
中小企業主への無担保融資(2008年10月20日)
モンゴル商工会議所(注:所長С.デムベレル)、ハス銀行(注:最高経営責任者Ч.ガンホヤグ)、ペトロビス社(注:社長Ч.ダバーニャム。NIC社を民営化によってで獲得)共催による、中小企業主に対する無担保融資が実行された。
(モンゴル商工会議所、筆者写す)
(ペトロビス社。元NIC社ビル。NIC社は民営化によりペトロビス社が落札した。筆者写す)
(ハス銀行。「わが社は祖国を愛する」という屋上看板が見える。筆者写す)
(ペトロビス社の建物にハス銀行支店がある。筆者写す)
36人に50万〜500万トグルグを融資する。
彼らの中には、ナラントール市場での小売業者、ハム製造業者、製靴販売業者、裁縫業者などが含まれている。
その中の一人、Т.エンバヤルは150万トグルグの融資を受けた。
ウヌードゥル新聞は、彼にインタビューして、いかなる事業をしようとしているのか聞いている。以下それを訳出する。
「あなたは、どんな商売をしようとしているのですか。」
「私は、革製品で土産品を製作しています。『ボクシング用サンドバッグの製作』という融資申請書を書いて、融資を得ました。私の家には8歳の息子がいまして、『サンドバッグがほしい』というので、私は布を使って作ってやりました。そこから思いついて、革で作ってみました。」
「革で作って売ってみたのですか。どれくらい売れましたか。」
「スポーツ用品店やスポーツ・クラブで売ってみました。店員は、私が自分で作ったことは知らないので、『まだ残っておれば全部買い取りましょう』といいました。現在、だれでもボクシングに興味があるので(注:北京五輪でモンゴル人選手バダルオーガンが金メダルを獲得した)よく売れるのです。」
「売値はいくらですか。」
「中国製のものは、6〜8万トグルグです。私は、合成皮革で製作するので、2万5千〜6万5千トグルグで売っています。その道の専門家がいうには、材質がモンゴル製皮革だと堅いのでだめだそうです。子供用と大人用、その中間のものを製作します。」
「内部は何で作っていますか。」
「布の詰め物を入れています。これはそれほど難しいものではありません。私が自分で製作したというと、人々は捨ててしまいますから、『モンゴル製』というラベルを貼っています。重さが20〜50キログラムのボクシング・サンドバッグを製作しています。」
「融資金はいつ返済するのですか。」
「6ヶ月後です。」
「そんなに短期間で返せるのですか。」
「できますとも。私の製作した製品は、回転が速いのです。」
「何人で製作しているのですか。」
「最初は一人だけで作ります。自分の名誉を汚さないように努めます。評判というものは大きな財産ですからね。私は、韓国へ行こうとして、700万トグルグをだまし取られたことがあります。現在は、ここから始めたいと思っています。製作作業を今週の縁起のいい日に始めたい。私は幸運でした。」(ウヌードゥル新聞2008年10月21日付)
さて、モンゴル商工会議所は、モンゴル商工業発展を支援する準国家組織である(注:1960年設立)。ハス銀行は、国連から資金を得て中小企業主に融資を行ってきた。ペトロビス社は石油輸入販売を行っている。
今度の試みは、第一に、資金不足に苦しめられているモンゴル人中小企業主に対し、無担保で融資を与える、というものである。モンゴル銀行は現在、高金利での金融引き締め政策を実行しはじめた。これは、34%ともいわれるインフレ率を下げるために採用された金融政策である。
これに伴い、急騰していたアパート販売価格が下落し始めた。
一方、モンゴル人中小企業主は、事業回転資金不足に悩むことになる。
こうした現状を改善するべく、上述の試みがなされたのである。
上に訳出したТ.エンバヤル氏は、その典型であろう。彼は、以前、韓国に出稼ぎに出かけようとして、その資金をだまし取られた経験がある。その際、採る行動は二つある。
一つは、警察に訴える。警察は、現状では無力である。そこで、抗議行動を起こす。
「ズールン・エフ協会」の人々はかつて、2003年12月15日、ハンガーストライキを行った。その後、その参加者のうち、バーサンという女性は、「高齢者自由連盟」を結成し、反政府行動を開始した。彼女は、2008年国家大ホラル(国会)議員選挙(2008年6月29日)に、ウランバートル市バヤンズルフ区から無所属で立候補した(落選)。
もう一つの行動は、Т.エンバヤル氏のように、直接生産を行って(物作りをして)、自立を図ることである。彼は、勤勉で誠実、創意工夫をし、自分の名誉を重んじる。
こうした人々がモンゴルに多くなれば、モンゴルの将来は明るい。モンゴルの歴史は彼らが担っている。(2008.10.26)
