
前「祖国・民主」同盟議員25人が人民革命党会派に加入(2005年01月27日)
民主党国民評議会による党首エンフサイハン更迭(2004年12月19日)に端を発した、モンゴル政治の混迷・混沌は、行き着くところまで行った。
人民革命党・国家大ホラル(国会)会派は、2005年1月27日、前「祖国・民主」同盟会派議員25人(注:その内訳は、民主党19人、市民の意志・共和党2人、祖国党2人、および無所属2人)の加入を認めた。その結果、人民革命党会派が61人になった(ウヌードゥル新聞2005年01月28日付)。
かつて与党と野党に分かれて非難・中傷(もちろん正当な論戦はあったが)を繰り返し、国家大ホラル(国会)選挙後の「究極のバランス」状態のため、大同盟政府を結成した、人民革命党と「祖国・民主」同盟各党が国家大ホラル(国会)内で合体してしまった(注:ただし、これは国家大ホラル会派のことであって、最高裁判所に登録されている政党ー現在21あるーは存続している)。
前「祖国・民主」同盟の人民革命党への合流の理由として、「民主党国民評議会が国民の選択を尊重し、政治を安定させるためであり、社会の要求である」(ランバー民主党議員)とか、「現在の国家大ホラル会派には多数派は存在せず、政府『行動綱領』実行のためには、人民革命党会派に加入して多数派を結成する必要がある」(バヤルツォグト民主党議員)というふうに説明されている(ゾーニー・メデー新聞2004年01月27日付)。
これをどう見るか。
渦中の人物、エンフサイハンは、当然のことながら、「この行動は大きな誤りである」、と述べている(ウヌードゥル新聞2005年01月25日付)。
人民革命党の「伝統ー革新、民主主義ー倫理」グループは、人民革命党・国家大ホラル(国会)会派議員への要望書のなかで、「『祖国・民主』同盟はその内部矛盾のため解体するに至ったが、この会派に責任ある行動を求めるのには疑問がある」、と述べて、人民革命党会派への加入に反対している(ゾーニー・メデー新聞2004年01月27日付)。
エンフサイハンは、民主党国民評議会の決定の不法性を最高裁判所に訴えていた。政党内部の議論を裁判所に訴えるというのは、喧嘩の解決を親に頼むのと同じようなもので、なんとも子供じみているが、それはともかく、最高裁判所裁判官Д.トンガラグは、2005年01月24日、エンフサイハンの公訴を認め、当該決定を無効にする、という裁決を下した。
これは、幻の「決定」(注:党首更迭)に端を発して、「祖国・民主」同盟が解体したことを意味する。
さらに、最高裁判所は、1月19日、民主党が国家大ホラル(国会)会派を結成できる、という判断を下した(注:これは、グンダライによって民主党会派結成の不法性につき最高裁判所に公訴していたものである。ウヌードゥル新聞2005年01月27日付)。このことは、民主党が人民革命党・国家大ホラル(国会)会派に加入する必要がなくなることを意味する。もしエルベグドルジ政権を存続させたいのであれば、人民革命党と民主党が再び「協議」を行って、連合政権を結成すればいいからである。
それでもゴンチグドルジたちは、人民革命党会派に加入した。何故か。
この推進役は、エルベグドルジであろう。彼の政略はおそらく次のようなものであろう。
すなわち、政権打倒をもくろむエンフサイハンやグンダライを排除し、大統領選挙(注:選挙管理委員会によって2005年5月22日が提案され、国家大ホラル行政委員会は基本的にこれを承認した)を放棄し(注:ゴンチグドルジは大統領選挙に出馬しないと言明した)、人民革命党党首エンフバヤルを大統領にする。空席になった国家大ホラル(国会)議長をゴンチグドルジに引き継がせる。
ただ、誰にでもわかるこの政略は、政治指導部上層部だけの論理であって、モンゴル国民はどう考えるか。また、エンフサイハンたちも沈黙してはいないだろう。
であるから、政局はこのまますんなりとはいかないと考えるのが自然である。
いずれにしろ、「大統領選挙戦が始まった」(ウヌードゥル新聞2005年01月15日付)のである。(2005.02.01)
(追補)「祖国・民主」同盟解体、「祖国・民主」同盟会派25議員の人民革命党会派への加入という事態の結果、この動きに加わらなかった祖国党出身政府閣僚罷免の動きが表面化した。そして、2005年2月17日、国家大ホラル(国会)総会が開かれ、エルベグドルジ首相による、この祖国党出身の政府閣僚二人(エルデネバト、エルデネバータル)の罷免を承認した。その結果、2月18日、この二閣僚の罷免が決定した(ウドゥリーン・ソニン新聞2005年02月19日付)。なお、政府当局は、その罷免の理由として、祖国党が野党になる、という立場を表明し、政府と行動を共にしないと表明したためである、と説明している(ウヌードゥル新聞2005年02月21日付)。(2005.02.22)
