
ヘンティー・アイマグでの鉱山開発に対する抗議運動が始まった(2008年03月03日)
ヘンティー・アイマグの環境保護団体(「ヘルレン・フドゥー・アラル」代表С.ダムディンスレン)、地方政治家(ソム町長С.ジャルガル[注:ヘンティー・アイマグ知事の誤り])、地方住民たちは、2008年3月3日、ヘンティー・アイマグ、デルゲルハーン・ソムでの鉱山開発を中止するよう政府に要求した。
この鉱山(石油)開発を行っているのは、カナダ国籍のシャマン・リソースという企業で、デルゲルハーン・ソムのニャルガ16鉱区で石油探査を行っている。
この時、14種類の化学物質使用による石油探査が、3000以上の史跡、14種類の鳥類、366種類の植物に有害な影響を与えるという。
当該企業は、産業貿易相鉱山局長Л.ボルドから2007年6月20日に開発許可を受けていた。
これに対し、約200人の人々は、2008年3月1日に、鉱山局長Л.ボルドに対し抗議デモを行っていた。Л.ボルドは、開発許可証交付の誤りを認めたが、石油探査の正当性を述べ、これがモンゴルの石油輸入量の削減、ひいては経済独立につながることを強調した。
一方、С.ジャルガルは、デルゲルハーン・ソムを採掘地域から除外することを要求した。また、ヘンティー・アイマグ選出国家大ホラル(国会)議員Б.バトエルデネも、ヘンティー・アイマグの史跡(注:特にチンギスハーン関係の)が破壊されるおそれがある、と抗議した(ウランバートル・ポスト新聞2008年3月6日付)。
実は、この抗議運動は2008年初頭に突然始まったものではない。
ヘンティー・アイマグ知事С.ジャルガルという若者は、外資による鉱山開発や「援助」に反対の立場を早くから表明していた。2007年6月に著者たちがヘンティー・アイマグでの国際会議に出席したときも、彼は外国「援助」団体(注:ドイツ)による資金の無駄遣いと、住民にとって何の利益にもならないという理由で、その事業を中止するよう、これからドイツ大使館に働きかけるのだと言っていた。
(ヘンティー・アイマグ知事С.ジャルガル。Хэнтий Аймаг Их бvтээн Байгуулалт, 2007 より)
また、ヘンティー・アイマグはチンギスハーン関連の史跡が多いので、考古学者、人類学者、歴史学者たちは、ヘンティー・アイマグでの鉱山開発に懸念と反対を表明している。この話し合いにも、著者が立ち会ったことがある。
(ヘンティー・アイマグ選出国家大ホラル[国会]議員Б.バトエルデネによる、
「ヘンティー・アイマグの史跡保存」を求める国会議長への2007年10月25日付上申書の一部。筆者蔵)
彼らの行動は全く正当であろう。
更に、この抗議運動は、政治問題化するかもしれない。
というのは、2008年国家大ホラル(国会)議員選挙が2008年6月末に予定されている。ジャルガルは民主党からの立候補を希望している。彼には反対者も多いが、この4年間の知事としての実績が評価され、支持者も多い。だが、民主党の大物(といわれる)Д.ガンボルド(注:ウランバートル鉄道局長。1990ー92年のビャンバスレン内閣の第一副首相)が民主党からの立候補を意図しており、ジャルガル封じの行動をとるかもしれない。有り体に言えば、ジャルガルの選挙出馬はなくなったとみるべきかもしれない。
バトエルデネ議員(注:モンゴル相撲の有名な「横綱」)は、人民革命党からの選挙出馬を意識していることは言うまでもない。
というわけで、地方住民による「環境汚染に対する抗議運動」は、2000年代初頭の特長となっているのである。モンゴルの歴史は、2000年初頭をそのように記述するであろう。1990年初頭に民主化運動が、さかのぼって19〜20世紀初頭に牧民運動が継起したように。(2008.03.09)
(追補)С.バヤル政権は、ヘンティー・アイマグ、デルゲルハーン・ソムで石油探査を行っているシャマン・リソース社に対し、その活動を一時停止させる決定を出した。Б.バトエルデネ国家大ホラル(国会)議員によると、その理由は、当該地域には地下水や冷泉が豊富にあって、それに医療効果に用いられていること、史跡が多く、専門家や産業貿易相や環境省の役人が参加して調査を行う必要があること、などである(ウヌードゥル新聞2008年3月29日付)。(2008.03.29)
