
2004年地方議会選挙実施(2004年10月17日)
モンゴル地方議会選挙(注:正確に言えば「住民評議会」議員選挙だがわかりやすく「地方議会」議員選挙とよぶことにする)が、2004年10月17日07ー22時に実施された。投票率は平均62%。ウランバートル、ヘンティー・アイマグでは53−55%の低投票率だった。ただ、「50%以下では再投票実施」という事態は回避された。
その選挙結果(暫定)が翌18日、中央選挙管理委員会委員長ヤダムスレンの記者会見によって発表された。それによると全選挙区地方議会議員690人のうち、人民革命党が444人、「祖国・民主」同盟が235人、無所属が11人、共和党が1人、それぞれ当選し(18日時点、ゴビアルタイ・アイマグの1選挙区では選挙管理委員会の不備で再投票実施決定)、人民革命党が勝利した(ゾーニー・メデー新聞2004年10月19日付)。
(補注:中央選挙管理委員会は、10月21日、地方議会選挙の結果を報告した。それによれば、投票率は66.22%、全国690議席のうち人民革命党439議席(63.62%)、「祖国・民主」同盟180議席(26.09%)、無所属10議席、特にウランバートル市では人民革命党が40議席のうち37議席を獲得し圧倒的な勝利を収めた。なお、137投票場では、投票率が50%に達しなかったので、31日(日曜日)に再投票が実施される。ウヌードゥル新聞2004年10月22日付)
二大陣営の、人民革命党と「祖国・民主」同盟の選挙公約は、人民革命党が「各選挙区で1000人を(合計4万人)外国就労に出す。新婚家庭に50万トグルグ支給など」(ウヌードゥル新聞2004年10月14日付)、「祖国・民主」同盟が「1、子供に毎月1万トグルグ支給を実現させる。2、4万戸のアパートを建設する。3、土地を(家族毎ではなく)国民一人一人に所有させる。4、都市環境の整備。5、官僚主義の排除。6、家庭診療の近代化(「祖国・民主」同盟「選挙公約」より要約)、というものであった。
その選挙公約の争点は、特に、人民革命党の「4万人の外国就労」と「祖国・民主」同盟の「子供に1万トグルグ支給」だった。
表面的には、人民革命党の選挙公約を有権者が選択したことになるが、実情はそれほど単純ではないだろう。
過去3回(1992、1996、2000年)実施された地方議会選挙は、すべて人民革命党が勝利してきた。
地方議会選挙は、ムラ社会ともいわれるモンゴルにあっては、直接、身近にいる人間を選ぶのであり、選挙公約よりも地縁血縁や人柄を選挙基準にする。その意味で、人民革命党のもつ、歴史的、人的、組織的有利性が強くその選挙結果に影響を与えたといえる。
また、周囲の有権者に聞くと、国家大ホラル(国会)議員選挙と違うから、棄権する、という人も多かったし、若い世代が多いモンゴルにあっては、地方学生がウランバートルに出てきており、投票のために帰郷することもなかった。さらには、選挙運動が、実質的には、わずか1週間前に始まっただけで、特に、ウランバートル市では選挙運動に対して無関心な人が大半であった。こうしたことが影響して、従来の選挙結果と変わらない、低投票率の選挙結果となったのである。
この意味で注目すべきは、フブスグル、ヘンティー、スフバータル各アイマグで「祖国・民主」同盟が勝利したことである。ウヌードゥル新聞(2004年10月19日付)は、この勝利が「通常の現象である」、と解説している。確かに、フブスグル・アイマグは、1989年の民主化運動にも積極的に参加し、ウランバートル市での民主化運動参加者によるハンガー・ストライキ(1990年3月)に呼応して、ハンガーストライキを行った。その歴史を背景にして、国家大ホラル(国会)議員選挙では「祖国・民主」同盟が全議席(3議席)を占めた(注:厳密に言えば、「祖国・民主」同盟が民主化運動を継承しているのではない。それは幻想である。だが、時にはこの「幻想」が有利に作用する)。
だが、ヘンティー、スフバータル・アイマグは、必ずしも、「通常の現象」ではないだろう。スフバータル・アイマグは次期首相であるといわれる、オラーン副首相(人民革命党)の出身選挙区である。今回の選挙では、彼は最高得票率で当選した。その選挙区で「祖国・民主」同盟が勝利したのは、モンゴル人の特徴とされる、「バランス感覚」が作用したのであろう。
ヘンティー・アイマグでは、10月10日(09日ともいわれる)、筆者たち調査グループも調査したこともある、バヤンホタグ・ソムから草原火災が発生した。このアイマグは有力な若手政治家である、フレルスフ(人民革命党)の選挙区であるし、彼自身は災害対策無任所相として、消火の陣頭指揮にあたっていた(ゾーニー・メデー新聞2004年10月19日付、ウドゥリーン・ソニン新聞2004年10月19日付)。この草原火災に対する消火活動のため、人々は投票どころではなかっただろうし、火災に対する批判もあったであろう。
ただ、フブスグル、ヘンティー(特に北部)は、ハルハ人に対する反発があること(前者にはダルハト人、後者にはブリヤート人が多く居住する)も影響したであろう。
それでも、2004年国家大ホラル(国会)議員選挙による、「大同盟」政府結成を、有権者がどう受け止めたか、という観点から見ることは不可能ではないだろう。
その意味で、ウランバートル市での「祖国・民主」同盟の敗北(40議席のうち3議席のみ獲得)は注目すべきであろう。「民主党機関紙」のウドゥリーン・ソニン新聞(2004年10月19日付)は、8年前(1996年地方議会選挙)は、ウランバートルで1議席、今回(2004年地方議会選挙)は2議席(ママ)獲得したから、「祖国・民主」同盟が8年前からの失敗を克服した、と奇妙なことをいっているが、これは論外であろう。
やはり、有権者は、「子供に毎月1万トグルグ支給」という、「祖国・民主」同盟の選挙公約を「非現実的」だと受け止めたのではないだろうか。また、国家大ホラル(国会)議員選挙後の「祖国・民主」同盟側による「大臣職の奪い合い」に対する批判もあるだろう。
さて、常識的には、この地方議会選挙は、国政に影響することは余りない、といえる。それでも、政治学者Р.エムジンが、「今回の地方選挙はエンフバヤルの運命を決める。敗北すれば、若い党員たちが党内改革の波をさらに高めるだろう」(ウヌードゥル新聞2004年10月13日付)、と書いていたように、先の国家大ホラル(国会)議員選挙で、実質的に敗北した人民革命党の党首エンフバヤルの評価を問う、という一面もあった。
そのエンフバヤルは、10月18日の記者会見で、「国家大ホラル(国会)議員選挙も(「祖国・民主」同盟による)選挙違反行為がなければ同じ結果が出ただろう。選挙公約は実施する」と述べた(ゾーニー・メデー新聞2004年10月19日付)。また、「失業および貧困問題に取り組む」(ウドゥリーン・ソニン新聞2004年10月19日付)、として、再び政治活動への確信を深めたようだ。
一方、「祖国・民主」同盟本部長エンフサイハン(民主党党首)は、今回の地方選挙は余り積極的に活動しなかった。国家大ホラル(国会)での代表演説で、「子供に1万トグルグ支給」を実現できなければ、首相罷免を要求する、と「脅迫」していたが、今回の敗北をエルベグドルジ政権打倒の好機ととらえ、さらには、大臣職を獲得できず、不満いっぱいのグンダライと共に、そのための活動を活発化させるかもしれない。
そういうわけで、エルベグドルジ政権の将来が明るい、とは必ずしもいえなくなった。(2004.10.20)
