
2006年度秋期国家大ホラル(国会)開会(2006年10月02日)
2006年度秋期国家大ホラル(国会)が、2006年10月2日に開会した。
今回の国家大ホラル(国会)では、首相冒頭演説も与野党演説もなく、比較的静かな国家大ホラル(国会)の幕開けとなった。
その中で、ニャムドルジ国家大ホラル(国会)議長は、1)バク(村)長から政府委員に至るまで、その職務が錬金術の手段と化している、2)(モンゴルは)貧困をなくし、公正さを取り戻すべきである、といった正当な内容の冒頭演説を行なった。
エンフバヤル大統領による冒頭演説のほうは、1)国家による鉱山開発、2)貯蓄信用組合被害者に対する国家による救済、3)汚職撲滅、4)政府は、給料や年金増額よりも、就業機会の拡大によって、国家の発展を図るべきである、と述べた(ウヌードゥル新聞2006年10月03日付)。
だが、静かな国家大ホラル(国会)の幕開けであるといっても、水面下ではかなりの動きがあるようだ。
それは、「М.エンボルド政権打倒」の動きである。
人民革命党は、2006年1月13日、突如として、エルベグドルジ政権を崩壊に導き、同年1月28日、М.エンボルド政権を成立させた。その時から、民主党は、М.エンボルド政権打倒を宣言していた。
であるから、民主党にとっては、筋書き通りであるといっていい。だが、2006年9月2日に実施されたフブスグルでの補欠選挙で民主党候補が敗北し、その動きにブレーキがかかった。特に、急先鋒であったエルベグドルジ民主党党首の責任問題が浮上して、それどころではなくなった。
それでも、民主党評議会(注:民主党幹部会というべきもの)は、М.エンボルド政権打倒を同党選出の国会議員25人に指令した。
その背景について、モンゴルの代表的新聞である『ウヌードゥル新聞』(2006年10月05日付)は、以下のように解説している。すなわち、
М.エンフボルド首相がエンフバヤル大統領から距離を置くようになり、それをエンフバヤルが嫌った。このため、エンフバヤルは、М.エンフボルド政権打倒を決意した。このため民主党(25人中19人)と人民革命党の何人かを呼び込んだ。
『ウヌードゥル新聞』というのは、かなり公正で、取材もよくしている新聞であり、その分析は捨てがたいものがある。
だが、筆者の考えるところ、この動きにはもっと深い意味がある。
筆者がモンゴルの大学で講義しているときに、学生達はモンゴルにはどのような路線の対立があるのか、とよく質問する。
筆者は、その回答として、以下のように説明することにしている。
モンゴルは、1992年に新憲法を制定し、私有と国有に立脚する混合経済を採用することになった。この私有と国有のうち、どちらが国家を先導するか、という規定は、当然のことながら、憲法では明記されていない。
ところが、「コメコン」崩壊の後、IMF・世界銀行、そして日本などのモンゴル「支援」国会合がモンゴルに浸透してきて、市場経済の名のもと、「私有」に基づく国家建設を「指導」するようになった。
これは、憲法の規定とは異なっているのであるから、反対の動きも出てくる。
また、こうした「私有」先導によって、貧富の差が拡大し、現在では国民の3分の1が貧困層である、と指摘されるようになった。
さらには、この「私有」は、モンゴルの歴史的条件を無視していることもあって、それに伴う、「汚職」などに強い反発が生じている。
こうした層は、民族民主主義を唱え、憲法遵守を堅持した、バガバンディ前大統領を支持していた。彼が大統領職を去っても、いまだに支持率が急降下しない理由は、その点にある。
М.エンボルドは、その政権成立の経緯からして、その不人気にあえいでいた。それを挽回するためには、こうした貧困層の支持が必須であった。
だから、年金および公務員の給与の約20%引き上げ、すべての子どもに3000トグルグ支給、を実施した。2007年1月からは、これを再度実施し、子どもに5000トグルグ支給をも実施する予定である。IMFはこの政策には反対の立場をとる。社会主義的だからである。
エンフバヤルは、2000年の国家大ホラル(国会)選挙で圧倒的勝利を収めた後、中道左派、すなわち民族民主主義を堅持することを宣言していた(注:人民革命党は、1997年に、その路線を民族民主主義に変えた)。
ところが、2002年10月の米国貿易センター・ビル崩壊後、エンフバヤルはブッシュ米国大統領と会見し、その路線をIMF路線へと急展開していった(注:この間の経緯については、発表予定の拙稿『エンフバヤル政権(2000ー2004年)の性格』参照)。その政策転換の代表的事例が、2003年5月1日の「土地私有法」実施であった。
このように述べてくれば、おのずから明らかな通り、IMF路線をひた走ってきたエンフバヤルは、それにブレーキをかけようとしているМ.エンボルドをけん制しようとしている、ということが見えてくる。
これが、エンフバヤル大統領による上述の「政府は、給料や年金増額よりも、就業機会の拡大によって、国家の発展を図るべきである」、の意味である。
つまり、このМ.エンボルド政権打倒の動きは、モンゴルにおける二つの路線の対立の現れにほかならない。(2006.10.08)
