
С.バヤル政権成立(2007年12月05日)
人民革命党第25回大会によってС.バヤルが党首に選出された。国家大ホラル(国会)で多数の議席を占める政党・同盟の党首が首相に就任する、というモンゴルの規定によって、2007年11月22日、
С.バヤルが首相に指名された。
С.バヤル首相および人民革命党は、その他の政党に対し、連合政権を呼びかけた。
民主党は、その呼びかけに対し、連合政権に加わらないことを再三表明した。
国民党、共和党、祖国党、民族新党、市民の意志党は、最終的に、この連合政権結成に賛成した。
そこで、組閣作業が開始された。
これを受け、С.バヤル首相は、2007年12月4日朝、国家大ホラル(国会)副議長に対し、政府閣僚候補者名簿を提出した。続いて、同日午後、国家大ホラル(国会)常任委員会が15閣僚のうち11閣僚について審議し、Ц.ツォルモン以外の閣僚候補者を支持した(ウヌードゥル新聞2007年12月5日付)。保健相候補については、外国出張のため、この審議の中には含まれていなかった(注:ツォルモンは国家大ホラル総会では承認された)。
2007年12月5日、国家大ホラル(国会)総会は、С.バヤル内閣閣僚12人の承認問題を審議し、12人全員を承認した(注:道路運輸観光相、燃料エネルギー相、自然環境相は未定、なお、災害対策省、政府監査省は統廃合され、副首相の管轄になった)。
その結果、外務相にС.オヨン(市民の意志党議員)、食料農牧業相にЦ.ガンホヤグ(市民の意志党)、産業貿易相にХ.ナランフー(人民革命党)、法務内務相にЦ.ムンフオルギル(人民革命党議員)、官房長官にН.エンフボルド(人民革命党議員、前外務相)、保健相にБ.バトセレーデネ(人民革命党)、社会保障労働相にД.デムベレル(人民革命党議員)、財務相にЧ.オラーン(人民革命党議員)、建設都市整備相にЦ.ツォルモン(民族新党)、教育文化科学相にН.ボロルマー(人民革命党、ウランバートル市議会議長)、副首相にМ.エンフボルド(人民革命党議員、前首相)、国防相にЖ.バトホヤグ(民族新党議員)たちがそれぞれ就任する(ウヌードゥル新聞2007年12月6日付)。
С.バヤル首相は、法律専門家であって、原則を重視する傾向があるのに加え、些細なことながら、母親がアカデミチ(注:モンゴルでは最高水準の学術経験者であるとされる)であって、知的水準は高いとみられている。
彼の政治的立場は、まず、バガバンディ前大統領の系列に属する。彼らは、憲法遵守の立場を取っている。この場合の「憲法」というのは、無論、1992年の「モンゴル国憲法」のことである。
この憲法は、国家的所有制度と私的所有(私有)制度の混在を認めている(注:詳しくは
拙稿参照)。ただ、どちらに力点を置くかは明記されていない。
IMF、世界銀行などがモンゴルに侵入し(1992年)、民営化を強要してから、私有制度への傾斜が強まった。
バガバンディたちは、民族民主主義的立場を取っている。この立場は、国家的所有と私的所有のバランスのとれた存在による、国家的安全保障・発展を主張する。
人民革命党は、1997年に第22回党大会を開催し、党綱領を改定し、「中道左派」としての「社会民主主義」路線を採択した。
その綱領は、私有制度の牽引による国家的発展を明記している。この路線を主導したのは、エンフバヤル(現大統領)であった。
エンフバヤルは、2000年に政権についてから2年して、米国への傾斜を強め、2003年には、米国(ブッシュ)の強い要請によって(注:そのようにいっていいだろう)、土地の私有化を実行した。
こうして、資本主義企業による、モンゴル資産の買い取り(奪取)が可能になった(注:将来的には)。
その結果、モンゴル国内では、貧富の差が拡大した。
それとともに、汚職、官僚主義がモンゴル国内に蔓延していった。
