
憲法裁判所、再度ニャムドルジ議長による採択法案改竄を認定(2007年05月24日)
憲法裁判所は、国家大ホラル(国会)が採択した法案は憲法に違反していないかどうかを判断する「裁判所」である。住民の提訴によって「裁判」が行われる。
憲法裁判所大法廷は、かつて(2007年3月2日)、ニャムドルジ国家大ホラル(国会)議長が憲法に違反して、採択法案を改竄した、という裁定を下したていた(詳細は
以前の「モンゴル時評」を参照してほしい)。
ただ、その裁定は、ニャムドルジ議長が採択法案の改竄を行った、と裁定を下しただけで、それが議長解任に相当する、というものではなかった。
これを不満として、再度、市民のД.ラムジャブ、Р.ボルマーたちは、「反汚職法」「鉱山法」など、国家大ホラル(国会)が採択した法案をニャムドルジ議長が改竄したことが、憲法および国家大ホラル(国会)法に違反し、これが彼を議長から解任する十分な根拠となる、という申し立て(原告)を行った。
憲法裁判所中法廷は、この提訴を認める裁定をした。
これに対し、ニャムドルジ側は、異議申し立てをし、2007年5月24日、憲法裁判所大法廷が開廷した。
その結果、憲法裁判所大法廷は、ニャムドルジ議長が憲法に違反して採択法案の改竄を行ったことが議長解任の根拠となる、という裁決が下した(ウヌードゥル新聞2007年5月24日付)。
この裁定を受け、国家大ホラル(国会)人民革命党会派は、2007年5月25日、休会を要請して、ニャムドルジ議長問題について協議する模様である(民主党も同様)。
法律専門家の見解では、国家大ホラル(国会)は、憲法裁判所の裁決を承認するかしないかを秘密投票によって採決すべきであり、議長解任採決ではない、というが、一方で、法律専門家であるニャムドルジに条文の「改竄(改訂)」をさせてしまうほどの、「議員たちの法律知識の欠如」(Д.オドバヤル法務内務相談)がこの問題の背景にある、という指摘もある(ウヌードゥル新聞2007年5月24日付)。
この問題は、継続中であり、予断を許さないが、筆者が前に指摘したように、モンゴル法制史の特徴を表している。国家大ホラル(国会)が最高の立法機関であり、採択法案が最終のものである、という憲法の条項がある。その一方で、議長に採択法案の「改訂」を認める「国家大ホラル(国会)規則」がある。
憲法がすべての拠り所であることは自明である。とすれば、「国家大ホラル(国会)規則」の違憲性を問題にすべきであろう。
先のニャムドルジ議長解任案は、民主党による党略の色彩が濃厚であった。元来、議員の法案作成能力が問題でもあり(注:議員の3分の2ほどがビジネスマンである)、正常な採決が行われるか、目下のところ、予断を許さない。(2007.05.27)
(追補)憲法裁判所裁決を受け、国家大ホラル(国会)行政制度常任委員会は、2007年5月30日、ニャムドルジ議長問題について、憲法裁判所委員長Ж.ビャンバドルジと質疑応答した。
ビャンバドルジは、その裁決経過を説明して、ニャムドルジ議長解任問題を審議する必要がある、という裁決をしたが、解任するがどうかの権利は国家大ホラル(国会)にある、と答弁した。
その後、同委員会は、秘密投票を行って同問題を採決した。出席14委員のうち、10委員は、憲法裁判所の裁決を不承認にした(ウヌードゥル新聞2007年5月31日付)。
この採決を受け、国家大ホラル(国会)総会は、翌2007年5月31日、ニャムドルジ議長問題を審議した。
ビャンバドルジ憲法裁判所委員長は、市民の提訴により憲法裁判所が審議し、解任問題を審議すべきである、という裁決を出した、と、前日の行政制度委員会でのそれと同様の答弁をした。
Н.バトバヤル(民主党)は、2006年7月20日の総会議事録には(注:2006年春期国家大ホラル(国会)閉会日での審議のこと。この春期国家大ホラルにおいて、「改正鉱山法」などが採決された)、議長に法案修正の権利を与えた、という記述はない、と述べた。
これに対し、ニャムドルジ議長は、時間が切迫しているので、採決された5法案などの最終文案を自分が修正して提出する、としたが、その際、民主党は反対しなかった、と反論した。