(追補)ウヌードゥル新聞(2008年10月28日付)の続報。
モンゴル商工会議所、ハス銀行、ペトロビス社は、この融資の成果を見て、計画を継続するかを考慮するという。
融資を受けた人々について。
Ч.ツェツェグマーさんは、5人の娘を持つ世帯主である。彼女は、70万トグルグの融資を得た。そこから中古のミシンを15万トグルグで購入し、作業服とモンゴル・デールを製作する。彼女は、以前、針子をしていたが、地方へ行き、遊牧民になった。ゾドで家畜を失い、2002年にウランバートルに戻った。ウランバートルでは、中国資本の服製作会社で働いていた。その会社は倒産した。彼女の子供たちの学業成績は良く、休みの日には彼女たちはアルバイトをして学費を稼いでいる。融資を元手にしてお金を増やし、ゲルを建てたい。
ハイラースト在住のХ.ドルゴルスレンさんは、6人の子供を持つ。5年前から、夫婦で(夫は腕がいい)子供靴を製作し、ナラントール市場で卸売り(4000トグルグ)してきた。靴の品質がいいが、事業回転資金がなかったので、100万トグルグの融資を申請し、認められた。そのうち、15万トグルグでロシア製の製靴用機械を購入した。1ヶ月で150足製作する。6ヶ月後、毎月8万3000〜8万4000トグルグ返済するつもりである。1年後に完済する。家を建てたい。
Э.ガントルガさんは、22歳の若さ。彼は、500万トグルグの融資を得た。母親およびその友人たちと共同で「ポリハム」社(ハム製造)を設立し、責任者となった。彼は、子供の時から仕事をしていた。
繰り返すが、モンゴル史は、こうした誠実で勤勉なモンゴル人によって担われている。筆者は、彼らの成功を願ってやまない。(2008.10.29)
(追々補)この無担保融資計画(38人に総額4960万トグルグの無担保融資。前記では、36人としていた)の結果はどうなったか。
上述のЭ.ガントルガさんは、「ポリハム」精肉工業設立のため、500万トグルグの無担保融資を受けた。
この資金によって、燻製豚肉の製造をして(注:いわゆるスモーク・ハム、モンゴルでは珍しい)、「メルクリ」、「バルス」、「バヤンズルフ」各市場の商人たちと販売契約を結び、製造品出荷を開始した。
専門技術者である彼の母Г.アムガランさんは、旧ダルハン肉コンビナートで30年間以上働いていた。これから製造肉の種類を増やす計画であるという。また、次の旧正月にための展覧会に出品するつもりだともいう。
彼らの受けた融資の返済はどうなったか。
例えば、Н.バトバヤルさんは、装飾品制作のため、209万トグルグの融資を受けたが、彼はこの融資を完済することができたのみならず、ハス銀行に銀行口座も開くことができた(ウヌードゥル新聞2009年1月7日付)。
彼らは、社会主義のもとで培ってきた技術をもとにして「直接生産」をし(注:これを歴史的継承という)、「自己資金を蓄え」、さらに「拡大再生産」を行っていく。これが「モンゴル発展の基礎」になる。(2009.01.12)
(追補)上記のハス銀行について。
ハス銀行は、Ч.ガンホヤグが1999年に設立した「アルタン開発基金」という貯蓄信用組合を前身としている。この貯蓄信用組合は、2001年12月27日、30億トグルグの資本金で銀行設立認可を受けた。
Ч.ガンホヤグは、1973年ウランバートル生まれ。彼は、1983年、父に随い、ハンガリーに行った(注:父は大使館付運転手)。その後帰国して、1991年、10年制中学を卒業し、担ぎ屋をした後、為替ディーラーとなった。
(注:『モンゴル・ビジネスマンの閲歴[モンゴル語]』227ページの挿入写真より再掲)
その経験を基礎に、上述の「アルタン開発基金」を設立したのであった(以上、Ж.バトスフ、О.チンゾリグ、『モンゴル・ビジネスマンの閲歴[モンゴル語]』、2007年、ウランバートル、227〜236ページ)。
こうして、設立されたハス銀行は、欧州復興開発銀行の資金供与を受けている。
すなわち、2006年09月12日、欧州復興銀行は、中小企業支援のためと、ハス銀行の金融活動を強化するために、100万ドルの資金供与を行った(ウヌードゥル新聞2006年9月13日付)。
また、国連開発計画も、ハス銀行に「小口融資」を行っている(モンツァメ通信2004年5月31日)。
このハス銀行最高経営責任者Ч.ガンホヤグは、2007年4月22日、米国ハーバード大学で開催された、「小規模財政の将来」という会議で、モンゴル小規模企業への効果的な銀行融資の経験を報告している(ウヌードゥル新聞2007年4月25日付)。(2009.10.22)
(追々補)Ч.ガンホヤグは、С.バヤル首相辞任を受けて就任したСv.バトボルド新首相の経済政策顧問に就任した(ウヌードゥル新聞2009年11月13日付)。(2009.11.15)