エルベグドルジは、おそらく米国の示唆によるであろうが、汚職対策に着手しようとした。だが、本来実行力のない政治家(注:エルベグドルジは実業家を目指していたはずであったが、2004年の大同盟政権の首班に非議員として選出されて、その方向が曖昧になっている)であって、その派手なパフォーマンスと饒舌が人民革命党を怒らせ、首相を更迭された。
だが、モンゴル国民はこのエルベグドルジ更迭劇を支持しておらず、2006年のМ.エンフボルド政権は不人気であった(注:実行力はあった)。
それと並行して、人民革命党の政党支持率が低下していった。これに、М.エンフボルド首相(当時)とエンフバヤル大統領の権力闘争、エルベグドルジの怨恨(注:モンゴルは、こうのようなあからさまな私情が直接政治に反映するまれな国の一つである)が加わり、モンゴルの国際的信用が低下していった。
これをただすべく、С.バヤル政権が登場した、というわけである。
С.バヤルは、その原則的立場からして、まず、「経済の健全化」、「物価値上がり対策」、「民生安定」、「汚職・官僚主義阻止」を表明した。
同じく原則的立場を取る、市民の意志党は、С.バヤルのこの呼びかけに応じ、政権に参加した(ウヌードゥル新聞2007年12月04日付)。なお、「健全な社会のための市民運動」から市民の意志党に加わっていたО.マグナイは同党から脱党した。原則よりも人民革命党嫌悪感が強かったためであろう。
第二に、С.バヤルは、バス料金値上がりを阻止するべく、ウランバートル市を通じて大型バス会社に対し、補助金を交付することを決め、バス料金を200トグルグに戻した。更に、彼は、タバントルゴイ鉱山の国有化方針を明らかにし、将来的には、地下資源の国有化を目指している(注:もちろん「憲法」ではそのように規定している)。
これは、М.エンフボルド政権から顕在化してきた、モンゴルにおける「社会主義への回帰」の萌芽的傾向を示すものである。
第三に、С.バヤルは、2008年の国家大ホラル(国会)議員選挙が直前に控えているにもかかわらず、選挙法改正を表明した。
すなわち、2005年に改正された大選挙区制を廃止し、全国区比例代表制を導入しようとするものである。国家大ホラル(国会)各党は、この提案に賛成した(ウヌードゥル新聞2007年12月04日付)。
この比例代表選挙制は、政党本位の、(理論的には)金に左右されない、という利点を持つ、といわれる。
С.バヤル政権は、次期国家大ホラル(国会)議員選挙まで半年余りしかないので、結局は、「選挙準備政権」にならざるを得ないだろう。
もし、С.バヤルが党首である人民革命党が選挙に勝利すれば、彼のいう「全員で仕事をする(субботник)」内閣となるであろうが(ウヌードゥル新聞2007年12月04日付)、現在のところ、時間的余裕がない。
もちろん、人民革命党が勝利するという確固たる保証も、現在のところ、ない。(2007.12.09)
(追補)国家大ホラル(国会)総会は、2007年12月13日、道路運輸観光相にР.ラシ(人民革命党議員)、燃料エネルギー相にЧ.フレルバータル(人民革命党)、自然環境相にГ.シーレグダムバ(人民革命党)が就任することを承認した(ウヌードゥル新聞2007年12月14日付)。
(追々補)С.バヤル首相は、ダルハンオール・アイマグ、ホンゴル・ソムでの環境汚染問題に関して、現地で演説を行った。その演説の中で、環境汚染(注:水銀、シアン化ナトリウム)に苦しむホンゴル・ソム住民に陳謝した。
そして、彼は、政府の権限を強化して、環境汚染の進行を食い止める、と述べた。これは、政治介入の回避(注:小さな政府に相当)を否定するものであって、С.バヤル政権の方向が示されているようだ。
すなわち、資本主義国家で現在主流となっている「小さな政府」と逆の方向である。
これは、モンゴルの歴史的伝統に合致した正しい道である。(2008.01.20)
