2005年度秋期国家大ホラル(国会)が始まった(2005年10月03日)

モンゴルでは、国家大ホラル(国会)議員の長い夏休みが終わり、2005年10月03日、秋期国家大ホラル(国会)が開会した。

今期国会では、泥縄式に国家大ホラル(国会)法を改正し(2005年8月4日)、「選挙後に同盟を解散しても、8議席以上を有する政党が会派を結成できる」、として、人民革命党会派(37名)と民主党会派(29名)の各代表を含め、5人が冒頭演説を行った。

(注:ニャムドルジ議長、イデブフテン人民革命党会派代表、ゴンチグドルジ民主党会派代表、エルベグドルジ首相、エンフバヤル大統領の5人である。もっとも、この泥縄式の法改正は、憲法裁判所(中法廷)によって憲法違反であるとして、否定された[ウヌードゥル新聞2005年10月01日付参照]。今後、国会で再審議され、この「憲法裁判所裁決の拒否」を出席議員による多数決によって行えば、さらに、この問題は憲法裁判所(大法廷)に再度持ち込まれ、その裁決が最終決定となる。しかし、その中で、例の「無頼漢」バトウールと「鉱山法改正の議案提出者」О.エンフサイハンは、民主党会派の行動に反対である、として同会派脱退を宣言している。憲法裁判所の裁決をくつがえすにはそれ相応の法判断が必要であって、民主党会派結成は困難になるかもしれない。今後も国会の動きに注目される。)

モンゴルでは、1990年以前の伝統もあって、国家大ホラル(国会)での冒頭演説はかなり重視される。かつては、時には10時間以上にも及び長演説であったが、さすがに今はそれはない。だが、政府、各政党の方針をみる上では好都合である。

以下、順次それを見てみよう(すべて、ウヌードゥル新聞2005年10月03日付参照)。

まず、ニャムドルジ国家大ホラル(国会)議長は、エルベグドルジ政権に批判の目を向け、経済指標が昨年より悪い、約束ばかりが多い、貧困と闘うことが必要である、と述べた。

彼自身が同政権下の法務・内務相であったにもかかわらず、同政権を批判する、というのは、尋常ではないのだが、元来この硬骨漢は、エルベグドルジに批判的であった。大筋としては、中立であるにもかかわらず、人民革命党の方策に近い。

次ぎに、イデブフテン国家大ホラル(国会)人民革命党会派代表は、多数の有能な公務員が解雇された、官僚主義や複雑な政治体制が生まれている、インフレが進行している、来年度予算歳出に「若者(家庭)に50万トグルグ支給」を繰り入れるべきである、と述べた。

人民革命党と旧「祖国・民主」同盟による「協議」によって、大同盟政府は、来年、人民革命党出身の首相と交代する。それを見越して、人民革命党の選挙公約を実施するための予算措置を求めたのである。実務家イデブフテンらしい。

ゴンチグドルジ国家大ホラル(国会)民主党会派(29人)代表の冒頭演説は、上述の憲法裁判所裁決の国家大ホラル(国会)による拒否を要求し、エルベグドルジ首相の施政を支持し、また選挙法改正では混合選挙制度を支持する、と述べた。

選挙法改正は、現在、その改正作業が進められている。民主党は、「38対38」、すなわち「小選挙区選出38人、比例代表区選出38人」、という混合方式を主張している。一方、人民革命党はこの方式に批判的である。こうしたことを背景にして、エルベグドルジの冒頭演説は2008年の選挙勝利を視野においた演説となっている。ただ、民主党がその時まで存続するかは、確言できない。「自由気まま」が「民主主義」であると錯覚している党であるから、かつての人民革命党会派加入などのように、今後何を起こすかわからない。

最も注目されたのは、やはりエルベグドルジ首相の冒頭演説であった。彼によれば、政治改革を進めるよう、公務員自ら国庫収入を増やすべく努力しよう、政府歳出を少なくしよう、と述べた。行政府首班は、「何々する」、と述べるべきであるが、「何々しよう」という風に、国民に向かってではなく、おそらく、大同盟相手の人民革命党に向かって、「呼びかけた」。本来がビジネス志向で、来年には人民革命党に首相のポストを譲らなければならないエルベグドルジとしては、いささか行政府首班らしくない表現となった。

エルベグドルジは、地下資源についてさらに言及し、その有効利用を訴えた。この演説は、筆者にはビジネスマン・エルベグドルジの今後の経済活動の布石にしかみえないが、民主党の「機関紙」化してしまったウドゥリーン・ソニン新聞(2005年10月06日付)は絶賛している。

最後に、エンフバヤル大統領は、政治の民主化、経済の市場化、憲法の制定、民主的選挙の実施、行政の分担と融和、出版の自由、私的所有の出現、というここ15年間の成果を誇り、これらを諸外国も評価している、と述べた。

しかも、これらは最終目標ではなく、さらにモンゴル国を「発展」させなければならない。だが、これらの「発展」は実現されるどころか、不満が出始めている。すなわち、生活の困難、官僚主義、汚職(賄賂)、不誠実、不完全な社会的供給、地下資源分配の不平等、社会環境の悪化、将来への不信などである。

これらを除去すべく経済成長を妨げている要因を除去し、税制改革を行い、官僚主義を少なくし、地下経済を「表に」出し、外資を誘致し、就業機会を増やす。そして、経済成長によって貧困を緩和する必要がある。

以上のようにエンフバヤルは述べた。この内容は、2000−2004年の人民革命党政権下の政策の自画自賛と、少しばかりの反省が込められている。

さらに言えば、これは、エンフバヤル人民革命党党首が、2000年に政権に復帰した時にが述べた、「中道左派」路線ではなく、これはIMF路線の忠実な継承に過ぎない。筆者がこの「時評」でたびたび言及するように、米国の支配するIMF路線の実施は、モンゴルを崩壊に導く恐れがある。その路線の修正が必要である。(2005.10.10)

(追補)「党ないし同盟解散後の会派結成」の是非に関して、憲法裁判所(中法廷)は憲法違反であるとの裁決を出した。これに対して、国家大ホラル(国会)総会は、10月13日、この裁決を受け入れるかどうかの投票を行った。その結果、出席議員59人のうち42人が受け入れなかった(ウヌードゥル新聞2005年10月14日付)。ところが、一転して、翌10月14日、国家大ホラル(国会)総会が再開され、憲法裁判所中法廷の裁決を受け入れることを、56議員のうち36議員が支持した(ウヌードゥル新聞2005年10月15日付)。この結果、2005−2008年国家大ホラル(国会)での民主党会派結成は不可能となった。

ただ、民主党議員としての活動は制限されない.。問題が生じるとすれば、(人民革命党と「祖国・民主」同盟の)「協議」による「大同盟」政府は、その一方の当事者が存在しなくなっている故に、政府構成がどうなるか、ということであろう。

民主党とすれば、このまま与党としてとどまるか野党になるか、という選択が迫られるであろう。(2005.10.19)

(追々補)11月14日、憲法裁判所大法廷が開かれ、政党法改正に関する憲法裁判所中法廷の判断を支持する裁決が出された。この結果、政党が党名を変えた後、24年間その党名を使用することを禁止する条項(政党法改正第6条第3項)、政党結成後18ヶ月間は選挙に立候補できない条項(政党法改正第8条第6項)が無効となった(ウヌードゥル新聞2005年11月15日付)。(2005.11.16)

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