
クウェートと石油部門での協力に合意(2007年11月27日)
エンフバヤル大統領は現在、ペルシャ湾岸諸国を公式訪問中であるが、2007年11月27日、モンゴルはクウェートと石油部門で共同事業を行うことに合意した。
モンゴル国貿易産業省鉱物資源・石油局長アマルサイハンの語るところによれば、この合意のための準備作業は、2年前から始められ、クウェート国営石油協会とモンゴルの間で、石油専門家の派遣、科学技術の向上、合弁石油精製鉱業の建設などを行う、という。
この事業が始まれば、モンゴルが国内石油消費の30%をまかない、また石油価格を下げる可能性が生まれる。
クウェートが占領された時(1990年)、モンゴルがクウェートを擁護して、それに反対した。一人当たりGDP2万9600ドル。石油、天然ガスを基礎に、セメント、船舶、浄水、建設資材、製紙業が発達。人口250万人。首都エリ・クウェートに230万人が居住。1756年以来、世襲首長によって統治(以上、ウヌードゥル新聞2007年11月28日付参照)。
モンゴルとクウェートとは、類似した側面もある。両国は、人口が250万人で、首都に人口が集中している。かつて砂漠で遊牧業が主要産業であった。鉱物資源が豊富である(注:モンゴルはクウェート以上に豊富)。
では、なぜクウェートなのか。第一次「湾岸戦争」のこともあるが、アラブ諸国は鷹を愛好している。その鷹が少なくなり、アラブ諸国はモンゴルに鷹の輸出を要請してきた。
モンゴルは、自然環境保護法で鷹の輸出を禁止している。だが、このアラブ諸国の要請に対し、モンゴルは法を枉げて鷹の輸出を許可した(注:筆者は、2004年にヘンティー・アイマグ、ダルハン・ソムで調査した時、鷹狩りをするアラブ人に出会ったことがある)。
この見返りに、クウェートは、ダルハン・エルデネト間舗装道路、エルデネト・ボルガン・ソニト間舗装道路、ソニト・ムルン間舗装道路、タイシル河水力発電所建設、国会議事堂建設のための1200万ドルの無償資金援助などを行ってきた。(ウヌードゥル新聞2006年11月9日、2007年04月25日付参照)。
企業ハゲタカたる米国、日本(およびその下請機関)などによる資本投下より、クウェートの方がまだましか。(2007.12.03)