さらにまた、ニャムドルジは、「自分が解任されるべきであるのなら、政治がそれに関係している」という新聞紙上での発言のうちの、「政治」というのは「人民革命党」のことであるのか、というН.バトバヤルの質問に対し、彼は、「政治」というのは民主党のことだ、と答えた。
この発言が民主党の怒りを誘発し、民主党は無期限の審議拒否をした(ウヌードゥル新聞2007年6月1日付)。
こうして、数多くの重要法案審議が控えているにもかかわらず、国家大ホラル(国会)は混迷し続けている。
市民運動家の一人、Н.ダシゼベグ(注:「モンゴル発展運動」代表、経済学者)は、政治・経済界のボスたちがニャムドルジ排除を企てた、と語って、ニャムドルジ擁護の側に回っている。
彼によれば、タバントルゴイの採掘権を所有し、鉱山部門大企業を擁護するП.オチルバト(注:元大統領)がニャムドルジに敵対している。また、商業発展銀行民営化を主導したН.エンフバヤル(注:現大統領)とО.チョローンバト(前モンゴル銀行総裁)がその手続きに批判的だったニャムドルジに復讐した(ウヌードゥル新聞2007年5月29日付)。
この意味は、政界(エンフバヤル)と経済界(オチルバト、チョローンバト)のボスたちに批判的なニャムドルジへの報復が、ニャムドルジ議長解任問題の背景にある、ということである。
この見解は、モンゴル現代史の一面をついている。(2007.06.03)
(追々補)2007年6月6日、国家大ホラル(国会)総会が開かれ、ニャムドルジ議長問題が審議された。
審議ボイコットをしている民主党から唯一人出席したЛ.ガンスフ(民主党議員代表)は、民主党がニャムドルジ解任を公式に主張しているので、そのための投票手続きをすべきである、と述べた(注:民主党議員が審議拒否をしている限り、採決すべきではない、という意味)。
一方、人民革命党は、「ニャムドルジ解任不賛成」採決を見越して、「ニャムドルジ解任賛成」を表明している民主党議員17人が投票したと見なして、無記名投票を行った。
この日、44人の議員が無記名投票をした(ニャムドルジは棄権)。
その結果、「解任不賛成」が30議員、「解任賛成」が14議員となった。
そこで、17人の民主党議員とグンダライの意見の処遇が問題となった。
この時、ニャムドルジが再び意見を述べ、彼ら民主党議員の意見を加え(注:彼らを加えると「解任賛成」票が14+17+1=32票になって、「解任不賛成」票を上回る)、新議長を選出すべきだ、と主張した。
自らの都合をみはからって、退場したり入場したりする、Л.ガンスフが再び入場し、秘密投票の結果を尊重すべきであると述べた(注:投票前後で矛盾した意見を述べていることに注意)。
その際、国家大ホラル(国会)事務局は、民主党議員たちの意見の処遇について、明快な法的解釈を行うことができなかったため(注:「国家大ホラル法」では出席議員による採決を明記し、「国家大ホラル規則」では議員の出席を義務づけている、つまり、議員欠席のまま採決ができない、としている)、最終的な採決にはならなかった。
ちなみに、人民革命党3議員が解任賛成票を投じたようだ(ウヌードゥル新聞2007年6月7日付)。
翌2007年6月7日、国家大ホラル(国会)総会が再び開かれ、人民革命党会派は、国家大ホラル(国会)法により、無記名投票の結果、「ニャムドルジ議長解任不賛成」が有効になった、と主張した。
審議拒否をしていた民主党は、Л.ガンスフが入場し、民主党議員17人の「解任賛成」署名を示し、人民革命党の主張に強く反対をした。
ルンデージャンツァン議長代理は、「ニャムドルジ解任不賛成」が有効と宣言し、この採決に反対の意見があれば、憲法裁判所に提訴でできる、と述べ、閉会を宣言した(ウヌードゥル新聞2007年6月8日付)。
これに対し、民主党は、このルンデージャンツァン議長代理の「採決」に反対し、国家大ホラル(国会)審議ボイコットを発表した(ウヌードゥル新聞2007年6月8日付)。
また、市民の意志党は、「国家大ホラル(国会)解散」を要求し、議員の署名を集め始めた(注:議員の3分の2の署名で有効になる)(ウヌードゥル新聞2007年6月8日付)。
