
エルベグドルジ「大同盟」政府崩壊(2006年01月13日)
人民革命党出身閣僚10人による辞職願い提出に端を発した、エルベグドルジ政権更迭の動きは、2006年01月13日23時53分、国家大ホラル(国会)総会で審議され、議員39人の賛成で承認された(ウヌードゥル新聞2006年01月14日付)。
2006年01月13日の国家大ホラル(国会)総会で、エルベグドルジ政権の事務局長(官房長官)でバヤルツォグト議員が「後5〜6ヶ月、何故待てないのだ!(注:「協議」により、2年間で首相職が民主党から人民革命党に交代することを意味する)」、と叫んだように、この更迭劇は、一見猪突に見える。
まず、この間の経過を説明する。
人民革命党幹部会が、2006年1月9日から翌日にかけて開かれ、エルベグドルジ政権更迭問題について協議された。この席上、今まで更迭に反対していた硬骨漢ニャムドルジ国家大ホラル(国会)議長も立場を変えた。その更迭の理由というのは、要約すれば、1)政府が混乱に陥っている。例えば、いくつかの省では職員が800人から1100人に増えてしまっている。社会保険庁では、職員の親戚縁者に国家予算で建設したアパートに入居させている。2)人民革命党が責任を果たす見地から政権を単独で掌握し、首相を人民革命党党首М.エンフボルドにし、省庁を縮小する(ウヌードゥル新聞2006年01月11日付)。
この動きを察知したゴンチグドルジ民主党党首は、2006年1月11日、声明を出し、「(エルベグドルジ)政権を更迭させるという人民革命党の決定は、民主党出身の首相が汚職と積極的に闘っていることと直接関係がある」、と述べて、この動きを牽制した(ウヌードゥル新聞2006年01月12日付)。
エルベグドルジ政権の人民革命党出身閣僚10人は、2006年1月11日、人民革命党幹部会の決議を受けて、国家大ホラル(国会)に辞職願いを提出した(ウヌードゥル新聞2006年01月12日付)。
これと並行し、人民革命党党首М.エンフボルドは、首相執務室でエルベグドルジと会見し、首相辞任を迫った。エルベグドルジは、政府の行うべき仕事が山積しているとしてこれを拒否した(ウヌードゥル新聞2006年01月12日付)。
エルベグドルジ首相は、2006年1月12日、国家大ホラル(国会)総会審議に特別参加要請された。彼は、その席上で、「汚職がモンゴルを蜘蛛の巣のように覆っている」「これは、1920年代に、封建時代に存在した。」「(現在は)ウランバートル基金、土地登録局、税関にみられる」、と演説し、今回の更迭劇の主要な理由は、自身による積極的な「汚職」摘発姿勢のためである、との見解を発表した(ウヌードゥル新聞2006年01月13日付)。
この動きを受けて、「急進的改革」(代表С.ガンバータル)、「健全な社会のための市民運動」(代表Ж.バトザンダン、О.マグナイら)、「協和」(代表С.エルデネ)などの諸運動は、2006年1月12日、当初はバス運賃値上げに反対して、スフバートル広場で抗議集会を開いていたが、その後、矛先を変え、人民革命党党本部に侵入した。そして、彼らは、その場で「国民臨時委員会」を結成した。彼らは、1)エルベグドルジ政権更迭の撤回、2)オラーン、М.エンフボルドの首相就任反対、3)エンフバヤル大統領たちを汚職屋とすること、4)鉱物資源収入の30−50%を国民に与えること、5)人民革命党幹部会を開催すること、などを要求した(ウヌードゥル新聞2006年01月13日付)。
人民革命党党本部への侵入に対し、激怒したУ.フレルスフと「民主社会主義青年同盟」(注:この同盟は人民革命党「指導」下の35歳までの青年の組織。フレルスフは国家大ホラル議員で災害対策相で、この同盟の前代表)は、2006年01月13日、スフバートル広場で集会を開き、この侵入はエルベグドルジの教唆による、と述べた(同日のモンゴル国民テレビより視聴)。
さらに、人民革命党の党内分派である、「伝統・革新ー民主・公正」グループも声明を発表し、人民革命党党本部侵入は、特定の政治勢力の教唆によるものである、と非難し、人民革命党党員の団結と民主主義の擁護を呼びかけた(ウヌードゥル新聞2006年01月14日付)
2006年01月13日午前9時から開始された国家大ホラル(国会)総会は、「マラソン」審議を行い、2006年01月13日23時53分、ニャムドルジ議長による採決によって、賛成39人で閣僚10人の辞職が承認された(ウヌードゥル新聞2006年01月14日付)。こうして、エルベクドルジ「大同盟政府」は、約1年6ヶ月で崩壊した。
