貧困をどのようにして克服するか(2004年12月08日)

国家統計局が行った世帯調査によれば、モンゴル人100人のうち36人が貧困状態にある、という(ゾーニー・メデー新聞2004年12月10日付)。

この「貧困状態」は、1990年代の市場経済化(=資本主義化)によって生み出された。

「モンゴル・マニア」を自称する、当時の米国務長官ジェームズ・ベーカーが、国家小ホラル、人民大ホラル合同会議での演説(1991年7月26日)において、ぬけぬけと、「民主化のプロセスである程度、無秩序やカオスになる。(米国は)世銀、IMF、アジア開銀と協力して援助する。モンゴルが民主主義と自由市場への移行のアジアにおける模範となるだろう」と述べたが(ジェームジ・ベーカー「国家小ホラル、人民大ホラル合同会議演説草稿」[1991.7.26])、この「無秩序やカオス」状態をモンゴルはまだ完全には克服していない。

むしろ、IMFなどへの従属状態が進行する一方である。

エルベグドルジ「大同盟」政府は、この貧困問題に積極的に取り組む姿勢を見せている。ウヌードゥル新聞はこれに呼応して、「休日と貧困を楽しめというのか」という見出しによる記事を掲載している(ウヌードゥル新聞2004年12月08日)。それを紹介しよう

Д.タビラン論説では、(ここ10年以上の間)貧困のため独り立ちできなくなり、国際機関による援助と融資によってモンゴル人は生活している。

Р.エムジン論説では、貧困をなくすには、休日の数を増やすことではなく(12月10日と3月1日)、よく働くことである。

И.オトゴンジャルガル執筆記事では、何人かの人々の談話が紹介されている。それによれば、

国民は、自分が貧困だと言って何もしないでいる。そうではなく、社会の中で積極的に働くことが必要である。貧困をなくすために支援国が毎年1000万ドル以上の投資をする(Н.ナランゲレル社会保障労働省人口社会保障局長)。

月3000トグルグの現金を期待するより働け(注:「子供に3000トグルグ支給」をさす)(Н.エルデネチメグ世界銀行職員)。

モンゴル人は何もしないで高い給料を得ようとして、売春、盗み、詐欺をしている(С.トゥメンゲレル「ウグージ」社社長)。

広いモンゴルには仕事が無限にある(Ч.フレルバータル財務省事務局長)。

(追補)ウヌードゥル新聞は、さらに続報において(2004年12月13日付)、「省のスタッフを減らそう」という、Б.バトドルジ論説は、貧困とたたかうには、まず省のスタッフ(高級官僚)の数を減らすべきである、と書いている。また、「手を広げて(物乞いをする)借金によってではなく、自らの(手を用いての)能力によって貧困とたたかおう」という、Г.ウルジサイハン論説は、貧困は自らの怠惰から生じた。それは社会主義時代からの形態(=「他人の手をみて生活する)である。この度の選挙の時、政党がお金を支給することを公約して、貧困な人々の心をとらえた。(また)外国から多くの援助が来て、我々は「施しを乞う民」となってしまった。中国人は、「一元」を得るために毎日汗にまみれて働いている、と書いている。(2004.12.20)

日本人からみれば当たり前の話なのだが、要するに、モンゴル人は自ら働かなければ、貧困状態を克服できない、ということであろう。

だが、筆者の周りのモンゴル人たちをみていても、彼らは実によく働く。仕事は1つでは生活できないから、2つ3つともっている。地方の牧民たちは、夜明け前から夜更けまで、家畜の世話をする。

つまり、モンゴル人はよく働いているのである。それでも「貧困」状態がなくならない。何故か。

先ほどのベーカーから始まって、J.サックスによる「経済のショック療法」、IMF・世銀加盟、ビャンバスレン政権やオチルバト大統領たちモンゴル側の対応、などに問題があった、といわなければならない(これに関しては、拙稿「1990年代モンゴルの政治と経済」を参照していただきたい)。

であるから、政治指導部などが「よく働け」というのは、余りにも安易な説教である。何度も言うことだが、モンゴルの伝統に依拠した歴史の道に立ち返らなければ、逆に言うと、「資本主義への幻想」を断ち切り、IMFなど国際金融支援機関から独立しなければ、すなわち、モンゴル民主化運動がめざした「真の独立」が達成できなければ、モンゴルは「貧困」を克服できないだろう。(2004.12.13)

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