
国家大ホラル(国会)、新「選挙法」採択(2005年12月29日)
国家大ホラル(国会)は、2005年12月29日、「大選挙区制」の新たな「選挙法」を採択した(ウヌードゥル新聞2005年12月30日付)。
この「大選挙区制」は、21のアイマグと首都ウランバートル市を選挙区として、複数の候補者を投票数の大きい順に2〜3人選ぶ制度である。
この「大選挙区制」に基づく選挙法は、1992年に実施された。だが、1996年、2000年、2004年には、単純小選挙区制によって国家大ホラル(国会)議員選挙が実施されていた。
周知のように、「大選挙区制」は与党に有利であり、「小選挙区制」は政権交代が比較的可能になる。
実際、単純小選挙区制によって、1996年には大方の予想をくつがえし、野党の「民主同盟」が50議席を獲得し、与党の人民革命党を25議席の野党に追いやった(残る1議席は伝統統一党)。
ところが、2000年には野党の人民革命党が72議席の究極的絶対多数を獲得し、政権に復帰した。
そして、2004年には、これも予想をくつがえし、野党の「野合」であっても、「祖国・民主」同盟が35議席を獲得し、人民革命党の獲得議席36議席に匹敵し、事実上勝利していた。
こうして、1989年12月10日に始まるモンゴル民主化運動の結果、形成されたところの比較的安定した政治状況は、現在、不安定なものとなっている。
さらに、人口希薄なモンゴルでの単純選挙区制は、投票者数が比較的少数であるから、選挙時での買収・供応という選挙不正が行われやすくなる。1996年の選挙での、アメリカの選挙資金の「民主同盟」への「注入」、2004年の選挙での「祖国・民主」同盟による「不正」などが選挙勝利の一つの要因になっていた(もちろんそれだけではないが)。
こうした「小選挙区制」に基づく「選挙法」の改正作業は、1999年から行われていた。だが各政党の利害の衝突から、「選挙法」改正には至らなかった。
今回でも、1)人民革命党は「60:16」制(注:小選挙区制で60議席、全獲得投票数で16議席)、2)民主党は「51:26」制(注:小選挙区で51議席、全獲得投票数で26議席)、3)完全比例選挙制、4)大選挙区制と比例選挙の混合、5)現行の小選挙区制、という5つの案が提案されていた。ここでも、各党が審議ボイコットをちらつかせ、廃案の懸念が強かった。
だが、急転直下「選挙法」改正が成立したのには(モンゴル政治にはよくある現象なのだが)、あまりにも「小選挙区制」の弊害が大きくなってきたことが、原因の大きなものである。
成立した「大選挙区制」選挙法は、常識的には、人民革命党に有利になる。だが、この政党の支持率も現在のところ20%台に低下している現状では、2008年の次の選挙の行方はまだ不明である。(2006.01.01)
