
「モンゴル・ガザル」社社長ミャンガンバヤル不起訴(2010年10月27日)
この問題の背景については、上記のモンゴル時評で取り上げた。
ところがここにきて、ウランバートル市検察局は、「モンゴル・ガザル」社社長ミャンガンバヤルを不起訴にした。
当検事局によると、Ц.ミャンガンバヤルは、モンゴル・ガザル社およびその関連会社名義の二重担保で、1693億4200トグルグを借り入れ、詐取した容疑で、2009年に逮捕されていた。
当検事局の取り調べによって以下のことが判明した。すなわち、
1)その資金はオロン・オボート金鉱山への投資に充当された。
2)貸付銀行側(注:旧ゾース銀行)の証言によれば、この二重担保は、銀行の背任行為であった。
3)銀行の貸付は、数度に分けて行われ、法定額(銀行自己資本の20%以下)を越えていない。
4)Ц.ミャンガンバヤルによる銅・金特別税1280億トグルグ未払いは、民事裁判に移管される。
5)Ц.ミャンガンバヤルの債務は、オロン・オボート金鉱山の共同出資者であるジャスト・グループが引き継ぐ(以上ウヌードゥル新聞1010年10月28日付および同電子版)
なお、これに関連し、前述の旧ゾース銀行社長Ш.チョダンジは、背任行為の容疑で逮捕され(ウヌードゥル新聞1010年10月28日付および同電子版)、2010年10月27日夜、健康上の理由で保釈された。彼女は、2週間ガンツホダグ刑務所に拘留されていた(ウヌードゥル新聞1010年10月29日付および同電子版)。
さて、この名物男Ц.ミャンガンバヤル不起訴には、私見では、政治絡みの臭いがする。
オロン・オボート金鉱山(注:バヤンホンゴルとウムヌゴビとの県境)は、1億ドルの資金調達を香港証券取引所で行っていた。この鉱山の所有株の49%は「モンゴル・ガザル」社長Ц.ミャンガンバヤルが所有しており、これにО.チョローンバト元モンゴル銀行総裁(現国家大ホラル[国会]人民革命党選出議員)が参画している(ウヌードゥル新聞2007年1月23日付)。さらに、前述の通り、残りはジャスト・グループが所有している。ジャスト・グループは、石油販売会社である。彼らは人民革命党側に近い。
一方、民主党から立候補して大統領になったエルベグドルジは、司法権を掌握したい。そのため盟友ドルリクジャブ(注:専門は獣医、のち研修で法律課程を修了)を国家検事局長官に送り込んだ。
最近でも、エルベグドルジは、最高裁判所首席裁判官С.バトデルゲルの任期内辞職(注:任期は2011年までである)を「承認」した(ウヌードゥル新聞1010年10月28日付および同電子版)。後任は、自派の裁判官が送り込まれるであろう。この人事は、最終的には、国家大ホラル(国会)の承認が必要となる。
大統領側は、国家検察局を掌握し(注:上述の国家検察局長官ドルリクジャブは、民主同盟連合政権(1996-2000)下でのエルデネト社汚職問題に関連して「灰色」である)、さらに最高裁判所を自派で固めるために、ミャンガンバヤルを不起訴にして、国家大ホラル(国会)での多数派である人民革命党側に恩を売ったのである。(2010.10.31)
(追補)エルベグドルジ大統領は、最高裁判所首席裁判官С.バトデルゲルを辞職させ、その後任にЦ.ゾリグを任命した。Ц.ゾリグは、1882年、モンゴル国立大学法学部卒業。その後、29年間、裁判所裁判官として勤務(ウヌードゥル新聞2010年11月6日付電子版)。(2010.11.07)
(追々補)旧ゾース銀行経営陣背任事件に関し、「オイ・モド」社社長Д.バトバヤル(ゾース銀行創立者の一人、同銀行元社長)が逮捕された。Д.バトバヤルは、ゾース銀行への投資金を引き出し、同銀行の経営危機を引き起こした。また、財務省財務局長Х.プレブスレンも経営陣背任行為に荷担している疑いで逮捕された(ウヌードゥル新聞2010年11月5日付および電子版)。(2010.11.07)
(追々々補)前述の「ジャスト・グループ」について。
石油輸入販売を主要業務とする「ジャスト・グループ」は、Ш.バトフーが所有する。
Ш.バトフーは、1965年7月3日、ウランバートル市ドゥチンミャンガト生まれ。1984年、第23番中学校を最優秀の成績で卒業。1985年、モスクワ経済統計大学入学。1990年同大学卒業後、モンゴル中央統計局に入る。1991年、ウランバートル市役所に移る。生活苦のため、韓国とシンガポールから2台のコンピュータを買い入れて売り、生活の足しにした。
Ш.バトフーは、生活の困難のため辞職し、旧友С.セルゲレン(注:現「ミニ・デルグール」スーパーマーケット社長)と共同で、銀行から100万トグルグ借りて、「ハンガイ・ホルショー」を設立し、中国・ロシア間の商売を始めた。
1994年、意見の違いから辞職し、Ж.オドジャルガル(注:現MCS社社長)とMCS社を設立し、副社長。1996年辞職。
1997年、「モンスタル」社を設立。多額の債務を抱えて倒産。
債務から逃れるため、ロシアに行く。そこでタマネギの輸入の商売を始めた。当時の中国国家主席ケ小平の死亡と重なって、モンゴル国内で輸入タマネギが不足したため、多額の利益を得た。更に、ロシアからブルドーザーを輸入して売った。
1998年、自動車修理業の「ジャンプ」社副社長。ロシアからディーゼル・オイルを輸入し、利益を得た。1999年2月辞職。
1999年2月、「ジャスト」社設立。「アルトジン」社のГ.アルタンから100万ドル借りた。当時、ロシア・ルーブル安を利用し、石油を輸入し、多額の利益を得た。更に、牛肉の輸出をも行った。
2002年、牛の口蹄疫のため牛肉の輸出ができなくなり、3億トグルグの赤字になった。
2003年、鉱山部門にも進出し、ボルウンドゥルで蛍石採掘。
2007年、ドルノド・アイマグで蛍石採掘(Ж.Батсvх, О.Чинзориг, Монголын Авъяаслаг Бизнесмэнvvдийн, Нууц, Улаанбаатар, 2007、より)。
以上のことからわかるとおり、Ш.バトフーとЦ.ミャンガンバヤルは、その経歴、生活経験、事業、銀行からの債務などに共通するところがある。(2010.11.07)
