
貧困層に食糧切符配給(2009年12月7日)
モンゴル政府は、2009年12月7日、アジア開銀の「支援」によって、2010年8月まで、食糧切符を発行し、生活困窮者(世帯)3万戸(注:モンツァメ通信では2万5000人)に毎月1万4000トグルグ分の食糧切符を配給した(注:2ヶ月ごとに実施される)。
(注:「モンツァメ通信」2009年12月8日付電子版より)
この切符で、小麦粉、砂糖、肉、牛乳、植物油など8品目の食品が購入できる。酒類とたばこは不可(ウヌードゥル新聞2009年12月8日付、また、同新聞2009年11月17日、18日付))。
政府によるこの「社会的弱者に食料を支給するサブ・プロジェクト」について、モンツァメ通信(電子版)は、身寄りがないГ.オトゴンさん(72歳)の言葉を伝えている。
すなわち、Г.オトゴンさんは、月額10万1000トグルグの年金のみで生活している。それだけでは生活できないので、バヤンゴル・ホテルでジジュール(注:門番、見張り番)をしている。彼(女)は、「大変うれしい」と語っている、と(「モンツァメ通信」2009年12月8日付電子版)。
さて、この「食糧切符」配布は、かつて1990年代初頭の「経済混乱」の時に、一定期間に配給制に移行した時に実施された事態を想起させる。
1990年以前には、ネグデル(農牧業協同組合)や国営農場があって、基本的には、貧困層は存在しなかった。ところが、1990年代に入り、市場経済という名の資本主義が「侵入し」(注:IMFおよび日本を先頭とする「支援国」は主導した)、従来の経済システムが意図的に破壊されようとした結果、経済混乱が進行した。
経済混乱は、社会的弱者、身体障害者、年金生活者、身寄りのない者(注:社会的協同扶助システムを破壊した結果生じた)などを直撃し、その層に極貧生活を強制した。
モンゴルの社会的発展は、それらの人々を含めることなしにはあり得ない。
その意味では、この「食糧切符」配布は、最初の一歩であるとはいえる。
問題は、この政策はどのような意図の下に行われているのかをみることである。
この政策には、二つの側面がある。一つは、1990年以前の社会扶助システムがモンゴルに伝統的に継続しており、消滅していない、という側面である。
また、2009年秋・冬、豚インフルエンザがモンゴル社会を震撼させ(注:現在も継続中)、学校が一時閉鎖になった。この時、国民一人一人に、チャツァルガナーの濃縮ジュースとアールツが無料配布された。その効果は限定的であったが、この政策行動は、1990年以前を彷彿とさせた。
これらは、モンゴルの歴史的伝統が消滅していないことを示している。
もう一つは、この「貧困層支援」は、実は、IMFが「PRGF(貧困緩和成長戦略)」としてモンゴルで実行を義務づけている政策である。
IMFは、「民営化」、「インフレ抑制」、「財政赤字縮小」、「教育費・社会保障費削減」などを「指導」してきて、現在の事態をもたらした。
この事態にIMFは危機感を持ち(注:国家が破綻すれば貸し金が回収できないし、世界資本主義システムが円滑に機能しなくなる)、その緩和策、あるいは懐柔策として、「貧困層支援」策を策定した。
従って、財政支出を必要とする、このたびの「食糧切符」配布にはIMFは文句を言わないはずである。
このように、このたびの「食糧切符」配布は、相反したこの二つの流れが偶然一致し実行されたものであった。
だが、後者の政策の枠内で行われる限り、抜本的な解決方法とはならないであろう。(2009.12.13)
