バガバンディ大統領とニャムドルジ法務内務相との論争(2005年05月03日)

バガバンディ大統領は、2005年05月02日、いわゆる「センターポイント」事件で逮捕され、禁固8年の有罪判決で服役していた、「ツァガーン・ションホル」社社長Ч.エンフタイバンに対し、病気を理由とする恩赦決定に署名した。それに対して、ニャムドルジ法務内務相は、この恩赦は突発的で認められない、と批判した(ウヌードゥル新聞2005年05月03日付)。

これに対し、バガバンディ大統領は、この恩赦は何ヶ月も前から検討されていたものであって、突発的なものではなく、ニャムドルジの批判は大統領の名誉を汚すものである、との談話を出した(ウヌードゥル新聞2005年05月04日付)。

更に、これに対する再批判が法務内務省から出され、バガバンディ大統領は、アブドラント刑務所から釈放された、「ツァガーン・ションホル」社社長Ч.エンフタイバンに対し、慰労の意を表明したが、この行為は全く不必要なものである、と批判した(ウヌードゥル新聞2005年05月06日付)。

この「センターポイント事件」というのは、2001年11月末、エンフ・タイバン大通りある店舗ビル「ツェントルポイント」に店子として入っていたバー「カジノス」で、「ツァガーン・ションホル」社社長Ч.エンフタイバンらが乱闘騒ぎを起こし、重傷者も出た。この乱闘騒ぎで、多数の会社経営者が逮捕され、結局、エンフタイバンは禁固8年の実刑判決が出された(ウヌードゥル新聞2002年02月21日付)。

こういったバーでの乱闘騒ぎはよくあることであって、これだけで禁固8年という実刑判決が出されたのは異例のことではないか、との認識が多くの人々の間で広まっていた。というのは、Ч.エンフタイバンは有力政治家との強い結びつきがあるというウワサがあって、このため、この事件は政治陰謀劇である、とされた。

バガバンディ大統領とニャムドルジ法務内務相は、二人ともハードライナー(硬骨漢)で、前者は「憲法」遵守、後者は「法秩序の番人」として、今までも、よく衝突してきた。最近では、2004年国家大ホラル(国会)選挙直後の国家大ホラル(国会)開会をめぐって、ニャムドルジは、バガバンディ大統領が臨時議長を務めた、第1回国家大ホラル(国会)議会が憲法違反である、と批判した(「続・2004年国家大ホラル(国会)選挙後の混乱」参照)。一方、ニャムドルジは、硬骨漢の故、民主党から目の敵にされ、「中国のスパイ」である、と非難されたこともある(「ニャムドルジ法務内務相スパイ疑惑問題」参照)。

バガバンディは、その任期を「ガイグイ(=悪くない)」に全うしようとしている大統領であって、充分評価に値する。私見では余り評価すべきものがなかった(注:民主化運動をゆがめ、経済混乱を招いたので、「ガイタイ(=悪い)」といってもいいかもしれない)オチルバト元大統領と好対照である。

ところが、この2005年5月22日で任期が切れるバガバンディ大統領は、今までの方針とはやや趣を異にする行動に出ている。その最初のものが、バガバンディ大統領による2005年春期国家大ホラル(国会)冒頭演説である。

それと同一の線上にあるのが今回の出来事である。

先のЧ.エンフタイバンという若者は、実は、エンフサイハン(民主党)と近い関係にある。エンフサイハンはこうした曰く付きの若者たちを多数周辺に抱えてきた。この事実を捕捉しているニャムドルジ法務内務相は、今回の大統領選挙に立候補しているエンフサイハンを応援させるべく、バガバンディ大統領がエンフタイバンを「突如」特赦させたのである、といいたかったのであろう。

バガバンディは、今後の活動を視野に入れて、すなわち、公人である大統領としてではなく、政治家個人としての行動に出ている、といってもいい。いずれにしても、バガバンディの行動は今後のモンゴル政治の一つの焦点になるであろう。(2005.05.11)

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