
М.エンフボルド政権成立(2006年01月28日)
人民革命党主導による、猪突とも言うべき、エルベグドルジ「大同盟」政権更迭劇(2006年01月13日)から、15日間経過して、2006年01月28日、新しい政権が成立した。以下、その経過を説明する。
人民革命党は、2006年01月20日、首相候補として党首М.エンフボルドを大統領に推薦した(ウヌードゥル新聞2006年01月25日付)。
そして、次期政権の組閣を主導すべく、同党はこれを「民族統一政権」と名付け、2006年01月22日、その政策綱領(4項目8ページ)を発表した。それは、1)年金額30%増、2)新婚家庭に1回限り50万トグルグ支給、3)所得税を一律10%に、4)14万の就業機会創出、5)最低賃金を7万トグルグ(平均賃金15万トグルグ)に、6)新生児に10万トグルグの援助金、7)30〜40年の長期融資によるアパート入居、というものである(ウヌードゥル新聞2006年01月23日付)。
一方、民主党は、2006年1月23日、政権には参加せず野党になるという最終決定を大統領と人民革命党に伝えた(ウヌードゥル新聞2006年01月24日付)。
国家大ホラル(国会)行政常任委員会は、2006年01月24日、М.エンフボルドの首相就任を多数決で賛成した(ウヌードゥル新聞2006年01月25日付)。
これを受け、国家大ホラル(国会)総会は、2006年1月25日、М.エンフボルドの首相就任を承認した(ウヌードゥル新聞2006年01月25日付電子版)。
М.エンフボルドは、組閣作業に取りかかり、その閣僚名簿を国家大ホラル(国会)に提出し、2006年1月27日から28日にかけて、国家大ホラル(国会)で審議された。この結果、2006年01月28日深夜4時頃、エンフボルド政権各閣僚が承認された。閣僚名と所属党は以下の通り。副首相М.エンフサイハン(民主党)、自然環境相И.エルデネバータル(祖国党)、建築都市建設相Ж.ナランツァツラルト(民主党)、国防相М.ソノムピル(民主党)、教育文化科学相θ.エンフトゥブシン(人民革命党・非議員)、外務相Н.エンフボルド(人民革命党)、道路運輸観光相Ц.ツェンゲル(人民革命党)、社会保障労働相Л.オドンチメド(人民革命党)、大蔵相Н.バヤルトサイハン(人民革命党)、燃料エネルギー相Б.エルデネバト(祖国党)、商工相Б.ジャルガルサイハン(共和党)、法務内務相Д.オドバヤル(人民革命党)、食糧農牧業相Д.テルビシダグバ(人民革命党・再任)、保健相Л.グンダライ(国民党)、官房長官Су.バトボルド(人民革命党)、専門監査相У.フレルスフ(人民革命党・再任)、なお、災害対策相は不承認(1週間以内に再審議)(ウヌードゥル新聞2006年01月28日付)。
さて、人民革命党は、上記のようにエンフボルド政権を「民族統一政権」と名付けているが、「民族統一」の体はなしていない。大蔵、法務内務、外務、教育文化科学、道路運輸観光、食糧農牧業などの主要閣僚はすべて同党が押さえ、「政府政策綱領」の内容は、人民革命党の選挙公約である。
一方、民主党は野党になったかというとそうでもない。
エンフサイハンやナランツァツラルトたちが入閣している。また、民主党「アルタンガダス」グループの国家大ホラル(国会)議員たち16人(注:アマルジャルガルを加えて17人)は、上記の「新政権には加わらない」という民主党民族評議会の決定に反対し、Н.バトバヤル前建築都市整備相の呼びかけに応じ、新政権に参加する希望を表明していた(ウヌードゥル新聞2006年01月26日付)。この政党は、党内に派閥が4つほどあり、それぞれが党決定を無視して行動する。
エンフサイハンとナランツァツラルトは、エルベグドルジやゴンチグドルジによって首相辞任に追い込まれた(注:エンフサイハンは1998年4月20日、ナランツァツラルトは1999年7月22日)という個人的怨念からの「エルベグドルジ首相更迭賛成、エンフボルド政権への入閣」行動であるし、Н.バトバヤルというエルベグドルジ政権下の建築都市整備相は、「フォルトナ」という自分の経営する会社に国家予算によるアパート建設を受注させた。つまり、この政治家の行動は、自己権益防衛のためのものである。