このように、6月6〜7日の審議において、ニャムドルジが自ら新しい議長選出を希望したが(注:「議長解任」を受け入れた、ということ)、人民革命党は「解任不賛成」を採決させた。
何度も指摘するが、今回の問題の根源は、モンゴル法が相互に矛盾した内容を含んでいることにある。各人が自分に有利な法規則に依拠して、自己に有利な決定を出そうとする。
これに加えて、選挙が近づいているため、自党の選挙戦略に基づく行動をとる。
こうして、「ニャムドルジ議長解任問題」は、政界をさらに混乱に導く可能性が高い。(2007.06.10)
(追々々補)ニャムドルジは、2007年6月8日、前日の発言を撤回し、国家大ホラル(国会)総会の採決を受け入れると、述べた(ウヌードゥル新聞2007年6月9日付)。(2007.06.11)
(追々々々補)この「ニャムドルジ議長解任不賛成」採決に対し、2007年6月11日、国家大ホラル(国会)民主党議員たちは、審議ボイコットを宣言した(ウヌードゥル新聞2007年6月12日付)。民主党によるこの「審議ボイコット」は、来年の選挙を意識しての「政治ショー」(注:市民運動の「モンゴル国民戦線」の声明)の色彩が強い(ウヌードゥル新聞2007年6月12日付)。
これに対し、人民革命党会派は、2007年6月13日、会議を開き、事態の推移を検討した。ニャムドルジは、その席上で国家大ホラル(国会)議長辞任を再度表明した(注:国家大ホラル(国会)総会の席上と、この会議の席上という意味)。彼は、「私は、法に違反しておらず、法文の字句を修正した(にすぎない)。だが、国家大ホラル(国会)審議を遅滞させないことを考慮し(注:民主党が審議ボイコットしていることを指す)、私自ら辞任したい」、と述べた(ウヌードゥル新聞2007年6月14日付)。
このニャムドルジ辞任希望を受け、同日、民主党は、国家大ホラル(国会)総会に加わることを表明した(ウヌードゥル新聞2007年6月14日付)。
国家大ホラル(国会)総会は、2007年6月14日、ニャムドルジの辞任を承認した(ウヌードゥル新聞2007年6月15日付)。ニャムドルジは、この2007年6月14日の国家大ホラル(国会)総会の席上、「統治形態を変えようとする陰謀が強まっている、という注目すべき発言をして、議長席から降壇した(ウヌードゥル新聞2007年6月15日付)。これは、「大統領統治」を意味している。
人民革命党会派は、2007年6月14日、国家大ホラル(国会)議長候補にД.ルンデージャンツァン副議長を推薦することを決定し(ウヌードゥル新聞2007年6月16日付)、国家大ホラル(国会)は、2007年6月19日、Д.ルンデージャンツァンを議長に選出した(ウヌードゥル新聞2007年6月20日付)。
こうして、モンゴル現代史上初めての「国家大ホラル(国会)議長解任」という事態が起こった。
この1ヶ月間の事態の推移を見てみると、次のようなことが指摘できる。
第一に、モンゴルの法律には相互に矛盾した内容を含むものがある(注:例えば、憲法と国会法)。各政治勢力はそれぞれの条文に依拠して、政治行動をとる。モンゴルの裁判所は完全なものではないから、一方の政治勢力に偏った裁決を出すことが多い。だから、こうした法律を首尾一貫したものにすることが今後モンゴルには必要になる。
第二に、各政党(特に民主党)が来年(2008年)の選挙を意識して、選挙戦術として国会審議を遅らせようとする。この2007年度春期国家大ホラル(国会)では、まだ「森林法」だけが成立したのみである。
第三に、人民革命党内部の権力闘争が顕在化してきた。すなわち、Ц.ニャムドルジ前議長、С.バヤル書記長、М.エンフボルド党首の人民革命党内結束を弱めるため、Н.エンフバヤル大統領(前党首)は、「ニャムドルジ議長解任問題」を利用して、その一角を崩そうとした。これはエムジン記者も指摘している(ウヌードゥル新聞2007年6月14日付)。
第四に、モンゴルでは、現在、「大統領統治」制度が論議されるようになっている。現に、「民族新党」(Ж.ナランツァツラルト党首)は、その党綱領で「大統領制への移行」を主張している。(2007.06.21)
