続・モンゴル国民放送が真に国民のものとなるか(2007年06月14日)

筆者は、以前の時評で「モンゴル国民放送」をめぐる紛争について論評した。この動きは現在も続いている。今回はこれを取り上げる。

「モンゴル国民放送」制作者18人は、2007年6月13日、記者会見をして、「国民放送法」(2005年制定)を経営陣が正しく運用していない、と非難した。すなわち、「国民放送」が政党の影響から脱却できていないという。

彼らは、大統領、国家大ホラル(国会)、政府に対し、同放送評議会委員(注:経営諮問機関。同放送会長を選出する)を解任するよう要求し、もし受け入れられないなら、放送業務を放棄する、と発表した。

彼らの要求3項目(2007年6月12日発表)とは、1)国民放送評議会と経営陣の不法行為を示す文書を公開すること(後述)。2)自由な放送番組制作のための活動を保障すること。3)国家大ホラル(国会)議長および国民放送法策定者との会見を要求すること、であった(ウヌードゥル新聞2007年6月14日付)。

彼らは、2007年6月14日、国民放送国民評議会委員の解任を要求して、放送局現場での座り込みを開始した(ウヌードゥル新聞2007年6月15日付)。

この事態に対し、「モンゴル・ジャーナリスト連合」(議長Д.サランゲレル・前TV5社長)は、2007年6月15日、国民放送制作者たちの「座り込み」を支持し、モンゴル放送ラジオの要請を受け、放送労働者の権利を守る、という声明を出した。

一方、「モンゴル国民放送」評議会は、彼ら制作者たちの行動がビジネスと政治のための行動である、と非難した。また、「労働者臨時委員会」(注:制作者たちによって組織された)は全労働者の声によって選挙されたものではない、という(注:「モンゴル国民放送」評議会事務局長Л.ニンジジャムツ談。「ウヌードゥル新聞」2007年6月16日電子版への書き込み)(ウヌードゥル新聞2007年6月16日付)。

事態を重く見た国家大ホラル(国会)は、2007年6月15日、「国民放送」問題調査グループ(С.オヨン、バトウール、ムンフオルギル)を設置し、調査を開始した(ウヌードゥル新聞2007年6月18日付)。

さらに、彼らは闘争形態を強め、ハンストを計画中である。

これに対し、「国民放送」国民評議会は、2007年6月20日、1)同会長С.ナランバータルに対し、事態を打開すること、2)「モンゴル・ラジオ放送」社長Б.プレブダシに対し、局長たちの無責任な行為を処罰し、実態を明らかにすること、などを求めた。

労働組合側も、同評議会委員の責任を追及し、辞職することを要求した。

そして、彼らは、「不法に任命された局長は辞任せよ」というシールを貼って、「国民放送」評議会室と局長室を封印した(ウヌードゥル新聞2007年6月21日付)。

さて、先述の「国民放送」評議会の「不正」というのは、第一に、国民放送法制定後、同評議会は放送制作者たちの「業績評価」を行ったが、その際の不手際がある。すなわち、その「業績評価」の方法は、無名の私立大学の教員たちによって準備され、翌日、モンゴル国立大学と人文大学の教員たちによって実施された。その結果、50人が解雇された。だが、最近それが撤回された、ということである。

第二に、現会長(М.ナランバータル)は、組織を変え、幹部数を増やし、従業員数を減らしたことである。

第三に、「モンゴル国民放送」国民評議会委員(15人)は、NGOが候補者を推薦し、国家大ホラル(国会)、大統領、政府が選ぶ。だが、15人のうち6人は、NGOが推薦した候補者ではない(注:これに関し、NGO連合が憲法裁判所に提訴した)。だから、それぞれの政党の権益を代表する機関になっている。また、政党からの報道規制があることである。

第四に、「モンゴル国民放送法」に違反して、監査委員会その他が外部機関によってではなく、「国民放送」評議会自身によって設立されたことである。

第五に、国家大ホラル(国会)に事業報告がされていないことである(以上の指摘は、ウヌードゥル新聞2007年6月22日付による)。

事態がどのように推移するか、今後を見なければならないが、一見混沌としていて、外部のものにはわかりにくい事態である。

だが、1990年代以降の「民主化の歴史」から見れば、1990年代以前の制限された思想表現の自由は、国民の運動によって、次第に自由な表現を実現していった。

その中核を担う「モンゴル国民放送」が政党の強う影響下にあって、例えば、最近、ニャムドルジ国家大ホラル(国会)議長解任問題では、人民革命党および民主党寄りの報道を行ってきた。

こうした姿勢に対する、「国民放送」内外の不満が従業員たちの行動を後押しをしていることは明らかであろう。

根拠なしに記事にするという、ジャーナリズム側の欠点はあるものの、この流れは押し戻すことはできない。(2007.06.24)

(追補)モンゴル国民放送問題に関して、2007年6月25日、国家大ホラル(国会)議員調査グループに対し、彼らは説明・提案をした。

これには、1)国民放送の独立性が侵害されている、2)中央集権的になっている、3)指導方針が一定しない、4)技術革新が行われていない、5)新しい能力ある国民放送評議会を作るべきである、6)従業員の80%が彼らを支持している、というものであった(ウヌードゥル新聞2007年6月26日付)。

国家大ホラル(国会)議員調査グループの結論はまだ出ていない。

一方、「国民放送」評議会は、2007年6月26日、同評議会事務局長Л.ニンジジャムツを解任した(ウヌードゥル新聞2007年6月28日付)。ニンジジャムツは、同評議会の強硬派として、彼らの批判の矢面に立っていた。同評議会としては、ニンジジャムツ一人に責任を負わせて、事態の収拾をはかろうというのであろう。(2007.06.30)

(追補)2007年7月5日、「モンゴル国民放送」労働組合は、1)モンゴル国民放送評議会委員らを解任すること、2)副会長、局(部)長などを規則に従って選任すること、3)監査委員会を法に則って設立すること(=部外者を入れること)、などを要求する声明を出した(ウヌードゥル新聞2007年7月6日)。

そして、翌7月6日、彼ら「モンゴル国民放送」労働組合員は、要求貫徹を目指し、ハンストを宣言した(ウヌードゥル新聞2007年7月6日)。

2007年7月10日、国家大ホラル(国会)議員調査グループは、「モンゴル国民放送」の事態に対し、同放送国民評議会が法に則って活動していない、との結論を出した。そして、監査委員会委員選任に関する規則を見直べきである、という答申を、国家大ホラル(国会)常任委員会に対して行った。6人のハンスト参加者は、この調査結果を受け、ハンストを停止した(ウヌードゥル新聞2007年7月6日)。

こうして、「モンゴル国民放送」民主化の動きは半歩前進したようである。(2007.09.17)

トップへ
トップへ
戻る
戻る
次へ
次へ