さて、人民革命党によるエルベグドルジ政権更迭要求については、ウランバートル市民の多くは、反対していた。例えば、市民たちはウヌードゥル新聞のアンケートに次のように答えている。バヤンゴル区第3ホロー住民は、「政権更迭は誤りである。エルベグドルジを支持する」。個人経営者は、「『協議』によるこの政権を後6ヶ月仕事をさせるべきだ」。ソンギノハイルハン区住民は、「エルベグドルジの『電子政府』以外は評価しない。バス運賃値上げを阻止できなかった。それ故、更迭に賛成である」。個人営業主は、「更迭に反対。汚職に取り組んだので更迭されようとしている」(ウヌードゥル新聞2006年01月12日付)。
この更迭の動きを解くカギは、人民革命党幹部会と民主党民族評議会の声明にある。それを要約すると(ウヌードゥル新聞2006年01月12日付)、
人民革命党幹部会声明では、「祖国・民主」同盟が解散した結果、「協議」を実行することが困難になっていた。しかし、政治安定のため共同して作成した「政府行動綱領」を実行してきた。エルベグドルジ首相に対して、今までの相互信頼を損なわないように呼びかけてきた。その信頼が失われた。そこで新しい政権を作る決定を出した。
民主党民族評議会声明では、人民革命党幹部会の決定は、国民の意思に合わない。汚職と闘うべきである。政権を更迭することは政治の不安定化を招く。6ヶ月後には「協議」に基づき、首相を交代することになっている。この時期に更迭要求を出したことは無責任である。
この二つの声明を分析すると、人民革命党は、2004年12月30日の「祖国・民主」同盟解散後、「協議」による「大同盟」政府解体を模索してきたようだ。党内分派「伝統・革新ー民主・公正」グループがこの状態を不正常である、として、批判し続けてきた。このグループの主張が2005年12月12日に認められた。
一方、民主党は、2005年01月27日のゴンチグドルジたち25人の議員による人民革命党会派加入以来、エルベグドルジ政権存続に努めてきた。それは、政権存続によって既得権維持が可能となるからである。
モンゴルにおける汚職は、1990年に始まり、IMF主導による「市場経済」の名の下、資本主義化の拙速化によって、「蜘蛛の巣のように(モンゴルを)覆ってきた」。汚職は一つの政党のみに限定されない。
元来、「37:36」という究極の議会バランスは、永続が困難である。
この二つは、人民革命党と民主党の微妙なバランスを崩す結果になった。中小企業「育成」と汚職摘発は、モンゴル社会が一致団結して解決すべき最大懸案事項である。エルベグドルジの個人プレーが人民革命党の不満を最高潮に押し上げた。通俗的に言えば、「逆鱗に触れた」のである。
モンゴルでは現在、貧富の格差が拡大している(注:国民の36%が貧困であるとされる)。特に、貧しい人々は今後、民族主義的主張を強め、民主党の「汚職に取り組んだので更迭された」という主張に同調し、人民革命党への敵対に向かうであろう。(2005.01.16)
(追補)「健全な社会のための市民運動」、「急進的改革」運動に参加した一部の人々は、1月17日、記者会見を行い、1月12日の「人民革命党党本部侵入」が、エルベグドルジによって買収された2〜3人の利益のために行われたもので、誤りだった、という声明を出した(ウヌードゥル新聞2006年01月18日付)。1月12日の人民革命党党本部侵入行為は、人民革命党側の団結を誘発し、かえって逆効果だったようだ。
また、エルベグドルジ政権崩壊を受けて、インフロム・センターが世論調査を行ったが、それによると(ウヌードゥル新聞2006年01月18日付参照)、政党支持率は、人民革命党22.8%、民主党29.8%、共和党3%、祖国党5.6%、市民の意志・共和党5%、国民党1.3%、支持政党なし32.5%である。すなわち、モンゴル国民は、人民革命党の今回の動きに批判的であることを示している。
また、「エルベグドルジ政権更迭の理由」として、「汚職問題に取り組み始めたから」34.6%、「人民革命党単独政権を目指したから」28.2%、「政府の施策が悪いから」19.1%、「政権担当能力不足だから」18.1%であった。
さらに、「エルベグドルジ政権を支持する」57.7%、「エルベグドルジ政権を支持しない」26.8%だった。
これらは、エルベグドルジ政権更迭に対する、現時点での国民の不満を示しているといえよう。(2006.01.23)
