
2008年度地方議会選挙実施(2008年10月12日)
2008年度地方議会選挙が2008年10月12日に実施された。この地方選挙には、9党と無所属が立候補した。
(ウランバートル市チンゲルテイ区立候補者のポスター・その1[山崎光高氏撮影])
((ウランバートル市チンゲルテイ区立候補者のポスター・その2[山崎光高氏撮影])
選挙結果(暫定)は、21アイマグでは、人民革命党が18アイマグ、民主党が3アイマグで勝利し、全体としてみれば、人民革命党が勝利した。
(ウヌードゥル新聞2008年10月14日付より)
ウランバートル市では、人民革命党は、スフバータル区、ナライフ区、バガハンガイ区で勝利し、民主党はハンオール区で勝利した。
また、ウランバートル市の9選挙区のうち、3選挙区(バヤンゴル区、バヤンズルフ区、チンゲルテイ区)で投票率が47%で、規定の割合(注:50%)に達せず、2週間以内に再選挙が行われる(注:全選挙区で行われるかこの3選挙区だけで行われるかは不定)。
さて、
2004年の地方選挙結果に関して、著者が書いたとおり、この地方選挙の結果が国政には直接的な影響を及ぼすことはない。
だが、モンゴル国民の動向はうかがえる。
第一に、国家大ホラル(国会)議員選挙と同様、地方議会議員選挙でも人民革命党が勝利した。このことは、当然のことだが、モンゴルの伝統が途切れず継承されていることを意味する。それは、IMF主導の資本主義が「侵入」してもなお、社会主義の伝統が根強く残っていることであり、様々な批判があるものの、С.バヤルが率いる中道左派(=社会民主主義)路線をとる人民革命党が支持されていることを意味する。
第二に、ウランバートル市の9選挙区のうち、3選挙区で投票率が規定の基準(50%)に達しなかった。これは、この選挙にウランバートル市民の関心が低かったことを示す。
この原因として指摘できるのは、
7月1日の「騒乱」に対するウランバートル市民の批判が根強く残っており、選挙それ自体を拒否したと考えられる。実際、バトバータル(民主党)、ドルリグジャブ(民主党)など、国家大ホラル(国会)議員選挙に敗北した人々が再度立候補した。また、国家大ホラル(国会)議員の兄弟、子弟が多く立候補した。こうした行動を市民たちは評価しなかった。
また、人民革命党と民主党が連合政権を結成したため、争点が曖昧になった。第三勢力は(注:市民の意志党など。なお、市民運動党、国民党は壊滅状態。国民新党は選挙に不参加。祖国党は地方で若干の議席を獲得)、目立った動きを見せなかった。このことが無所属候補の増加となってあらわれた。
第三に、ザブハン、ウムヌゴビ、スフバータルの3アイマグとウランバートル市ハンオール区で、民主党が勝利した。ハンオール区は、産業・ビジネス地区であり、私企業経営者の影響下にある。彼らは民主党を支持した。また、先の国政選挙では、前ハンオール区長ザグドジャブと前国家大ホラル(国会)副議長イデブフテン(二人とも人民革命党)が1票差の極僅差でザグドジャブが当選した。このザグドジャブの強引な政治姿勢が批判されることが多い。これが民主党支持につながった。
ザブハン・アイマグは、国政選挙では人民革命党が勝利したが、この地方選挙では民主党が勝利した。このアイマグで電力供給がしばしば絶たれていた。これが、政権党である人民革命党に対しての不満につながった。
ウムヌゴビ、スフバータル両アイマグは(注:ウムヌゴビ・アイマグはタバントルゴイ[石炭鉱床]、オユトルゴイ鉱山[銅・金鉱床]があり、スフバータル・アイマグは石油鉱床、石炭鉱床などがある)、今後の鉱物資源開発によって、注目される地方になる。この地方で、民主党が勝利したというのは、現地の人々の生活上の不安感の表れである。
第四に、フブスグル、ヘンティー両アイマグでは、前回の結果と逆転した。両アイマグは、元来、反政府的傾向が強い地方である。フブスグル・アイマグでは、グンダライが保身のため、国民党を放棄して民主党に加わる、という奇妙な行動を採り、国家大ホラル(国会)議員に再々選した。さすがにこれに対するフブスグルの人々の批判もあるであろう。
ヘンティー・アイマグでは、国家大ホラル(国会)議員選挙で、知事ジャルガルが民主党の推薦を得られず、無所属で立候補して落選した。この地方選挙でも無所属で立候補して当選した。ジャルガルは、その性格に批判はあるものの、実績は高かった。彼の行動が民主党批判につながった。
こうした細かいことはさておき、1)モンゴル国民の社会主義的伝統への回帰傾向、2)モンゴル国民のバランス感覚、(さらに付け加えれば、3)モンゴルにおける貧富の差の拡大)、といった要因が、否定されるどころか、ますます強固に表れたというべきである。(2008.10.19)
(追補)ウランバートル市以外の地方議会議員選挙結果は、人民革命党が393議席、民主党が230議席(その他共和党2議席、祖国党2議席)を獲得した(ウヌードゥル新聞2008年10月24日付)。(2008.10.25)
(追々補)投票率が50%に達しなかったため、ウランバートル市議会議員再選挙(注:正確には「住民代表評議会[地方議会]」であるが、便宜上「地方議会(市議会、区議会)」とする)が、2008年11月30日(午前7時〜午後10時)、実施された。
15選挙区45議席をめぐって、7党から119人および無所属の43人合計162人が立候補した(10月12日の本選挙では168人)。
それと同時に、ソンギノハイルハン区、バヤンズルフ区、チンゲルテイ区議会議員再選挙も実施された。
今回は、選挙管理委員会は、投票率を上げるために、クジを実施するウワサがあったが、実施されなかった。また、「ミクロ」(注:モンゴル人の生活の足となっている私営超小型マイクロバス)で有権者を搬送した(ウヌードゥル新聞2008年12月1日付)。また、ナラントール・ザハなどの主要な市場の営業が禁止された。
その努力のかいあって(憲法違反の疑いもあるが)、ウランバートル市議会議員再選挙の投票率は65%であった(ウヌードゥル新聞2008年12月2日付)。
ウランバートル市議会議員再選挙の結果は、全45議席のうち、人民革命党が36議席、民主党が9議席、それぞれ獲得した。
民主党は前回3議席から3倍の9議席に増やした。それを「大躍進した」(エムジン記者)と皮肉るジャーナリストもいる。
その中には、オドントヤ(国政選挙立候補者)、ニャムフー(国政選挙立候補者)、バトトール(ジェンコ・グループ総帥バトトルガの弟)、バトチメグ、ガンボルト(国政選挙立候補者、元副首相)などがいる。なお、第三勢力は当選しなかった(ウヌードゥル新聞2008年12月3日付)。
(ウヌードゥル新聞2008年12月6日付より)
一方、区議会議員再選挙の結果は、ソンギノハイルハン区が人民革命党31議席:民主党4議席、チンゲルテイ区が人民革命党23議席:民主党12議席、バヤンズルフ区が人民革命党全議席であった(ウヌードゥル新聞2008年12月5日付)。
この選挙結果は、2008年10月12日に行われた地方議会選挙とほぼ同じ傾向を示す。すなわち、モンゴルにおける社会主義の伝統は消え去っていない(注:私見によれば、正確には、社会民主主義としてであるが、それが強くなっている)。(2008.12.07)
