IMFモンゴル駐在代表と国家大ホラル(国会)議長の会談(2009年11月9日)

IMFモンゴル駐在代表たちは、2009年11月9日、国家大ホラル(国会)議長デンベレルと会談し、2010年9月15日までのIMFスタンバイ融資の実施状況について、意見交換をした。

彼らIMFスタッフは、その結果に「満足している」、と述べた。

だが、2010年度国家予算赤字が通常以上に「超過しないよう」に「注意した」。

すなわち、1)緊縮予算を2011〜13年まで継続すること、2)「銅・金特別税」廃止からくる財政赤字増大に留意すること、3)銀行部門の欠陥を解消すること、である。

国家大ホラル(国会)議長がその「注意」に同意し、それを実行することを約束した、と国家大ホラル(国会)報道官は述べた(以上、ウヌードゥル新聞2009年11月10日付より)。

その後、IMFは、IMFモンゴル駐在代表P.ラムロガンの見解を公開した(2009年11月12日)。

それによると、

モンゴル経済混迷は底を打ち、2010年は景気回復の兆しが見える。その理由は、1)オユトルゴイ鉱山開発の始動、2)インフレ率の低下、などのためである。

IMFは、スタンバイ融資供与の条件として、モンゴル経済を見直すことを要求してきた。すなわち、外貨準備高の引き上げ、貧困層保護、などである。

IMFは、今後もモンゴルの構造問題を協議する(以上、IMF, Press Release No. 09/400, November 12, 2009)。

また、別の資料では、

モンゴル中央銀行(=モンゴル銀行)による政策金利の引き上げは成功し、市場の安定化をもたらし、インフレを引き下げた。

また、外貨準備高を引き上げた。

だが、経済回復は当初目標よりも遅い。

モンゴルは、今後さらに、貧困層保護、金融システムの監視、銀行システムへの信頼性について、IMFと協議する必要がある(IMF Country Report No. 09/311, November 4, 2009)

すなわちこういうことである。モンゴル政府は、IMFの「注意」(=指導)によって、モンゴル経済を回復させつつある。今後もIMFの指導に従うべきである、と。

さて、モンゴルがIMFの監視下にはいるの問題外として、ここで注意すべきは、はたしてモンゴル政府がIMFの指導の下で景気を回復させることができたか(あるいは回復させつつあるか)、という点である。

ここでいう「モンゴル政府」というのは、エルベグドルジではもちろんなく、前С.バヤル政権のことである。

С.バヤル政権は、インフレ率高進の原因となっていた、ロシアからの石油価格の上昇を食い止めるべく、石油輸入関税を一時免除した(注:2009年7月1日まで)。

日用品価格上昇(特にパン代値上がり)の原因を除去するべく、ロシアから小麦粉の特別割引価格での緊急輸入を行った。

また、その抜本的改革として、食料品自給を目指し、「開墾V」を実施した。その2年目が終わり、ジャガイモの100%自給、小麦粉の70%、野菜40%自給という当初目標を達成させた。

モンゴルの牧畜業と中小企業の育成を目指し、低利融資と所得税免税を実施した。

これらは、IMFプランの結果ではなく、С.バヤル政権の成果であった(注:それは「社会主義的手法」というべきものであった)。

IMFの「指導」する銀行システムの「改革」は、モンゴル銀行の消極的抵抗によって、遅々として進んでいない。例えば、アノド銀行の外部資金導入(注:マレーシア資金)による改変指導は、モンゴル銀行によって一時的にストップがかかっている(注:「外部監査」終了時まで、という条件で)。

モンゴル銀行による「政策金利の引き上げ」と「ドルの競売」が「外貨準備高の上昇」(=トグルグ価の対ドル価格の低下抑制)に寄与したかは疑わしい。これらは、「銅・金世界市場価格再上昇」という外部要因によるものであって、モンゴル側の政策の成果ではない。

というわけで、今回のIMFの「満足」表明は、いわば筋違いであって、IMFの「自己満足」に過ぎず、IMF路線踏襲の成果では必ずしもないのである。

繰り返すが、モンゴルはIMFの束縛から脱して、経済的独立を目指さなければならない。(2009.11.15)

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