第1回国内投資家会議開催(2005年10月20日)

モンゴルは、2005年を「中小企業発展の年」と位置づけ、商工業省を中心にして様々な方策を講じている。その前年の2004年10月26日に零細・中小企業経営者大会が開催され、2005年9月14日に第3回北米・モンゴル貿易諮問会議が開催された。そして、2005年10月20日に第1回国内投資家会議が開催されたのである。

この会議は、モンゴル商工会議所主催、商工業省後援によって政府官邸で開催された。

その主要議題は、官僚主義と賄賂、税負担の重さ、であった。

「官僚主義と賄賂」について、主催者であるデンベレル商工会議所所長は、(国内産業育成には)官僚主義を払拭すべきであり、特に、税官吏の賄賂要求を根絶するべきである、と強調した。

「税負担の重さ」については、政府首班として出席したエルベグドルジ首相は、その「税負担の重さ」を認め、税率を一年に1%下げ、最終的に1010年に10%にすべきである、と述べ、現在、議会で審議されている「一括税制法」からさらに踏み込んだ発言をした。この「一括税制法」というのは、現在の累進課税制度を改め、税率を一律に10%にしようとするものであった(注:現在の累進課税制度を悪用し、大企業は会社を分割して、所得額を小さくして30%の所得税納入を逃れている事態をふまえている)。

「一歩踏み込んだ発言」といえば、エルベグドルジはさらに、10以上の重複した規則がある、税関での60以上の規則を無効にする、と述べ、演壇でそれを記したペーパーを次々に破り捨てるパフォーマンスを行った。そして、秘密の内規を廃棄する、無効にした放棄をインターネットで公開する、と付け加えた。

彼は、本来が「ビジネス志向で」、この「大同盟」政府の首相に就任したが、あと1年で首相を交代しなければならない。おそらくその後はビジネスをしようとしているのであろう。であるから一層その発言には迫力があった。

ただ、かつて15年前、人的、制度的な準備を慎重に行うことなく、米国を中心とするIMFや世銀の「アドバイス」に従って、すべてのインフラを破壊して、経済混乱を招いたことは忘れてしまったかのようであった。

その他、Р.ソドフー・モンゴル証券取引所所長は、国内投資は証券取引を通じて行うべきである、と述べ、А.バトジャブАПУ社副社長は、官僚の技術水準が低いことが官僚主義をはびこらせている、大企業と銀行は小企業を支持すべきである、と述べた(以上、ウヌードゥル新聞2005年10月21日付、および「独立法人」化された「モンゴル国民放送」より視聴)

この「大企業と銀行」が中小企業を破壊していることは、前の「零細・中小企業経営者大会」でも指摘されていた。

また、その具体例として、ウヌードゥル新聞(2005年10月18日付)は、以下のようなレポートをしている。

すなわち、中小企業発展の阻害要因の最大のものは、銀行融資の際の高金利と担保の取り上げにある。

1994年、ポーランドの無償援助によってチーズ工場がトゥブ・アイマグのアルタンボラグ・ソムに建設された。1996年から製品を集荷し、消費者に好評で、年産7.7トンを記録した。これはモンゴル国内チーズ生産の25トンの約3分の1である。ところが、2000年のゾド(雪害)とガン(干ばつ)により、乳量が減産し、当該工場閉鎖を余儀なくされた。

そこで、У.トゥムルホヤグは、ポーランドでチーズ工場建設を企画した。その際、ХААН(農牧業)銀行から38ヶ月間で2800万トグルグの融資を受け、さらにゾース銀行から1億トグルグの融資で設備投資を行った。そして、2004年7月20日からチーズの出荷を始め、その収益が8万トグルグになって、両銀行の利息を支払うことができた。

ところが、乳量の減少により減益となった。そしてハーン銀行に支払う次回の利子が返済できなくなった。その結果、2005年8月半ばに、ХААН(農牧業)銀行によって、担保の牛を差し押さえられた。彼は、以前に「リギーン・オハー」社を経営していて、ХААН(農牧業)銀行融資の利子が支払えなかったため、家畜を差し押さえられた経験を持つ。

モンゴル産業の背骨の一つである、「家畜の差し押さえ」というのは、モンゴル人にとって人知れぬ苦痛であろう。それは日本人経営者の所有に帰したХААН(農牧業)銀行には理解しがたいことなのであろうか。かつて、清朝支配期に中国高利貸商人にすべての家畜を奪い取られた状況に類似するものがある。

筆者は「自生的発展」の立場から、この中小企業発展政策を支持する。だが、それは、外資導入や「援助」によってではない、ということを繰り返したい。(2005.10.25)

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