
バガバンディ大統領の2005年春期国家大ホラル(国会)冒頭演説の意味(2005年04月05日)
2005年度春期国家大ホラル(国会)が4月5日に始まった。国家大ホラル(国会)法によって、大統領、議長、首相、政党各派代表が冒頭演説を行うことになっている。この国家大ホラル(国会)でも、当初は、元気者というべきか乱暴者というべきか、かのグンダライ議員がまた何かやるのではないか、と言われていたが、出張でフィリピンに行ったので、混乱は避けられた。
その代わりというわけでは決してないのだが、バガバンディ大統領の冒頭演説が現在、議員・政党・ジャーナリズムのみならず、国民の話題を呼んでいる。
それを簡単に要約しておこう(注:全文がウヌードゥル新聞2005年04月06日付に掲載されている。また、ウランバートル・ポスト新聞2005年04年07日付、同紙電子版2005.04.06では、その要約が掲載されている)
この15年間で達成されたものは民主主義である。だが、「祖国・民主」同盟が解体し、議会バランスが崩れ、野党のチェック機能がなくなった。国家大ホラル(国会)によって承認された政党法、放送法にはチェック機能がなくなっている。人民革命党解体の試みを一部の党員が行っている。放送法の独占条項や、デモ・集会の禁止は憲法違反である。汚職が蔓延している。昨年度の経済成長率(10.6%)は少数の生産品増加の結果に過ぎない。許認可の煩雑さが解消されていない・・・。
バガバンディ大統領によるこの冒頭演説は、周囲の人々に聞いても評判がいい。その内容は、彼が8年間の大統領在職期間に行った行動の総決算というべきものになっていて、おおむね首肯できる。
だが、大統領選挙が間近に迫っているためか、政界周辺はこの演説を額面通り受け取ってはいない。
人民革命党は、この演説がエンフバヤル政権時代(2000−2004年)の施政への批判と受け取って、「卑劣な大統領による稚拙な批判」(新アルディン・エルフ新聞2005年04月06日付)と非難し、反大統領演説キャンペーンを展開することにした(同上紙参照)という。
だが、この演説を素直に読めばわかるとおり、彼は1990年代以降のモンゴルの現状を批判しているのであって、2000−2004年間だけを批判しているのではない。また、その批判されている内容は、1996−2000年の民主同盟連合政権時代にもっとも顕著に表れたものだった。だから、人民革命党の批判は、大統領選挙が迫っているための過剰反応と言うべきである。
また、民主党の機関紙化した感のある、ウドゥリーン・ソニン新聞(2005年04月06日付)は、この演説がエンフバヤル人民革命党党首への「必殺の一撃」になった、と期待を込めて(?)書いている。民主党は現在、児戯に等しい分裂状態に陥っていて、収拾不能状態であるから、何でもいい、敵失を願っているのであろう。
バガバンディは、大統領職任期がこの選挙終了後切れる。だが、彼は1950年生まれであるから、まだ55歳であって、政界を引退する気はないだろう。
バガバンディは、もともと人民革命党党首として頭角を現し、大統領を二期務めた。その基本姿勢は、「憲法遵守」であった。これは8年間変わらなかった。評価に値する。
だが、最近は、彼は祖国党エルデネバトを支持していると言われている。この祖国党(旧称民主新社会党)は、「社会主義」時代の高官などに支持されている(注:もっとも、祖国党と党名を改称してから、その政治主張や支持基盤が変わりつつある)。彼もその系譜に連なるのであろう。であるから、今後の彼の行動は、祖国党ベースになるかもしれない。
最近、野党的立場を鮮明に打ち出している、祖国党エルデネバトと政見は近いものがあるわけである。そのため、現状批判が強いものになったのである。
だが、それだけではなかろう。バガバンディ大統領は、次期大統領候補者たちに対し、今後の取り組むべき政策を提示し、願わくばその継承を要求したのであろう。
そのためか、エンフバヤルは、大統領選挙出馬声明で、「バガバンディ大統領の行動を継承する」、と述べ(ウヌードゥル新聞2005年04月06日付)、エンフサイハンは、その大統領選挙行動綱領の第一に「汚職追放」を掲げた(新アルディン・エルフ新聞2005年04月06日付)。
この両者はいずれもバガバンディの支持をあてにしているのである。
というわけで、バガバンディ大統領は、今後の政治活動を視野に入れつつ、冒頭演説を行ったのである。(2005.04.12)
