
与野党による「大同盟」構想浮上(2004年07月22日)
2004年国家大ホラル(国会)議員選挙後の政治的混乱の中、人民革命党は、7月19日、人民革命党第7回小会議を開催した。また、同日、「祖国・民主」同盟も国家大ホラル(国会)議員選挙当選者たちが集会を開き、臨時会派を結成し、会長にエンフサイハン、副会長にエルデネバト、オヨンを選出した(モンツァメ通信2004.07.19)。
人民革命党小会議では、党首エンフバヤルが報告した。その報告の中で、彼は、選挙総括を行い、相手陣営の不正な選挙運動によって、人民革命党が多数派にはならなかったが、依然として最も多数の議席を有する政治勢力である、と述べた。会議終了後の記者会見で、オラーン財務相は、人民革命党は議会で最も多くの議席を獲得した結果、憲法の規定により、他の党、同盟と「協議する」呼びかけを先導するべきである、これに関して、有望な結果が出始めている、しかし、どの党、同盟、無所属と協議したかは明言を避けた(ゾーニー・メデー新聞2004年07月20日付)。
「祖国・民主」同盟臨時当選者会の集会では、「単独で与党になる」、「野党になる」、「大同盟を結成する」、という3つの選択肢のいずれを選ぶかは未定である、とした(ウヌードゥル新聞2004年07月20日付)。だが、「祖国・民主」同盟臨時当選者会会長になったエンフサイハンは、「祖国・民主」同盟に人民革命党からの協議の申し込みはない。「祖国・民主」同盟臨時当選者会は、「大同盟」を呼びかけている。7月22日に人民革命党党首エンフバヤルに協議を正式に申し入れる。単独で政権を取ることはない(ウヌードゥル新聞2004年07月21日付)、というふうに語り、人民革命党との協議(「大同盟」)の方向に傾いていった。
このように、人民革命党、「祖国・民主」同盟とも、「大同盟」(いわゆる「挙国一致内閣」)へと傾斜していった背景には、第一に、選挙結果が人民革命党37議席(暫定)、「祖国・民主」同盟35議席(暫定)、無所属3議席、共和党1議席、となって、憲法・国家大ホラル(国会)法の規定によれば、人民革命党が組閣(首相指名)することになるが、国家大ホラル(国会)議員の中から閣僚を選ぶことになれば、その人員だけ議席数が減少し、再び、与野党が逆転し、少数与党になってしまう。これは、主として人民革命党側の事情である(注:「祖国・民主」同盟にも当てはまるが)。
第二に、「祖国・民主」同盟は、単独で政権を取っても、誰を首相にするかで、内部で合意していない。当該同盟は、エンフサイハン派が10議席、旧社会民主党系の「アルタン・ガダス」グループ(代表ゴンチクドルジ)が15議席(暫定)、民主新社会党(党首エルデネバト)が7議席(暫定)、市民の意志・共和党(党首オヨン)が3議席を獲得した。これまで筆者が何度も指摘してきたことであるが、当該同盟は、各党の党綱領が「水と油」の関係であって、とてもまともな政策が実行できない。それに加えて、各グループ・党による内紛が絶えない。エンフサイハンとエルデネバトが強権を行使して、かろうじて内紛を押さえている。かといって、野党になるのは、各当選者の「野心」、「利得」に反する(注:会社社長が17人含まれている)。というわけで、「大同盟」構想を志向した。
7月22日、人民革命党からエンフバヤル、イデブフテン、ニャムドルジ、オラーン、「祖国・民主」同盟からエンフサイハン、オヨン、エルデネバトが会談し、「大同盟」結成の方向で組閣することで意見が一致した。さらに、人民革命党は、共和党ジャルガルサイハンとも会談し、ジャルガルサイハンも「大同盟」に賛同した(ウヌードゥル新聞2004年07月23日付、ゾーニー・メデー新聞2004年07月23日付)。さらに、人民革命党指導部は、無所属当選者アマルジャルガル、オドフー、サンジミャタブとそれぞれ会談した(ゾーニー・メデー新聞2004年07月23日付)。
ただ、この「大同盟」構想は、今のところ、その内容が不透明である。
人民革命党書記長イデブフテン(人民革命党「大同盟」協議作業班責任者)の語るところによれば、「祖国・民主」同盟が大同盟を提案しているが、どこが正式に代表するのか不明である。(大同盟のための)協議は、民生の安定、経済環境の整備、そして最も重要なことは、政治・経済の混乱からの脱却、発展のためにある。国家大ホラル(国会)が大同盟の主要な担い手になる。国家大ホラル(国会)の決議によって大同盟を結成する、という(ゾーニー・メデー新聞2004年07月22日付)。
この主張は、人民革命党の政策の継続、究極的にはIMF路線の踏襲を基本線にしている。
一方、エンフサイハンの述べるところでは、重要なのは、公約を実行できる人を選ぶことである、大同盟が国民の望んでいることだ、無所属当選者とは「情報交換の段階」にある(注:ということはまだ会っていないことを意味する)、と述べている(ウヌードゥル新聞2004年07月21日付)。
この主張もまた、「祖国・民主」同盟の「公約」実行の枠内にとどまっている。
したがって、両陣営がどこまで歩み寄れるかが今後の課題であろう。かつて、ダルハン・アイマグ住民評議会[地方議会]の議員比率が15人対15人になり、「同盟」議会が作られた。だが、その合意に達するまで2ヶ月を要した、とダバーツェデブ議員が自己の経験を語っている(ウヌードゥル新聞2004年07月19日付)。だが、国政はそんなに長期間は待ってくれないであろう。(2004.07.26)
追補:こうした中で、7月26日、第1回国家大ホラル(国会)議会が開催され(注:「継続」であるのかどうかはこの際問題にしないでおく)、議員認証が行われた。だが、休憩後の会議に「祖国・民主」同盟は欠席し(注:オヨンを除く)、国家大ホラル(国会)議長の選出はできず、明日に延期された。(2004.07.26)
