは「急進的改革」代表のС.ガンバータルのみだった。それ以外のものは、ニャムドルジ国家大ホラル(国会)議長との協議を要求しているから、というのが協議欠席の理由であった(ウヌードゥル新聞2006年04月22日付)。
この間、4月19日、このデモ集会運動に合流して、4月18日17時からハンストを行っているСАПУ被害者たちは(注:2005年12月16日、САПУ商業センター「ブンブグル」と通称されるーが大火災を起こし、その3つの建物棟に入居している店子たちが被災した)、政府閣僚3人と面会した。その際、オドバヤル法務内務相は、政府とСАПУとСАПУ被害者(従業員組合代表者)とが「三者協定」に署名し、「被害補償問題」解決のための第一歩を踏み出したので、ハンストを中止するよう、説得した。被害者側はこれを拒否した。(ウヌードゥル新聞2006年04月20日付)。
4月22日深夜19時10分、САПУ商業センター社長アルタン(注:石油販売会社アルトジン社長でもある)がスフバートル広場南側のゲル内で、ハンストを決行している同火災被害者と面会し、総額46憶トグルグを賠償することで両者が合意し、その場で署名した(テレビ視聴による)。
今後、この運動の成り行きが注目される。(2006.04.23)
(追々補)デモ集会運動側と政府側との折衝は土曜日と日曜日も続いた。
4月22日(土)、М.エンフボルド首相の指示により、商工副大臣、財務副大臣、保健副大臣らがハンストと座り込み参加者と面会し、ハンスト参加者で体調が悪化している人々を病院に収容した。4月23日(日)にも同様の動きがあった(ウヌードゥル新聞2006年04月24日付)。
4月23日、М.エンフボルド首相らとデモ集会側との4回目の話し合いが政府官邸で行われた。
デモ集会側の要求である、「エンフバヤル大統領、М.エンフボルド首相罷免」は、政府の権限外であり法になじまないとして政府側が拒否した。
「警備担当者の処分の可否」要求は、今後検討すると回答した。
「オユトルゴイ、タバントルゴイ、ボロー・ゴールド社問題」は、デモ集会運動側が当該問題作業グループに入って、政府、議会、デモ集会側が同等の権限で検討する、と回答した。
その結果、デモ集会側の「急進的改革」グループは、政府側の提案を受け入れ、ハンスト中止を発表した。また、「エンフバヤル大統領罷免」問題は憲法裁判所に提訴するとした。
一方、「健全な社会のための市民運動」グループは、エンフバヤル大統領らの罷免要求が実行されないから、この作業グループには加わらない、として政府側の提案を拒否した(ウヌードゥル新聞2006年04月24日付)。
こうして、「デモ集会」運動側は分裂ぎみである(ウヌードゥル新聞2006年04月25日付)。(2006.04.26)
(追々々補)4月25日、政府の提案を受け入れた、「急進的改革」代表ガンバータルたちのデモ集会運動側と、政府側との作業グループの初会合が開かれた。テーマは、「自動継続契約」の可否、地下資源からの所得税の検討、の2つであった(ウヌードゥル新聞2006年04月26日付)。
これに対抗し、その他のデモ集会運動は、「改革者運動国民戦線」を結成し(ウヌードゥル新聞2006年04月26日付)、4月27日、デモ集会を開いて、「国民特別大会」開催を提案した。しかし、「静かな」デモ集会に終始した(ウヌードゥル新聞2006年04月28日付)。
こうしてこの運動が求心力を失っていく中、「民主社会主義女性同盟」は声明を出し、デモ集会が法を遵守するよう要求した(ウヌードゥル新聞2006年04月28日付)。(2006.04.30)