祖国党のエルデネバトは、かつて、「祖国・民主」同盟を解体させ、国防相を辞任し、野党の立場で行動することを宣言していた。それを放棄しこの政権に参加している。
かの暴れん坊グンダライは、国家大ホラル(国会)解散(=議員辞職)を叫び、次期選挙では国民党が第1党になる、といっていたが、保健相就任を要請され、あっさりこの主張を取り下げたようだ。
このように。ほとんどの政党は、官職を求め、自己の政治的立場を放棄し(注:あるとすれば)、政治的自殺行為を行った。
唯一、市民の意志党は、「エルベグドルジ政権更迭反対、次期政権不参加」の主張を貫いた。そして、「影の内閣」を作るという(注:同時に、党名を「市民の意志・共和党」から、もとの「市民の意志党」に戻す決定を出した)(ウヌードゥル新聞2006年01月18日付)。
今後、政府与党内の各政党が矛盾を露呈し(=内閣不一致という)、閣僚辞任の事態が起きる可能性がないとはいえない。祖国党エルデネバトにはその前歴があるし、グンダライ、ジャルガルサイハンは元来、国家大ホラル(国会)解散を主張していた。
そういうわけで、「民族統一政権」ではなく、「人民革命党主導政権」が成立した。議員構成比率の「究極の均衡」状態がもたらした、この政権が2008年の選挙までこのまま続くかどうかは、不明である。(2006.01.30)
(追補)1月25日に不承認となっていた災害対策相には、Ц.ジャルガル(祖国党)が任命される予定だという。これは、人民革命党が祖国党と結んだ「協定」によるものである(ウヌードゥル新聞2006年02月03日付)。それにしても、祖国党というのは、自ら与党として参加していた「祖国・民主」同盟を解体させて、エルベグドルジ政権を窮地に陥れ、今度は、エンフボルド政権の一角をになうことになった。祖国党の議員たちが次々と去って4人になった(注:その内の1人オトゴンバヤルもいつ脱党してもおかしくない)。結局、この政党はエレル社の政党であることを露呈してしまった(注:残りの3人はすべてエレル社とその子会社の社長)。人民革命党もこんな政党をあてにしなければならないのは、つまりは議員数の「究極のバランス」状態のためである。
エンフボルド政権は、自らの不人気状態をすこしでも緩和すべく、公務員給与および身障者年金の30%引き上げ案を国家大ホラル(国会)に提案した。同案は、2006年2月3日、承認され、この2月から実施される(ウヌードゥル新聞2006年02月04日付)。そのための予算原資が気になるところであるが、大蔵相バヤルトサイハンによると、金・銅世界価格上昇による予算歳入増分をそれに充当する、という。給与引き上げはいいことであるが(注:モンゴルには、2月第1週の金曜日が「先生の日」にあたる。相撲会館で開催された「先生の日」の祝典で、来賓として出席していたエンフボルド首相は、「先生」の給与引き上げをその場で発表し、拍手喝采を浴びていた[テレビ視聴による]。1990年代以降のモンゴルでは、「先生」と「医者」の給料は相対的に低いことで有名である。であるから、その引き上げは当然のことである)、この原資が世界経済頼みであるところが、モンゴル経済の非自立性を示していて、問題になるところである。
一方、野党になることで政治の筋を通した市民の意志党(党首С.オヨン、副党首Ц.ガンホヤグ、書記長М.ゾリグト)は、民主党執行委員会(С.バトウール、З.エンフボルド、С.ランバー)と共に、10省からなる「影の内閣」を作ることを提案した。この「影の内閣」の首相には、С.バトウールが就任予定であるという。その主要な目的は、政府活動の監視にある(ウヌードゥル新聞2006年02月04日付)。もちろん、この「影の内閣」は英国に範をとるものだが、市民の意志党はいいとして、民主党の方は、入閣を誘われた場合には浮き足立つだろうから、どれだけ真剣にその試みに取り組めるか不明である。(2006.02.06)
