2005年夏のモンゴル国内政治はどう推移したか(2005年08月30日)

筆者は、2005年夏の課題として、6点ほど指摘した。それは、1)国家大ホラル(国会)議員第65選挙区補充選挙、2)「協議」による「大同盟政府」の将来、3)人民革命党会派(62人)の帰趨、4)ウブルハンガイ・アイマグ第24選挙区問題、5)新議長および新首相問題、6)次期ウランバートル市長問題、であった。

第一の課題について。国家大ホラル(国会)議員第65選挙区補充選挙は、この8月28日に実施された。立候補者は、Д.バトバヤル(無所属)、Д.ジャルガルサイハン(市民の意志・共和党)、И.エルデネバータル(祖国党)、А.ガンバータル(社会民主党)、С.フレルバータル(伝統統一党)、М.エンフボルド(人民革命党.)の6人だった(ウヌードゥル新聞2005年08月19付)。当選したのは、人民革命党党首М.エンフボルドだった。

この第65選挙区というのは、大統領に当選したエンフバヤル(人民革命党前党首)が立候補して当選した選挙区で、モンゴル国民にとってはそれほど重要視されないが、人民革命党にとっては前党首の選挙区を他党に奪取されてはならない、という政治戦術上の問題があった。元来、この選挙区は人民革命党支持者が多く居住する、という事情もあり、エンフボルド当選は予想通り、という受け止め方がされている。

第二の課題について。「大同盟政府」の首相は、エルベグドルジ(民主党)である。エルベグドルジは非議員であるから、どうしても国家大ホラル(国会)に対しては、立場が弱くなる。そこで、上の第65選挙区から立候補しようという動きを見せていた。これを警戒した人民革命党は、「大同盟政府」解散をちらつかせ、エルベグドルジの立候補を阻止した。その見返りとして、エルベグドルジ政権存続を承認した。エルベグドルジの方も、「モンゴル政治の安定」という名目が保障され、双方の妥協が成立した。「大同盟政府」の「協議」事項により、残りの1年間は、エルベグドルジが首相を務める公算が極めて大きい。

第三の課題について。国家大ホラル(国会)人民革命党会派は、2005年07月21日、旧「祖国・民主」同盟出身議員が人民革命党会派の方針を守らない、として、彼らの除名を決めた(「ウランバートル・ポスト」新聞電子版2005年07月28日版)。こうして、国家大ホラル(国会)の構成は、36人からなる人民革命党会派、およびその他の議員たち、という状態に戻った。ただ、エルベグドルジが上述の選挙区に立候補しないことのもう一つの見返りに、民主党会派結成承認、ゴンチグドルジ党首の副議長就任、という戦術があるので、今後、25人からなる民主党会派結成という事態は予想できる(注:現在、バトウール、グンダライ、エンフサイハンたち6議員が非公認の民主党会派グループを作っているが、国家大ホラル法にいうところの「8人以上で会派結成」という条件を満たしていない)。いずれにしろ、民主党会派結成のほうが正常な状態であろう。

(追補:憲法裁判所は、2005年9月30日、国家大ホラル法改正の中の、国家大ホラルでの会派結成条項、すなわち、同盟解散後、党が単独で会派を作ることができる、という条項は、憲法違反であるという裁決を出した[ウヌードゥル新聞2005年10月01日付])。この裁決を国家大ホラル(国会)が受け入れれば、民主党会派結成は不可能となる。)(2005.10.04)

第四の課題について。この問題はまだ解決をみていない。一年以上もウブルハンガイ・アイマグの議員の当選が決まらない、というのはとても正常な状態ではない。当該選挙区民の主権を侵害している。早急に解決されなければならない課題である。

(追補:最高裁判所長官裁決により、国家大ホラル(国会)議員選挙第24選挙区で、З.エンフボルドの当選が確定したウヌードゥル新聞2005年09月29日付]。こうして、この問題はようやく解決された。)(2005.10.04)

第五の課題について。2005年7月1日、突如として、ニャムドルジ法務内務相が、国家大ホラル(国会)議長に就任することになった。これを主導したのは、イデブフテン(人民革命党)とゴンチグドルジ(民主党)である、といわれる。これは議員たちにとってさすがに寝耳に水であったようで、ルンデージャンツァン(人民革命党)やバトウール(民主党)が拙速すぎるとして反対したが、採決されてしまった(「ウランバートル・ポスト」新聞電子版2005年07月06日版)。バトウールなどは、この背後に、エンフバヤル(大統領)がいるとみて、エンフバヤルの右腕といわれるニャムドルジの議長就任は、議員活動の締め付け、大統領制への移行、などの前兆である、といっている。

硬骨漢として知られるニャムドルジは、無政府主義や法秩序混乱を嫌っており(法務内務相としては当然そうなるが)、アナーキーな傾向の強いバトウールとはしばしば衝突してきた。確かに、かつて、2000−2004年国家大ホラル(国会)でのグンダライによる議長席へのプラカード掲示、といった事態はなくなるかもしれない。

一方、「大統領制への移行」という問題についていえば、モンゴル国内には、ロシア及び中央アジアのように、モンゴルにも、大統領による一元指導が適している、という見方は、根強くある。だが、現代史の流れからいえば、憲法違反ともいえるような、国家大ホラル(国会)議決による「大統領権限の漸次縮小」、という事態が続いており、クーデターでもない限り、大統領制への移行は難しい。

元来、ビジネス志向が強いエルベグドルジは、上述のように今後一年間、首相を務める可能性が高い。

第六の課題について。М.エンフボルド市長が国家大ホラル(国会)議員に当選したことにより、次期ウランバートル市長問題が現実化してきた。もしボロルマーが市長に就任すれば、女性市長就任という画期的な事態となるであろう。

以上、この夏の国内政治の課題の推移を見てきた。

筆者は、8月下旬に、すでに秋の気配が感じられるモンゴルに戻って、「モンゴル時評」を再開することになった。今後も、上述の課題を含めて、モンゴル現代史を考えていきたいと思っている。(2005.08.30)

(追補)エルベグドルジ首相は、10月25日、ウランバートル市長にЦ.バトバヤルを任命することを承認した(ウヌードゥル新聞2005年10月25日付)。Ц.バトバヤルは、次期市長候補者としてはもっとも注目度は低かったが、バガハンガイ区長としての行政手腕が評価されたものであろう。こうして、筆者の指摘した女性市長は実現しなかった。М.エンフボルド人民革命党党首・国家大ホラル(国会)議員の意向が強く働いたものと思われる。(2005.10.26)

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