
2004年国家大ホラル(国会)議員選挙戦激化(2004年06月11日))
2004年06月13日時点で、2004年国家大ホラル(国会)議員選挙投票日(6月27日)まで、2週間となった。
今回の選挙は、実質的には、人民革命党と「祖国・民主」同盟(=民主党、民主新社会党、市民の意志・共和党による「三角同盟」)との争いである。
両陣営の選挙綱領の大枠は今まで紹介してきたので省略するが、この両陣営の争いは次第に激化してきた、といえる。
それに伴って、選挙戦に入る前に、相手陣営に対し非難中傷は避けるようにとの「選挙管理委員会」の要請は、ほとんど顧みられなくなってきた。
人民革命党は、人民革命党選挙対策本部長Ё.オトゴンバヤルが「選挙管理委員会委員長ヤダムスレンへの公開書簡」を発表した。それによれば、選挙法第6条第5項、「金品供応の禁止」に違反の例として(注:ただし、それに対する罰則規定、選挙管理委員会の権限の規定はない)、1)Х.バトトルガ(ジェンコ社長)は、各「ブリガード」(=バグのこと)にゲル、バイクを贈り、当選すれば自動車を贈ると約束した。2)Ж.ナランツァツラルト(民主党副党首)は、各ソムに100万トグルグとテレビを贈った。3)Б.エルデネバト(民主新社会党党首)は、多くの世帯に絹を支給した。3)До.ガンボルド(民主同盟連合政権下の元国家大ホラル[国会]副議長)陣営は、選挙運動に出演した歌手に対し、酔漢が暴行を働いた。さらに、4)人民革命党候補者(Б.バトトルガ、Д.ツェレンジャブ、Б.バトヒシグ、Д.アルタイ、Ц.ムンフオルギル)に対して、選挙運動を妨害した(ウネン新聞2004年06月09日付。また、ウヌードゥル新聞2004年06月08日付、モンツァメ通信2004.06.07、および2004.06.10にも同じ内容の記事がある)。
さらには、何者かが人民革命党候補者アルタイ、バヤルトサイハン宅に火を付ける事件が起きている(モンツァメ通信2004.06.07)。
これに対し、「祖国・民主」同盟側も負けてはいない。1)До.ガンボルドの選挙区での事件、また、ゴンチグドルジ(民主同盟連合政権下の国家大ホラル[国会]議長)の選挙区での同様の事件に対して、事実無根である、と反論した。2)「モンゴル映画」社長は、国営放送での報道(注:子供たちにぼろぼろの衣服を着用させてテレビ出演させ、ストリート・チルドレンが多数存在すること[すなわち現政権下での「貧困」問題の無解決を示唆したこと]、彼らが1万トグルグ支給という民主党の選挙公約を喜んでいること、などを発言させた)を否定した(ウドゥリーン・ソニン新聞2004年06月09日付)。
(注:モンゴルの新聞では、ウネン新聞(人民革命党)、ウドゥリーン・ソニン新聞(民主党)、モンゴリン・メデー新聞(民主新社会党)とその色分けが、現在明瞭になってきている。それに伴い、事実関係の確認に時間を要する。比較的公正なのはウヌードゥル新聞であり、全文掲載して資料的に価値のあるのはゾーニー・メデー新聞である。)
一方、「有権者啓蒙センター」と「グローブ・インターナショナル」は合同で、「選挙運動資金監視計画」を実施し、その中間報告を発表している。それによると、戸別訪問、文書配布などの選挙運動がこれまで公共機関を使って64回行われ、その内47回が人民革命党、15回が「祖国・民主」同盟のものであった。また、34回が公共機関を使用して無料で開催され、そのうち31回が人民革命党のものだった。さらに、87回の選挙運動に、582人の公務員が動員され、公用車が384回使用された。そのうち、人民革命党が88回、「祖国・民主」同盟が3回利用した(ウヌードゥル新聞2004年06月09日付)。
さて、こうした非難中傷合戦、公共機関使用、といった事態は、上に述べたとおり、現行選挙法によって罰則規定がない。また、選挙管理委員会によってそれらの行為を禁止させる権限がない。これらはすべて、現政権下の国家大ホラル(国会)で「選挙法」改正が行われるはずであった。だが、それは改正されなかった(注:
ホラン事件も参照)。
すなわち、今回の選挙はザル法によって選挙戦が戦われている、といってよい。(2004.06.15)
