オドンチメド社会保障労働相辞任(2007年01月26日)

モンゴルではМ.エンフボルド政権がこの1月27日で1年間継続した。М.エンフボルド政権は、39議席を有する人民革命党が主導するが、祖国党、民族新党、共和党からも入閣している(注:国民党のグンダライは先ほど解任された)。この政権はいわば寄せ合い世帯なのである。

このため、野党から解任要求が矢継ぎ早に出され、ツェンゲル運輸観光相(人民革命党)は留任、グンダライ保健相(国民党)は解任された。この両方とも、М.エンフボルド政権および人民革命党に非難が集中した。

引き続きこうした閣僚解任劇は、民主党によるオドンチメド社会保障労働相解任要求となって、モンゴル政治が振動した。

以下、その経緯を説明する。

З.エンフボルド、А.ムラト両議員(民主党)は、2007年1月5日、「新婚家庭に50億トグルグ支給」措置の予算執行に際し、オドンチメド社会保障労働相がその原資の目的外使用を行ったとして(注:子供に支給する分からその余剰部分の44億トグルグ分をそれに充当した)、彼の解任要求書を国家大ホラル(国会)議長に提出した。1週間後の1月12日、社会政策教育文化科学常任委員会でそれが審議採決され、賛成8(民主党+市民の意志党)対反対7(人民革命党)で可決された。当日、人民革命党2議員が欠席していた(ウヌードゥル新聞2007年01月13日付)。

これに対し、政府は反論し、国家大ホラル(国会)決議執行のため、社会保障労働省はその予算執行を行ったのであって、不法ではない、と発表した(ウヌードゥル新聞2007年01月15日付)。オドンチメドも同様に趣旨の弁明を行った(ウヌードゥル新聞2007年01月17日付)。

この解任要求案可決は、二つの原因で注目された。一つは、人民革命党内部の紛争から説明された。すなわち、人民革命党内に、オドンチメド社会保障労働相解任ではなく、М.エンフボルド政権解体をねらう動きがある。さらに、オドンチメド社会保障労働相解任問題を利用して、М.エンフボルドを倒そうとする動きがある。こうした動きの全面に、ニャムドルジ、ガンディー、オラーン、ラシが出てきている(ウヌードゥル新聞2007年01月18日付)。

もう一つは、市民運動による人民革命党攻撃が激化している。2007年1月16日、「グローブ貯蓄信用組合」経営者による詐欺事件が裁判所第1審で裁決され、経営者たちが有罪となったが、その裁決を不満とする被害者たちは、「健全な社会のための市民運動」指導者バトザンダン、マグナイなどに先導(=「煽動」)され、人民革命党本部に「侵入」し、彼らの「党員証」(注:後の報道では別人のものだとされた)を破り捨て、退去した。これに対し、人民革命党の青年党員たちは、2007年1月17日、「健全な社会のための市民運動」を非難した。彼らは、貯蓄信用組合被害者を利用して、その問題を政治化しようとしている、と述べた。この動きに、民主社会主義青年同盟、女性、学生、老人同盟、「伝統・革新ー民主・公正」グループも同調した。同グループ調整委員Р.バトエルデネは、「多党制の時代に、個人・団体の誤りをただ一つの政党にその責任を転嫁したことを非難する」、と述べた(ウヌードゥル新聞2007年01月18日付)。

こうして、この問題は大方の予想以上に政治問題化していった。

社会政策教育文化科学常任委員会でのこの解任案可決を受け、国家大ホラル(国会)総会は、2007年1月18日、オドンチメド社会保障労働相解任問題の審議を行うことになったが、人民革命党会派が意思統一のため休会を申し入れ、審議が延期になった。人民革命党会派で一部議員が解任賛成の意見を持っているためであった(ウヌードゥル新聞2007年01月19日付)。

国家大ホラル(国会)総会は、2007年1月19日、オドンチメド社会保障労働相解任問題の再審議を再開したが、人民革命党と民主党の応酬が激化したため(例えば、フレルスフ議員[人民革命党]が『<眠れる竜>が目をさめた。これからはおとなしくしていない、民主党議員たちの不正の証拠を示す文書がある』と発言した。なお、この若者は行政監査相である)、民主党会派が翌週月曜日(1月22日)まで休会を申し込んだ(ウヌードゥル新聞2007年01月20日付)。

国家大ホラル(国会)民主党会派は、2007年1月22日、ニャムドルジ国家大ホラル(国会)議長に対し、フレルスフの発言の責任を追及することを申し入れ、さらに、М.エンフボルド政権解散を要求した。これが受け入れられないなら、国家大ホラル(国会)解散すべきであると述べ、国家大ホラル(国会)総会をボイコットした(ウヌードゥル新聞2007年01月23日付)。

