「祖国・民主」同盟が解体した(2004年12月30日)

厳寒の12月、モンゴルの政治状況がさらに混乱を深めている。

民主党がエンフサイハンを党首から更迭した(2004年12月19日)のに続いて、民主新社会党が「祖国・民主」同盟から脱退することを決定し(2004年12月26日)、その決議が国家大ホラル(国会)総会に報告され、「祖国・民主」同盟が解体した(2004年12月30日)。

この経過をもう少し詳しく説明しよう。

12月26日(日曜日)、「祖国・民主」同盟幹部会が開催された(参加者225名)。その席上、「祖国・民主」同盟解体動議が民主新社会党から提出され、参加者の70.7%の賛成で決議された(ウヌードゥル新聞2004年12月28日付)。

この決議に対し、民主党新党首ゴンチグドルジは、当該会議は民主新社会党のそれである。「祖国・民主」同盟に民主党と市民の意志党は残る。市民の意志・共和党代表オヨンは、(このニュースは)新聞紙上で初めて知った。私たちには知らされていない。一部グループが決議したものである。わが党は、国家大ホラル(国会)と政府で、有権者の意志を実現するために努力している、と述べた(ウヌードゥル新聞2004年12月28日付)。

さらに、12月27日午後、民主党は、ゴンチグドルジ名義で、民主党は「祖国・民主」同盟解体の意思を表明していない、従って、この決議は不法である、との声明を出した(ゾーニー・メデー新聞2004年12月28日付、ウドゥリーン・ソニン新聞2004年12月28日付)。

一方、エンフサイハンも、12月27日、民主党本部で記者会見を行い、「協議」(による大同盟政府)が陰謀になってしまった、となにやら矛先をそらすべく、意味不明な発言をした。これに対し、オヨンは、証拠文書を示してほしいという感想を述べた(注:まさにその通りであろう)(ゾーニー・メデー新聞2004年12月28日付、ウドゥリーン・ソニン新聞2004年12月28日付)。

12月30日、民主新社会党党首エルデネバトは、国家大ホラル(国会)総会に、「祖国・民主」同盟解体を報告した。「祖国・民主」同盟の多数の議員は、この決議は不法で、正式なものではないという意見を述べたが、議員全体の支持は得られなかった。その結果、「祖国・民主」同盟解体が決定した。ただし、総会閉会に際して、エンフバヤル国家大ホラル(国会)議長は、議員たちがこの決定に対し、裁判所に訴える権利を有することを明言した(ゾーニー・メデー新聞2005年01月03日付)。

以上が「祖国・民主」同盟解体に至るまでの経過である。

「祖国・民主」同盟が解体すると言うことは、国家大ホラル(国会)における「協議」に基づいて作られた、「大同盟」政府がその正当性を失うことを意味する。6月26日の国家大ホラル(国会)議員選挙から6ヶ月、数々の問題を含むものの、2005年度予算成立にまでこぎ着けた、エルベグドルジ政権が危機を迎えることになった。

エルベグドルジ「大同盟」政権打倒は、これまで何度か論評してきたように、エンフサイハン、グンダライたちの意図であった。

この企てが成功するかどうかは、今少し時間が必要だろう。もっとも、イデブフテン(人民革命党)、ダミラン(人民革命党)、オヨン(市民の意志・共和党)、ナランツァツラルト(民主党)など、ほとんどの議員たちは、エルベグドルジ政権崩壊を支持していない(ウヌードゥル新聞2004年12月26日付、および29日付)。

「祖国・民主」同盟解体を実行したのは、民主新社会党党首エルデネバトである。彼は、その意図を次のように語っている。

「祖国・民主」同盟の名前を利用した数人の政治家(注:ゴンチグドルジ民主党新党首、エルベグドルジ首相たちをさす)の陰謀を打ち砕くために、「祖国・民主」同盟を解体させた。民主党の内紛が「祖国・民主」同盟解体の原因となった。民主新社会党は別個の行動をとる。「協議」の名による陰謀から距離を置く。民主党は野心家の支配する派閥に支配されている(ウヌードゥル新聞2004年12月29日付)。

エルデネバトは、民主党内の内紛に嫌気がさしたのであろう。だが、それは「祖国・民主」同盟結成当初からわかっていたことである。本音は、これに続いて、次のような発言にある。

すなわち、「祖国・民主」同盟は困難な状況で、国家大ホラル(国会)に民主党議員が25名、民主新社会党議員が7名になった。だから、「祖国・民主」同盟の使命は果たされた。

つまり、彼は、「祖国・民主」同盟結成が選挙目的であったことを正直に告白している。「祖国・民主」同盟による選挙協力によって、「祖国・民主」同盟候補者が競合して共倒れになることなく、76選挙区に「祖国・民主」同盟が一候補者ずつ立候補させることに成功した。その結果、支持率(注:5%ほど。つまり単純計算で3名の当選と言うことになる。2000年には1名だった)以上である7名の議員を当選させることに成功した。

まさに、エルデネバトにとって、「『祖国・民主』同盟の使命は果たされた」のである。国防相エルデネバトは、今後それ以上の官職をねらっているのであろう(注:エンフサイハンとエルデネバトの密約では、首相と議長をそれぞれとる、ということであった)。

次に、エンフサイハンの行動が「祖国・民主」同盟解体に一役買っていることはいうまでもない。彼も意外に正直にその意図を語っている。

すなわち、先の12月27日の記者会見で、次のように述べている。

民主党党首更迭は不法である。これはコミュニストのやり方である。72議席から36議席になった政党の党首が議長になり、2議席から25席になった政党の党首が更迭されるのはおかしい(ウヌードゥル新聞2004年12月28日付)。

これは、実に正直な告白であって、自身が議長になろうという野心があったことをあけすけに語っている。

極言すれば、猟官運動がこの政党の政治家たちの主要な目的であることを示している。

議論が横道にそれたが、エンフサイハンは、「祖国・民主」同盟の「協議」グループ代表になり、人民革命党に取り込まれた感のあるエルベグドルジ政権と対決するはずであった。ところが、エルベグドルジたちの反撃にあって、民主党党首を更迭されてしまった。そこで、捨て身の行動に出たのである。

ところで、エルデネバトの民主新社会党に選挙前、急遽入党し、当選した、オトゴンバヤル、バトトルガ、バターたち(注:彼らはいずれもビジネスマンである)は、脱党して、民主党に加わる動きを見せている。であるから、エルデネバトの単独行動が果たして成功するかはまだ不明である。

エンフサイハン、グンダライの民主党内での孤立は明白であり、脱党するしかないかもしれない。

こうしてみると、この「祖国・民主」同盟解体は、いたずらに政治混乱を招くものであって、先行きをよく考えない、児戯に等しいもの、といわざるを得ない。(2005.01.04)

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