
両陣営は大同盟政府組閣作業開始に合意した(2004年09月24日)
人民革命党と「祖国・民主」同盟は、9月24日、政府組閣作業開始に合意した。
両陣営による大同盟政府設立のための「協議」は、人民革命党の主導であることは否定しがたい。
というのは、この「協議」が両陣営間で行われている最中、人民革命党は、9月8日、「祖国・民主」同盟に対し、突如として、「協議第3号文書」を手渡し、首相を2年任期にして、相互に首相と副首相を交代させることを提案した(ゾーニー・メデー新聞2004年09月09日付。これは1980年半ばに起こったイスラエルの例にならったものであるという)。これについて、人民革命党機関紙ウネン新聞は、首相を2年で相互に交代させ、それぞれの公約を実施する、そうすれば、4年後の国家大ホラル(国会)議員選挙時に有権者の判断が容易になる、と説明していた(ウネン新聞2004年09月09日)。
これに対し、民主党の機関紙化したウドゥリーン・ソニン新聞は、この首相2年交替案は、「協議」と内閣組閣を遅らせるものであるから「祖国・民主」同盟は反対である、と報じた(ウドゥリーン・ソニン新聞2004年09月11日付)。
そして、「祖国・民主」同盟は、9月15日、これに対応するため、「協議」グループの人員を入れ替え、グループ代表にオヨンに代え、ナランツァツラルトを任命し、委員としてバト=ウール、グンダライ、С.オトゴンバヤル、М.ソノムピル、Батж.バトバヤル、М.ゾリグトを新たに加わえた(ウヌードゥル新聞2004年09月16日付)。
特に、「人民革命党をやっつける」と述べて、例のグンダライが強硬反対派の急先鋒であったという(ウヌードゥル新聞2004年09月18日付)。
こうして、両陣営の「協議」が「行き詰まり」を陥ったかに見えた。元来、「協議」は人民革命党が「主導」し、その思惑通り進んでいたものであった。それがここへ来て、モンゴルの歴史的状況にも合わない、イスラエルの例を持ち出して、「首相2年交替」が提案された。
これは、例の第24、59両選挙区問題が絡んでいた。この2選挙区は「祖国・民主」同盟候補が当選したのであるが、選挙管理委員会による再選挙実施(第59選挙区)ないし再選挙実施決定(第24選挙区)がウランバートル市行政裁判所によってくつがえされ、「祖国・民主」同盟側に有利な裁定が出る公算が出てきた。そうすると、現在、国家大ホラル(国会)議員数は、「36:34」であるが、「36:36」になり、「祖国・民主」同盟は無所属当選者3人を加え39人として、エンフサイハン「祖国・民主」同盟代表が当初宣言したとおり、単独政権を形成する、という(人民革命党の)懸念が出てきた。
これに対処するため、人民革命党は「協議」を一時休止し、同盟側内部のいざこざを見越し、エルデネバトの民主新社会党(注:現在7議員であるが、第59選挙区から新たに1議員増加する公算がある。そうすれば、独立会派が結成できる)、民主党内党である「アルタン・ガダス」グループ(注:現在7議員)、北東アジア・グループ、エンフサイハン派、そして市民の意志・共和党(注:現在2議員。もともと「ジェンコ」のバトトルガは党員であったのだが、民主新社会党に移った。この社長と市民の意志・共和党とは政見が合わないはずで、移籍して当然であろう)から構成され、現在、大臣の椅子の奪い合いに忙しい。
これを見越した人民革命党は、これらの党のいずれか一つを引き抜き、「祖国・民主」同盟を解体させる、と脅した。現にその可能性が大であると見られるに至っていた(ウヌードゥル新聞2004年09月21日付)。
これにあわてた「祖国・民主」同盟は、1)大臣と副大臣を2年交替にする、2)首相と副首相を2年交替にする、3)状況が変わっても(注:2選挙区が「祖国・民主」同盟に有利になる結果が出ても、ということ)この決定は不変である、という文書に合意せざるをえなかった(「人民革命党・『祖国・民主』同盟共同決定(8ヶ条)」)。しかも、この文書には、「子供に1万トグルグ支給」という文言は入っていない(注:ただし、「祖国・民主」同盟にとって譲れないこの公約は、「政府綱領」の「社会保障」の項目の中で検討する、とエルベグドルジ首相が国家大ホラル(国会)本会議で答弁したことで、妥協が計られた)。
そして、9月21日の国家大ホラル(国会)本会議で、エデブフテン(人民革命党書記長・人民革命党会派会長)は、満足げに、「協議」妥結を承認するよう発言し、それを受け、エンフバヤル議長は「挙手での採決」を促し、100%の賛成で承認された。
これに対し、「議長と首相が相互に自己責任で解決に当たると約束したので妥結した」、とオヨンが精一杯、弁明せざるを得なかった(ウヌードゥル新聞2004年09月22日付)。
第二に、この両陣営による「協議」は、いつの間にやら、エンフバヤル国家大ホラル(国会)議長とエルベグドルジ首相による「大同盟政府組閣」の継続ということになってしまった。
特に、エンフバヤルがその政治力を大いに行使したという事実は否定できない。エンフバヤルは、国家大ホラル(国会)議員選挙での「事実上の敗北」による「威信低下」を薄めた。そして、これを基に、彼はその政治的評価を内外で高め(注:米国以下の諸国はモンゴルの政治的安定を強く望んでいる)、来年実施の大統領選挙立候補の基礎を固めた。
一方、エルベグドルジは、現在はビジネス志向が強い上に、人民革命党主導で首相に就任した(彼は非議員)。2年で交替しても、その政治的影響力には余り関係がない。しかも、
彼は、「小さな政府」論者であって、13省にもふくれあがる予定の政府では、いずれその主張との矛盾が出てきて、とても4年はもたないであろう。しかも、元来、「小さな政府」論はモンゴルの歴史に適合しない(IMFなどの強い要求はあるが)。
だが、「祖国・民主」同盟のエンフサイハンやエルデネバトは、この大同盟政府設立に不満を抱いている。であるから、首相交代までの2年間が(4年間は無論のこと)このまますんなりいくとは考えられない。(2004.09.25)
(追補)国家大ホラル(国会)は、9月27日、任命された政府閣僚を承認した。それによれば、人民革命党から副首相オラーン、法務内務相ニャムドルジ、外務相ムンフオルギル、商工相バトボルド、燃料エネルギー相オチルフー、保健相ガンディ(女性)、自然環境相バルスボルド、食糧農牧業相テルビシダグバ、自然災害対策無任所相フレルスフ、「祖国・民主」同盟から財務相アルタンンホヤグ、国防相エルデネバト、建設都市整備相バトバヤル、社会保障労働相バヤルサイハン、道路交通観光相バトフー、教育文化科学相ツァガーン、公務員監査無任所相エルデネバータル、官房長官バヤルツォグトである(ウヌードゥル新聞2004年09月28日付)。この閣僚人事は、「祖国・民主」同盟のアルタン・ガダス・グループと民主新社会党出身の閣僚が比較的多いのがその特徴である。これは、民主党エンフサイハン派封じ込め、民主党アルタンガダス・グループおよび民主新社会党取り込み、という人民革命党の思惑通りの閣僚人事である。それに併せて、グンダライを排除した。すべて人民革命党の戦略通りの人事となった。(2004.09.29)