こうして、オドンチメド社会保障労働相解任問題が後景に退き、М.エンフボルド政権解散および国家大ホラル(国会)解散問題へと事態が加速していった。

これに対し、各党の動きが活発化し、人民革命党は、翌1月23日、フレルスフ問題を話し合い、フレルスフの国家大ホラル(国会)での発言が彼自身の個人的見解であること、人民革命党の責任はないこと、を発表した。一方、フレルスフは、「我が党、政府を中傷するいかなる行為も許し難い」、と述べた。一方で、人民革命党内「急進的改革」グループは、声明を出し、人民革命党と政府役員たちの「無教育、非人間性」を非難し、責任を問う要求を出した(ウヌードゥル新聞2007年01月24日付)。

民主党は、1月24日、エンフバヤル大統領と会見し、国家大ホラル(国会)総会ボイコットの理由を説明した。エンフバヤルは、フレルスフの発言をたしなめ、双方が話し合うことを求めた(ウヌードゥル新聞2007年01月25日付)。

市民の意志党(副党首Ц.ガンホヤグたち)は、1月25日、エンフバヤル大統領に会い、「国家大ホラル(国会)解散の是非を問う国民投票実施」を要請した(ウヌードゥル新聞2007年01月26日付)。

いずれにしろ、オドンチメド社会保障労働相解任問題の採決期限が迫った2007年1月25日10時50分、39議員の出席で国家大ホラル(国会)総会が始まり、人民革命党会派代表イデブフテンは、政府が法に違反していないこと、フレルスフの言動は人民革命党の見解ではないこと、(民主党の)ボイコットは正しくないこと、を述べた。その後、15時まで休会になった(ウヌードゥル新聞2007年01月26日付)。

同日14時、国家大ホラル(国会)人民革命党、民主党両会派が協議を行ったが、物別れになった。15時、国家大ホラル(国会)が再開されたが、民主党会派は欠席した。唯一人ガンスフが来て、民主党会派のボイコットを宣言して、議場を後にした(ウヌードゥル新聞2007年01月26日付)。

この間、З.エンフボルドたち民主党の面々は、事態が自党に有利に進行していると見て、彼らの意気は高揚し、1月25日、民主党会派の会議の席上で、「次の政権のポスト」をめぐって、Н.バトバヤル議員とГ.バトフー議員がワイシャツの襟首をつかみ合ってのケンカを始める始末であった(注:後に彼らはこれを否定しているが)。ウヌードゥル新聞はこれについて「やはり民主党の目的はこれであったのか」、と書いている(ウヌードゥル新聞2007年01月26日付)。

2007年1月26日16時50分、国家大ホラル(国会)総会は民主党会派の欠席のまま始まった。

オドンチメド社会保障労働相解任案に対し、出席議員42議員全員が反対し、否決された。それに続き、オドンチメドは登壇し演説した。

彼は、その演説の中で、「問題の発端がЗ.エンフボルド議員の私怨によって始まったのは残念である(注:З.エンフボルドの経営する『(韓国への労働者)派遣仲介所』が社会保障労働省に移管されたことに対するもの。韓国で就労するモンゴル人に『年金手帳』を交付することで、両国が合意し、韓国外務省とモンゴル社会保障労働省が調印した。これに伴い、社会保障労働省が「派遣仲介所」の公的機関化を進めていた。これを経営するЗ.エンフボルドは不満を抱いたであろう。ウヌードゥル新聞2007年1月22日付参照)。私は、現在の政治状況を考慮して、自ら辞任する」、と述べた(ウヌードゥル新聞2007年01月27日付)。

こうして、「民主党の仕掛けた罠」(ウヌードゥル新聞2007年01月25日付)は、不首尾に終わった。

人民革命党は、ツェンゲル(人民革命党)解任を否決し、グンダライ(国民党)解任に賛成し、そしてオドンチメド(人民革命党)解任も否決する動きを見せた。このことは、人民革命党への非難、支持率への低下となっていった。

だが、状況は一転し、オドンチメド自らの辞任によって、事態をごり押しした民主党への支持率が低下することは避けられない。折しも、民主党国民評議会が1月27日に開催される。波乱必死であろう。

いずれにしろ、各党は、来年(2008年)実施の国家大ホラル(国会)議員選挙勝利をもくろんで、様々な戦略や駆け引きを採用する。(2007.01.28)

(追補)国家大ホラル(国会)総会は、2007年2月1日、オドンチメド社会保障労働相辞任を承認した(ウヌードゥル新聞2007年02月02日付)。なお、1月27日に開かれた民主党国民評議会は、政治的得点の「当て」がはずれたか、波乱なく終わった。(2007.02.04)

(追々補)国家大ホラル(国会)は、2007年2月6日、社会保障労働相にД.デンベレル(人民革命党議員)を就任させるという政府提案を承認した。彼は清廉な人物として知られている長老議員である。(2007.02.11)

(追々々補)前記『(韓国への労働者)派遣仲介所』に関し、この仲介所に替わって、2007年3月15日、国立「労働者海外派遣センター」が設立された。このセンターは、韓国労働省とモンゴル国社会保障労働省間で合意した、モンゴル人労働者の韓国への派遣に関する事務を取り扱う。(ON070317)

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